十三

 ここ何年かの積み重ねと最後の一押し的な試験対策をしたうえでいざ高校受験本番に臨んだ友幸は、第一志望だった姉の通っている高校の合格こそ逃したものの、第二志望の公立に受かり、まずまずの結果だと胸を撫で下ろした。その背景には、あの姉でさえついていけないところに自らが行ったら劣等生まっしぐらなのではないのかという不安が付き纏っていたこと、そして同じ公立を受けていた真田も受かっていたという点があげられる。

「とりあえず、阿久比君がいてくれるってだけで、安心して通えるよ」

 自らの三つ編みいじりながら涙をこぼしていた真田を見た友幸は、そこまで嬉しいのか、とやや他人事のように思いつつも、たしかに友人が一人でも同じ高校にいるのはほっとするだろう、と勝手に解釈した。

「ちぇっ、二人で抜け駆けなんかしちゃって。これだから、頭がいいやつは」

 友幸と真田から合格の報を聞いた土生は舌打ちこそしていたものの、その話し方は冗談めかしたものだった。この小太りの友人もまたここ十年で商業高校から共学になったばかりの私立に合格し行き先が決まっていたせいか、口調全体が柔らかいものになっていた。

 その一方で、堀川が図書室にやってこなくなっていた。

 やっぱり、おれ、勉強は苦手なんで。そんなことを告げたひょろりとした少年は、親の伝手を頼って、春から鳶職になるとだけ言ったきり、三人と距離を置くようになった。話しかければ反応こそするものの、受け答えは芳しいものではなく、向こうが避けたがっているようだったのもあり、友幸は話しかけるのに臆病になった。おそらく、一番付き合いが長いだろう真田もまた、似たようにして手を引いたのに対して、ただ一人土生だけが袖にされ続けても話しかけるのやめなかった。

 とにもかくにも、四人ともさしあたっての行き先が決まったあと、空中分解がほぼほぼ決まっていたと思われていた雑誌計画はひっそりと成就した。図書室から去る前の堀川がひっそりと提出した阿刀田高風味のショートショート数本、予想通り風呂敷を畳みきれず俺たちの冒険はこれからだ的に占められた土生の大スペースオペラ、学校の周りの風景や少女の心象風景を拾いあげた真田の十数本の詩、そして友幸がだらだらと書き上げた小説や漫画における立小便についてのエッセイとある年上の少女についての観察記録とも小説ともとれるような代物。そして、発案者土生によって付け加えられた前書きと編集後記。

 出席を拒否した堀川を除いた三人で空き教室に集まり、四人の原稿をそそくさとコピー本として余りも含めて十冊ほど製本して、さして感慨を抱くことなく完成と相成った。

 卒業間近という時期なのも相まってか、人口密度が薄く感じられる校舎内でできたばかりの本にそそくさと目を通し終えたあと、なんとはなしに三人で笑い合う。

 そうしたあと流れで感想会になり、土生の小説にもう少しそれらしい畳み方があったんじゃないかと駄目だししたり、真田の詩のどことなく漠然とした内容に対して、これがあじなんだという意見ともっとはっきりと書くべきだったという意見の間で戦争が起こったり、友幸のエッセイにふざけ過ぎだろうと腹を抱えて笑う少年と白け気味にじと目を向けてくる少女の姿があったり、ある少女の記録を読んだ二人がなんとも生温かい視線を向けてきたり、今この場にいない少年が書いたショートショートをあからさまに丸パクだろうと笑いつつも、その潔い手抜きがある意味悲しくなったり。

 感情のデパートみたいな時間が過ぎ去ったあと、三人の下に訪れたのはなんともいえない虚しさだった。

 その後、卒業式の日、担任教師と図書室奥に控えていた司書、それに校長先生へと作った雑誌を一冊ずつ配り、そそくさと一人帰ろうとした堀川にも無理やり渡した。

「おれ、製本も参加しなかったすよ」

 受けとりをやんわりと拒否しようとした共犯者に対して、土生が、まあまあ、と半ば無理やり雑誌を押しつけた。最終的には堀川も、ありがとうございます、と恥ずかしげに顔を伏せて踵を返した。卒業前の打ち上げにも誘ったが、そちらは、今おれ急がしいっすから、とやんわりと断わられた。

