始まりの始まり
「……なあヤルザ。この臭い、キツくなってないか?」
「当たり前でしょ?もう近いんだから。」
「何がだよ?例の現場か?」
「覚悟しときなさい。龍に殺された人間が、どんな末路を辿るのかをね。」
その時、覚悟とヤルザは言った。きっと死体を見る事に慣れていた俺に親切心で言ってくれていたのだろう。
言うまでも無い事だが、龍と人には大きな違いがある。
思考回路に身体、そして能力。全く別だ。別物なのだ。
生物が自分より遥かに劣った生物を殺す時、自ずとそれは殺害よりも破壊と呼ぶ方が近くなる。
その理由は単純。こちらが命をかける必要がないからだ。
覆すことのできない圧倒的な力の差のもと、玩具を弄って壊すのと同じ具合に相手の命を奪う事ができる。
龍もそれと同じなのだろう。俺たちが虫を殺すのと同じ感覚で龍は人を殺す。
だから、人による人の殺し方と龍による人の殺し方に違いが出るのは仕方のない事。
仕方のない事だ。
「な……なんだよ……これ…」
「なんだもなにも、これが全てよ。」
ヤルザはただ言い放った。彼女が唇を噛み締め過ぎて血が出ていることなど、その時の俺には見る余裕も無かった。
どす黒い赤、緋、紅、赫。
奇妙に静まり返った赤い水面が陽の光を反射して目を刺し貫く。
そこに「人間」は既になく。
そこにあったのは、血溜まりに沈む肉片と炭だけだった。
人間と呼べるほどの形を残した死体は一つも残って無かった。
折り重なって倒れたのであろう肉の山は外側が炭化し、内側からまだ血が垂れていた。
どれだけ説明されようとも、目の前に広がるそれが人間だったなど信じることなど出来はしないだろう。
「……ぇっ……げぇぇぇっ…」
気づいたら胃の中身を全て吐き戻していた。今までずっと鼻をついていた臭いは全てここからだった。
目の前にある光景が現実のものに思えない。こんな死に方、人に許されていいものじゃない。
「あなたもまだ子供ね。」
ゼドルの時とは別の理由でくずおれた俺の横をヤルザが通り過ぎた。
上等な服が汚れるのも構わずに血溜まりの中へ踏み込んで行く。
「おい…何やってんだよヤルザ。」
「……運が悪い時ってね、信じたくない事ほど信じなくちゃいけないのよ。中々辛いものね。」
そう言って肉の山に相対した彼女は、躊躇いもせずに腕を中に突っ込んだ。
引っ張り出したのは腕だろうか、取り出したその指先を確認し、何かを確信したのだろう。こちらを向いて顎をしゃくって見せた。
来い、ということだろう。
震える足腰に鞭を打って立ち上がる。
そろそろと踏み込んだ血の池は生温かく足に絡み付いて歩き辛い。一歩踏み出すだけで吐き気が込み上げ、精神が悲鳴をあげるのを押し殺した。
痩せ我慢ならなれている。この程度飲み込めずして商売など出来るはずもない。
震えも吐き気もなんとか抑え込み、ヤルザの前に立った。
「汚さねえって言ってただろ、その服。」
「このくらい誤差よ。赤色が映えていい具合だわ。」
そう言って笑うヤルザの顔と声にも力が無い。
誰かの腕を抱える彼女自身の腕も震えていた。
「その腕の事、聞いていいか?」
「ああ、これね………妹よ。」
ヤルザに結婚の報告をするためにファスの街に向かおうとしていた妹夫婦がゼドルに乗っていたそうだ。
墜落の報告を受けてまさかとは思っていたが、目の前で見せつけられてはヤルザといえど平静ではいられなかったのだろう。
「あぁ…そういうことだったのか。ずっとお前が何か気に病んでる様子だったのが気になってたんだが、ようやく合点がいったよ。」
そういうことよ、と力無くヤルザは言った。
抱えた腕に嵌められた指輪をもてあそびながら、彼女は立ち尽くしていた。
