第30話 あの日

 あの時、私があいつに出会ってなければ、今の苦しみはなかったかもしれない。しかし、この出会いが神のいたずらであろうと、ただの偶然であろうと、

 私は神を許さない。


 ある辺境の村、和やかに過ごす村人たちの奥にみえる洞窟に異質な雰囲気をまとう牢獄がそこにはあった。中に佇む瘦せこけた少女、一握りのパンを大切に食むその姿は正に家畜だった。ただ彼女は世界を憎んではいなかった。その感情は、とうの昔に諦念が持って行ってしまった。

 「奴らだ!」

 遠くから聞こえた一つの声が混沌と静寂をもたらす。騒音が止めば先程の牧歌的な空気はもう無く、人々は扉を固く閉じていた。洞窟の中から覗く外の景色は、化け物がひしめき合い、化け物が化け物を踏み台にし真っ直ぐ突っ込んでくる、世界の終わりと言っても差し支えなかった。地獄の大群が迫りくる中、一人の若者がこちらに駆け寄ってくる。その若者は慣れた手つきで錠前を外した。

 「出ろ!」

 少女の手を掴み乱暴に洞窟の外へ放り投げる。少女はふらりと立ち上がり若者に目もくれず歩き出した。少女を投げた若者はすでに消えている。軍勢に向かうその背中はあまりにも小さく、生贄にしか見えなかった。地獄の荒波は、すでに村の中になだれ込んでいた。


 距離が確実に素早く縮んでいく。看板がなぎ倒され、物が壊れてゆく音が近づいてくる。少女の視界は、瓦礫と化け物に覆われた。

 先陣を切る人型の顔面を拳で全力で振り抜く。破裂音と衝撃波は後に続く者をなぎ倒し、周りの注意を一度に引き受けた。おぞましい雄たけび共は空気をこだまし一斉に飛び掛かる。後ろから一匹が刃に変質した腕を突き出してきた。体をずらし脇をすり抜ける腕を掴み、引きちぎる。

 「……」

 悶え苦しむ暇も与えず、頭を潰す。近づくものから順に潰され、千切られ、貫かれ、塵殺されてゆく。

 「……ッ」

 久しく無かった感覚が少女の胸を突く。少し息が苦しくなる。すぐに原因は分かった。少女の胸には太く鋭い、一本の槍が貫かれていた。彼女はこの感覚に安堵していた。この感覚が、自分がまだ人間であるという証明に思えた。酷く喜びを感じながら槍を引き抜く。その槍は、周りを一度に片付けるには十分すぎるほどだった。

 一振り―――――――それが全てだった。


 怪物の臓物が散らばる地面とは裏腹に、空は異様に晴れていた。未だに胸から流れる液体に少し苛立ちを覚えつつも、千鳥足で自分のたった一つの居場所に戻ろうとする。洞窟の中に入ろうとするとき、ふと振り返る。振り下ろされた金槌、そして少女を野に放った恐れと嫌悪に満ちた若者は光の先に意識を向けることを許さなかった。


