中学二年生は恙なく過ぎ去り、友幸も三年となった。

 周りがひたすら慌しくなっていく中で、土生、真田、堀川といった親しい友人と同じクラスになったのもあり、とりあえず話し相手には困らないなとほっとした。

「阿久比君、目指してる高校とかってある」

 クラスが決まってすぐ、四人で集まって話している際に、三つ編みをなでる真田におもむろに尋ねられ、具体的な目標は決まってないなと思いつつも、なんとはなしに今、姉がいる高校の名を上げた。

「それって、阿久比君のお姉さんがいるとこっすよね」

 既にいなくなって一年が経ったにもかかわらず、まだまだ友幸の姉の認知度は衰えていないらしく、ニヤニヤとすかした笑いを浮かべる堀川にそんな指摘をされる。途端に、土生が勢いよく腰をあげ、

「なんだよ、阿久比君。なんだかんだでお姉さんのこと、好きなんじゃないか」

 ばんばんと肩を叩いてきた。当の友幸は鈍い痛みに顔を顰めつつも、

「目標らしい目標は決まってないんだけど、最大限に背伸びをすれば届きそうだって綾原先生が言ってたんだよね」

 二月ほど前にあった三者面談の際、二年時の担任に言われたことを思い出して口にする。土生は頬をひっきりなしに膨らませたりすぼめたりしながら、照れるなよぉ、と面白そうに口にする。

「好きなものは好きって言ってくれていいんだよ。それに、俺らに隠すようなことでもないだろう」

「そっすよ。シスコンやブラコンを恥ずかしがることなんてどこにもないじゃないすか」

 普段、姉の話題を出した際の塩対応のせいか、男の友人二人はここぞとばかりに突っこんでくる。友幸は、そんなつもりはないんだけどな、と頭を掻いたあと、

「けど、最近はまあまあ仲良くやってるのかもしれないね」

 土生と堀川の言い分の一部を認めた。途端に二人の少年はなぜだか異様な盛りあがりをみせはじめる。

 そんなに人の家の姉弟の関係が良好なのが嬉しいのだろうか。疑問に思いつつも友幸は、いまだに口汚い言葉が多分に混じるの姉との会話を、仲良く、と表現して良かったんだろうか、という疑問を持った。

「だけど、おれなんか馬鹿だから、卒業したら阿久比君とは離れ離れになりそうっすね」

 不意に素に戻った堀川の言葉で、あと一年したらなにが起こるのかを意識する。

「そうだな。俺もできれば君に付いていきたいんだが、歴史と国語以外全滅な現状を考えると、なかなか難しいかもしれないな」 

 普段であれば、なにくそ、とでも言いそうな土生もまた、尻込みしているようだった。たしかに、時折聞くテストの結果や通信簿などを鑑みるに、土生は国語歴史を含めても友幸の一回りほど下の成績だったし、堀川にいたっては全教科赤点ぎりぎりのところを低空飛行している有様である。

「私は頑張ればなんとかなるかも」

 ぼそりと呟いた真田の言葉に、友幸も心の中で同意を示す。三人の友人のうち、ほぼほぼ友幸と同じくらいの成績なのはこの真田であり、英語に関しては上回ってもいた。たしかに真田であれば友幸とともに姉の通っている高校に行くのは可能かもしれない。とはいえ、先程言った通りしっかりとした目標はまだ定まっていなかったので、あくまでも成績で考えたらって話だよ、と前置きしてから、

「僕としては、成績じゃなくて近場を選ぶのも手かなとは考えてもいるんだけどね」

 そう付け足す。頭には電車通いの姉がソファに寄りかかってぐったりしている姿が浮かんでいる。部活に情熱を注いでいるからという理由はあるにしても、弟よりもはるかに体力のある姉ですら疲弊することを考えると、電車通学というのはなかなか面倒に思えた。