「この指輪ね、私が選んであげたのよ。自分で選んだのに自信が無いって言うから、わざわざ仕事抜け出して選びに行ったのよ。」
「そうなのか…呆気ないもんだな。」
「信じたくないけどね。これが現実。」
ふと、最初に彼女が言っていた覚悟の意味がわかった気がした。
俺が戦おうとしている相手はこういうことができる相手だ。
良心の呵責など持ち合わせず、それゆえに戦えば必ずただでは済まない。必ずどちらかがズタボロになって死ぬことになる。
いずれそうなるのは俺かもしれない。
それでも。この光景を前にしてもなお戦うと言い切れるかどうかを、ヤルザは試しているように思えた。
ならば答えは一つだ。初めから決まっている。
あの時から。
『リトス!お前この程度の操縦すらまだ出来ねぇのか!』
『駄目だ駄目だ!何を見てたんだお前は!もう今日はいい。降りろ。…ったくなんでこんな奴が後継に…』
『商人?馬鹿野郎!船一つ満足に動かせねぇゴミが金を動かせるはずがねぇだろうが!』
『どうせ何も出来ないんだからお前は大人しく俺達の手元だけ見ていればいいんだよ!』
『あぁ?まともに船も動かせねぇノロマに食わせる飯なぞ残っちゃいねぇよ。ゴミ箱でも漁ってろ!』
五月蝿い。今になってまであいつらの声は俺の耳に残っていやがる。
失せろ。
『おい!操縦も出来ねぇんだからせめて整備くらいはまともにやったらどうなんだ!』
『ったく…外装に砂が残ってんぞ!お前どこに目付けてんだよ!それでも俺達のお兄様ですかぁ?』
『なんでこんな奴が後継なんだ…』
五月蝿い。自分の手で船を動かす高揚?そんなの糞喰らえだ。
消えろ。
『おいノロマ!整備終わってんだろうな?』
『少しでも不備があったらまた昨日と同じ目に遭わせるからなぁ!』
『ん?え?おい!てめぇ何してやがる!』
『うわぁ!なんで固定が外れ…がっ…』
『リトスてめぇ…覚えてろ…』
死人が何を言おうともう遅いんだよ。黙ってろ。俺はもうお前らからは自由なんだ。
あんな所もう二度と戻るものか。
「リトス?どうしたのよ上の空で。」
「あ?いや…何でもねぇよ。」
そうだ。俺の心は決まっている。あの時、武器を握る事なく戦うと決めた時から俺の心が変わる事はない。
「ヤルザ。仇討ち、したくないか?」
「何のことかしら?」
「その字の通りさ。あんたの妹をそんな目に合わせた龍をよ、同じ目に合わせてやりたくないかって言ってんだ。」
「……したいに決まってるでしょ。可愛い妹とその旦那を殺されたんだもの。」
「だったら、改めて俺に協力してくれ。その願い、叶えてやるよ。」
「あなたが?吹けば飛ぶような立場と財力しか持ってないくせによく言うわね。冗談でしょ?」
「この光景を見てなお冗談言える人間ならそれこそ信じる価値は無いんじゃないか?俺は本気だぜ。」
「ま、そうね。それで何する気?」
もう足が震える事もない。この悪臭は相変わらず鼻につくが、それすらもどうでもいい。
戦うと誓い、その覚悟を試された以上この程度のことで揺らいではいられないのだ。
「今お前さ、吹けば飛ぶような立場に財力って言ったろ?」
「言ったわね。何か違うかしら?」
「いや?何も違わないさ。だけどここには確固たる地位と財力を持った奴がもう一人いるだろ?」
訝しげにこっちを見るヤルザの目をしかと見据え、俺は仇討ちの計画を話し始めた。
それは俺たちだけではなく、世界丸ごとを巻き込んだ計画。まともな人間が聞けば夢物語と一笑に伏すようなものだ。
それでも、可能性はある。
俺とヤルザとルメールを最大限に駒として使ったその計画。
聞いているヤルザの目が段々と丸くなるのは見ていてなかなかに面白かった。
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