エデン 4

案内された訓練室の広さに夢子は目を輝かせてしまった。

 自動ドアをくぐると、そこは小学校の体育館ほどの大きい空間が広がっている。

 オーヴァ―ドがいくら暴れてもびくともしないように作られた専用の空間は白く、なにもない。こうすることで精神の集中力の向上と戦いに意識を向けやすく工夫しているのだろう。

 空間の真ん中で牧間、夢子、巽と暁が向き合った。

 互いに五メートルの距離をとり、相手を見る。

 シンドロームと闘いかたぐらいは先に伝えるべきかと暁が口にしたが、それを牧間も夢子も拒否した。それでは訓練以下になってしまう。

 戦う訓練とは相手をいかにひきずりだし、知って、対応するかだ――これは今までの経験でわかっている。

 すでに暁と巽は武器を構えはじめている――暁が拳銃――今回はゴム弾だが、撃たれたら実弾並みの激痛があるし、骨だってひびがはいる可能性がある。

 一方、巽は片腕が音をたてて動いている。会ったときから違和感を覚えていたが、どうやら彼はサイボーグのようだ。

「ほまれさん、いつものでいきますよぉ」

「ああ」

 牧間が懐のポケットから黒手袋を取り出す。黒革のそれはUGN製で多少荒っぽいことをしても破けることがないものだ。

「オーダーは」

「……君に任せるよ。そうだな、今回は嵐はやめてくれ」

 奇妙な言葉に夢子は目をぱちくりさせた。

「鉄がさびると言われても困るからね。出来たら夕暮れがいいんだがどうかな?」

 いたずらっ子みたいに笑う牧間に夢子は吹き出して、頷いた。

「わかりましたぁ」


 ビーッと機械の音――戦闘開始の音と同時に夢子と暁が動いた。

 なにをするかまだわからない相手に先手をとることは戦いを有利にすすめるための常套句。

 体内の力を活性化させ、集中力をあげた暁が瞬きもせずに凝視してくる。脳の演算処理能力をあげてきたのだ。何かすればそれだけで相手のシンドロームも行動も予測し、一緒にいる巽の補佐に回れる――いいコンビだ。