 そんなこんなで式後、ファミレスやカラオケ屋などを梯子しながら、飲めや歌えやの騒ぎに身を投げこんだ。その渦中にいながら友幸は、土生と真田の笑顔を見つつも、どこか心にぽっかりと穴が空いた心地でもあった。それは二年近くともにいたはずの誰かさんの不在であったり、当たり前にあったはずの日常の終わりであったり、この宴自体の儚さであったり、とまあ諸々のことなのだろう、と察しつつも、徐々に失われていく黄金色の砂粒のような時間に身を任せた。


「そんなに深刻になることはないよ。どうせ、すぐに忘れるんだから」

 料亭の非常階段の柵に寄りかかりつつ、姉は友幸に、そうつまらなさそうに告げる。

 地元の会合があると語った祖父母の予定に合わせたことにより、二年前の姉の合格祝いよりもやや遅い時期にはなったものの、家族合同の高校の合格祝い兼卒業祝いはきっちりと開かれた。姉ほどではないものの、まあまあいい高校に入れたのもあり、両親は鼻が高そうであったし、祖父母もまた嬉しそうだった。二年前と違い、友幸も緊張を強いられていなかったのもあり、刺身や小鍋にしっかりと舌鼓こそ打てていたものの、父方の祖父が、しきりに酒を勧めてこようとしてきたのもあり、少し厠に行ってきます、などとわざとらしい言い回しとともに席を立ち、外の空気を吸おうと非常階段まで逃れた。こころなしか二年前よりもやや寂れたように見える茶色い柵に寄りかかってぼんやりとしているところに、同じように抜け出してきたらしい姉と出くわした。

 祖父ちゃん、お父さんと肩肘張って酒飲むのに飽きたのかもね。あたしにも勧めてこようとしたし。どことなく仕方なさそうに笑いつつも、そのまま、ぽつりぽつりとここ最近あったことを話し続ける。姉は試験結果が段々と低空飛行になっていることで祖父母に厭味を言われるのを愚痴りつつも、またタイムが上がってきたことを語るときには笑顔をほころばせ、友幸は友幸で雑誌作りと卒業後にあった打ち上げを中心としたあれこれ、友人たちの卒業後の進路などについて話した。そして、すぐに忘れるんだから、という言葉に繋がる。

「高校に入って、一年もすれば懐かしむこともなくなるんじゃないの。あたしはそうだったし」

 自らの体験をさらっと語る姉。それに友幸は、姉さんは友だちが多いからじゃない、となんとはなしに思ったことを口にする。途端に、姉は豪快な笑い声をあげてから、

「たしかに仲悪いやつっていうのはそんなにいなかったけど、いまだに切れていない本当に親しい友だちなんてせいぜい三、四人だよ。その三、四人の友だち以外の元クラスメートとか友だちともいざ会えばそれなりに話を合わせられるとは思うけど、話した内容も二三日したら忘れてるんじゃないかな。結局みんな、今の方に意識が向いてるから」

 そんな風に言い切る。

 姉にとって、中学でのことをもう、とるに足らない過去の記憶なんだな。終わってしまったばかりで、過去を過去だと割り切れない友幸は、そんな感想を抱いた。そして、自らもそうなってしまうのだろうか、と信じられずにいる。

「あんただって、小学生の頃こととかもう薄っすらとしかおぼえてないんじゃないの。それと同じことが今度も起きるだけだよ。現にあたしは一年も経たないうちにそうなった」

 そんなことはない。言い切ろうとするものの、既に何かと色々あった小学生の時の出来事が遠い昔に感じられるのに気付く。弟の表情を見て、言ったとおりでしょ、と言わんばかりに微笑む姉は、柵に寄りかかり背を逸らしながら天を仰いだ。その視線の先をぼんやりと追えば、満月というには少し痩せた月が浮かんでいる。

「高校に入った途端、嫌なことばっかり起こったりしたら、中学の時のことばっか思い出したりするかもしれないけど、あんたの場合、中学の友だちが一人は一緒の高校なわけでしょ。だったら、最悪、その子と仲良くしていればいいわけだし。それに別に死に別れたわけでもないんだから、中学の時の友だちとも、機会を設けて会えばいい。あたしも何人かとはそうやって会ったりしてるし。けど、あたしの見立てからするに、今のあんただったら普通に高校で友だちできると思うよ。ちょっとは馬鹿じゃなくなったし」

 そう付け加え、実に愉快そうに口の端を歪ませた。

「とにかく、卒業おめでとう、ってだけは言っとくよ。だから、来年はあたしのこともしっかりと祝ってよ」

 月を見上げる視線には、一縷の不安も見受けられない。生き生きとした姉の様子に、友幸も不思議な安堵感をおぼえた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る