 直後に、堀川の長い掌が伸びてきて、友幸の頬をやんわりと引っ張る。

「いいっすね。行き先を選べるだけ勉強できて。おれなんかほとんど選択の余地なんてないのに」

 恨めしげに頬肉を伸ばしたり縮ませたりを繰り返す、ひょろりとした友人に、僕だってまだまだわかんないってば、と反論する。真田も、そうだよ、と微かな声で呟いてから、

「塾の先生がこの時期はけっこうな人が成績を上げてくるって言ってたから、今の成績が良くないからって諦めなくてもいいと思う」

 そんなことを口にする。友幸はいまだに摘まれたままの頬を気にしつつ、二三度頷いてみせた。

「けど、元々勉強できる二人が更に追い込んで勉強するわけだろう。だったら、俺や堀川君の負けはもう決まったようなものじゃないかな」

 しかし、土生はいつになく弱気にそんなことを言った。堀川もぶんぶんと頷いてから、

「そうそう。おれら馬鹿にはなかなか追いつくのが難しい世界なんすよ」

 またもや友幸の頬を引っ張りはじめる。

「三年もまだ始まったばかりなんだし、やれる範囲のことをやればいいんじゃないかな。追いつける追いつけないは後回しにしてさ」

 痛みを感じつつも、友幸はさしあたっては自らの思っていることを素直に口にする。そもそも、特に行きたい高校があるわけではないため、とりあえず無理にならない程度に勉強してみてから決めればいいな、とやんわり思っていた。直後に土生が友幸の頭の上に手を置いて、髪の毛をかき乱しはじめる。

「その余裕たっぷりなところ、腹たつなぁ」

 叫びながら、今度はもう片方の手を脇に差しこんでくすぐりだした。

「よゆう、なんて、ない、ってばは」

 友幸が反論を口にしている途中、堀川もまたくすぐりに加わりはじめる。思わず、眼前でわたわたとしている真田に視線で助けを求めたが、少女は困ったように微笑むばかりで、しばらくの間、友幸の笑い声が教室中に響き渡っていた。

 こうしたじゃれ合いはありつつも、四人とも多かれ少なかれ受験に望まなくてはならないという自覚はあったため、適度に息抜きをしながら、集まりに勉強会が挟まるようになった。友幸の中にも、できればこの三人と同じ高校に行きたいなぁ、という緩やかな思いはあったものの、この時点ではやはり先々のことはまったく固まっていなかったといっていい。


 そんな日々を過ごしていた最中、姉が右膝を痛めた。例の同学年で姉よりも足が速い少女に大分タイムが近付きはじめていた時のことだった。医者の診断はオーバーワークに加えて、些細な怪我の数々を、周囲に隠しながら無視したのがたたったというものである。

 この時期の姉は、休日はもちろんのこと、学校帰りであっても、時間さえあればダルそうに走りに行っていた。父に、夜に外に出るのは危ない、と注意をされても、大丈夫大丈夫、あたし逃げ足には自信があるから、と冗談交じりに振り切っていることが多々あった。それ以外にも筋トレや友幸が見たことのないトレーニングをこなしている場面が幾度もあった。

 こうした無理がたたったせいか、姉は数ヶ月の休養を命じられたうえに、元の通り走れるようになるかは定かではないとも言われたらしい。

「しばらく遊び放題って思えば、ラッキーだよね。いやぁ、あんたにはわかんないかもしんないけど、今までずっとしんどいだけだったからねぇ」

 医者から帰ってきたばかりで松葉杖をついた姉は、実に楽しげにそう語っていた。友幸は、そうなんだ、相槌を打ちつつも、その目が赤くなっているのを見逃さなかった。こうした痕跡は、おもに子供の頃の友幸自身が鏡の前に立ってよく見ていたものだった。

「怪我が治るまでは色々楽しもうと思うよ。今まではクラスの子たちの誘いも断わっちゃったりしてたし、この機会に思い切り遊ぶのも悪くないかなって」

 告げてから、受験勉強はちゃんとしないと大火傷するかもよ、なんて冗談めかしたあと、ひらひらと手を振りながら自室へと引きあげていった。

 程なくして、病院に同行した母親がやってきて、友幸の肩を叩いてから、

「しばらく、お姉ちゃんを気にかけておいてくれないかな。私も気を付けるし頑張るけど、私だけじゃ見えなかったりわからなかったりするところもあるから」

 そう頼みこんできた。友幸は、僕になにができるんだろう、と考えたものの、できる範囲でいいなら、と控え目に答える。

「ありがとう。トモ君も今年は大変だと思うけど、できる範囲でお願いします」

 軽く頭を下げる母を見つつも、友幸は姉に対してどう接するべきか、という結論を導き出せないままでいた。ただ、頭の中には赤くなった姉の目だけがぐるぐるとしている。

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