 だが

「空間固定確認、範囲選択、領域を支配する……指令!オーダー 誰そ彼蒼然トワイライト・ブルー!」

 夢子が懐から紙を取り出し――着物もそうだが、昨日までの持ち物をすべて牧間が準備してくれたのは彼が本当によく自分のことをわかっているからだと感心した。

 これがないと出来ないわけではないが、集中力はやはり違う。

 蒼の文字がこぼれ落ち、墨が色を――染めて、白を飲み込む。

 広がる墨は夢子の支配した領域まで伸び、それがぐにゃりとゆがみ、色を持つ。

 燃える茜色から、美しい終焉の色。

 それについ、巽と暁は見入ってしまった。

 世界の終わりを迎えるとき、きっと、こんな色だ。

 太陽が暮れゆく、薄宵色と淡い黄色が混じった空気。いつの間にか、そこは砂浜と変わり、夢子の立つ場所は浅瀬になっていた。波が満ちてはひくそこに潮騒の音がする。

 輝く太陽を背に立つ夢子の姿だけがはっきりと見えている。

「これって、おい、アキ」

「たぶんソラリスの力だ」

 暁が冷静に巽に声をかけた。

「ソラリスの化学物質を生む力と、オルクスの領域支配を合わせて、自分の手中における範囲にいる者に幻想を見せているんだ」

 ソラリス能力者は自分の体内で生み出した化学物質を空気中に意図的にふりまいて、味方もそうだが、敵の行動をある程度コントロールする力もある。

 暁もソラリスだからわかるが、使用する方法が違う。

 暁はあくまで自分を高めるために使うが、それに対して夢子のそれは領域全土だ。

「だから、ガーディアン・クローズってことか。オイ、牧間のオッサンは?」

「……いるはずだが、姿が隠れてしまっているようだな」

 暁が目を凝らす。

 優れた感覚を持っていれば夢子の領域能力で隠れた牧間を見つけることはたやすいが、視覚情報との齟齬のせいでどうしても攻撃しづらい。

 この場合、夢子を狙うのが一番妥当だ。

 誘導されていると思うと少しばかり悔しいし、このあとどうなるかと考えると不安はあるが――

「行くぞ、ユキ」

「おうっ」

 強い巽の声に暁は腹を決めた。

 彼女の黒髪が揺れ、その肉体から甘い香りが漂う。優しい風が吹き、思考をクリアーにする。

 巽が駆け出した。

 安全のために刃はむき出しではないが、それでも脅威と思わせる片腕から飛び出した機械の刃――輝く瞳、楽しげなその好戦的なその顔が

 夢子を捕らえた。

「潮騒よ、来たれ、我が盾となれ」

 夢子の足下の潮騒が飛び散る。

 光がきらめき、一瞬、目がくらむ。

 そのなかにちりっと火の粉が巽の前にこぼれ落ちた。

 驚いたのは巽だ。

 炎が舞うなかに立つ牧間が唐突に現れて、夢子との間に割り込んできたのだ。それでももう振り上げた片腕は止められない。

 その攻撃を牧間の紅色の炎が包み、しっかりと固定した。

 しまったと思ったときには動きを完全に止められたのに、先ほどまでの炎が黒く色を染めて、貪欲に牙を剝く。なんとか足に力をいれて踏ん張ろうと巽が思ったとき、足が滑った。なにか柔らかな風にすくわれたというほうが正しい。

 いつも微笑みを浮かべている牧間が冷酷な目で見下ろしている。完全にしてられたと巽は理解する。

 それは獣だ。大きな黒い炎をまとった手のつけられない恐ろしい怪物だ。

 否応なしに翻弄される――だから暴風雨か。

 牙を剝く炎の一撃が落ちてきた。


 誰そ彼が沈み、世界は暗闇に落ちた。――そして、世界は元の白さを取り戻す。



「大丈夫か、ユキ」

 倒れた巽に暁が慌てて駆け寄る。

 すぐに起き上がっても、その場に座り込んだ巽はふーふーと獣のように荒い呼吸を繰り返し、手をひらひらとふって大丈夫だと暁に示す。

「平気、平気。……オッサン、つえーじゃねぇかよ」

「たまたま、だよ。夢子、久々だったが平気だったかい?」

 牧間の声に夢子ははっと我に返ったようにいつもの表情を戻して

「はぁい、ぜんぜんですよ。ほまれさぁんがかばってくれましたからぁ」

「君を囮にするのはあまり好きではないんだけどね」

「平気ですぅ」

 きゃきゃと笑いながら夢子は両手を差し出すと牧間がきょとんとしたあと、ああと思い出したように手袋をとって差し出してきた。

 ハイタッチをして、そのまま指を絡める。

 大きな牧間の手のなかに夢子の手がすっぽりと埋もれてしまう。

 ふふと夢子が笑っていると物言いだな視線を感じて見ると、巽だ。

「本当に三十年ぶりかよってくらい息があってるな。牧間のオッサンがどうして新しい相棒を作らないのか、ちょっとわかったよ……これなら変異も対応できるよな。スピットアウトの変異がどんなものかはわからないけど、アンタらなら平気そうだ」

 気遣うような笑う巽に夢子は目をぱちくりさせたあと、牧間から手を離して自分の手をぐーぱーと開いては閉じてみせる。

 変異――やっぱり、あれか。と理解した。

「はい。いろいろとご指導、先輩お二人とも、ありがとうございましたぁ」

 ぺこりと頭をさげると、ははっと巽が笑い、小さく暁がため息をついた。

 夢子はそろそろと顔をあげると牧間が目尻を寄せて笑ってくる。

 目があった。

 自然と夢子は自分の胸に手をあてる。


 ああ、やっぱり、この人に対して――思わない。

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