 呆れるほどに純白な空間。備え付けてあるソファとテーブル以外には何もない空間に、一人の女性と一人の王が対峙していた。

 「いつもありがとう。」

 「マリア。」

 「いいのよ、ゼウス。それよりどう?無理してない?」

 輝く金色の髪が揺れる。慈悲深い目と柔らかい笑顔はゼウスの心を自然にほぐした。

 「うん。父上と母上は相変わらずだけど……けど、僕は乗り越えたいんだ。乗り越えて、きっとあなたみたいに立派になりたい。」

 「……」

 「だから…見守っててよ。僕が道を見失わないように。」

 マリアの手がゼウスの頭に乗る。

 「わっ、なに!?」

 ガラス細工を撫でるように優しく触る。

 「もう、充分立派だよ。」

 「……」

 ひとしきり話題が落ち着き、ゼウスが本題を切り出した。

 「さて、今日君を呼んだのは他でもない。」

 「……見つけたんだね。」

 「うん。まずはこれを見てくれ。」

 机を指で二回叩く。その指の隣には束ねた紙が浮き上がっていた。

 「名前は…………。」

 「本来スレイヤーの力を半端なものが見に付ければ身体が持つはずがないんだ。でもこの子は、それを使いこなしている。普通じゃない。」

 「なるほど……いいよ。また、保護すればいいんでしょ?」

 「あぁ、頼んだよ。」

 マリアは椅子から立ち上がり、眩い光へと歩き出す。

 「じゃあ、またね。」

 「うん。また。」

 身体が光に包まれる。その光は、マリアを遠くに連れていった。

 空間には、温くなった紅茶が2つあるのみだった。その孤独の空間をかすかに吹く風が揺らす。

 「これで、終わりか。下手なことはするものじゃないな……」


 「ここのはずなんだけど…。」

街から外れ、荒野を進み、ようやく見えた一つの村。遠くから見ればそれなりに栄えていた。ただいざその街並みを見ればもぬけの殻。人っ子一人の気配もない。

 目の前に佇む、異形を除いては。

 「まさか、君がやったの?」

 腕が6本。細い体に気色の悪い単眼。それはビクンと体を揺らし────地面に倒れた。

 「……お姉さん。驚かないんだね。」

 「慣れっこだからね。それより、君がエニグマちゃん?」

 虚ろな目が少し見開く。

 「なんで私の名前を?」

 「君を探してたんだ。でも君、大丈夫?ずいぶん食べてないようだけど……」

 「あぁ、いいんです。村の人たちは月に一度一つパンをくれるので。その代わりに村を守っているんです。」

 顔は笑うが、その目には、光がなかった。絶望はなく、自分はただの家畜だと言い聞かせているようだった。

 「……村長さんはいる?案内して欲しいんだけど。」

 「わ、わかりました。こちらです……。」

 村の最奥に一際大きな家が見える。当たりに広がる無駄に広い庭はその人物の性格を表しているようだった。

 「ここです。」

 「ありがとう。ちょっと待っててね。」

 エニグマの頭を優しく撫で、マリアは敷地の中へ消えていった。

 『おらぁ!出てこいや責任者ぁ!!』

 響いてくる怒号、破壊、悲鳴。謝罪と許しを求める男の声に、エニグマの口元は少し緩んでいた。しばらく騒音は続き、数十分―――――

 「エニグマちゃん!入ってきて!」

 ひょこと顔を出す。その顔は、やけに清々しかった。

 足が動かない。いつもなら足を踏み入れるだけであらゆる痛みが待っている場所。手が震える。はるか昔の苦痛が頭の中を白に染め上げる。

 冷たい指先に、温もりが走った。

 「大丈夫。もう一人じゃないよ。私が、君を守るから。」

 エニグマは、すでに彼女の胸の中だった。自分の中でせき止められていたものが崩れ、なだれ落ちてゆくのを感じた。


 『何ようだ。』

 荘厳な扉の向こう側、甲冑から響く低い声が私の足を揺らす。

「し、失礼します。定例報告に参りました……」

『入れ。』

 ひとりでに開く扉の中に入る。目を閉じ、湧き出るもやに身を任せる。その最中に何が起こっているかは誰も知らない。ただ、何が起こるかは目を開けずとも誰もが知っていた。

「もうよいぞ。」

 高く、やわらかい少年の声には嫌な予感がした。私は背が低い。同僚、先輩、後輩全てにおいて自分より小さいものは珍しかった。だがよりのよりにもよって、まさかその「珍しい人」が我らの王であることは、私にはまったくもって予測することはできかった。

「君は初めてだね。所属は?」

「第4天使大隊調査小隊隊長、ミカエルです!以後よろしくお願いします!」

 明らかに私より年下の見た目をしている。

「うん。いい挨拶だ。さっそく始めてくれるかな。」

 しかしリラックスできるかと言われたら、そんな気はまったくもって起こらなかった。その小さな体の内に秘める力が私をねじ伏せてきたからだ。

「はい……!始めさせていただきます……!」

 (いつも通り……いつも通り……!)

 カバンから取り出した紙を一生懸命読み上げる。活動内容、収支、今月の反省点etc……ところどころ噛んでしまったものの特に責められることは無く、滞り無く進んだ。

 「つ、続いてスレイヤー行動記録です。」

 初めて聞く名前だ。だがその名前を口にした途端、落ち着いた空気が一変、肌にひりつくようなピリピリとした空間に変わった。ただでさえ緊張しているのに、頭がおかしくなりそうだ。

 「す、スレイヤーは地上に降り立った後、捜査対象エニグマを発見。保護を確認した後こちらに引き渡すよう指示したのですが……」

 内容に思わず言葉が詰まる。これを言えば必ず王は激怒するだろう。

 「どうした?続けてくれ。」

 「私たちの指示を無視し、エニグマを自身で保護すると……」

 次に私が見た光景は、見慣れた医務室の天井だった。

  

 

 

 


 

 

 


 


 

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