編集済
第1話への応援コメント
つい先ほど、カクヨム様のトップに表示されていた注目作品をさらりと読み、人気があるとはどういうことなのか……と、どうにも言い得ない気持ちが沸きおこり、ついこちらに足を運んでいました。そしてこの作品を読ませていただきました。
私は「踏切がやんだ」の個所でにやりとしてしまいました。
コメントに目を通した所、当個所の指摘をされている方もいるようですが、あくまで私の解釈ですが、いままでの乱雑で不可解だった状況が、すっきりと晴れ上がる(雨がやむ)ような感じがよく表現されている文面だと感じ、私は読んだときに「むむっ!(素晴らしい)」と思ってしまいました。
ラスト3行目の踏切音も、私が今書いているものにもカン!カン!という踏切音を使ってそのシーンの状況を表現しようとしているところがあるのですが、こちらの作品のこの個所でも見事なまでにこの音がメリハリを効かせており、それがラストへの導きになっていると思えます。
そして彼女と1年前はどうやって会っていたのだろうか、太宰作品は何を読んだのだろうか?と、余韻と想像が膨らみました。
私個人の考えとしては、文学は自由であって良いと思っており、読者がその世界に浸れるなら文法や読みやすさも大事ですが、それよりも大切なこともあると感じています。
杜松の実様のこちらの作品も本当に良いものだと思いました。
こういう作品もweb小説で注目されて欲しいなと思えます。
長文失礼いたしました。
作者からの返信
そうなのです! 「踏切がやんだ」は何も音が鳴りやんで、ただ踏切が開いた、だけではないんです!
重里さんのおっしゃる様に、それまでの状態の終わりも意味していまして、それを「雨がやむ」と類似させようとこの言葉を選びました。
僕は重里さんの様な方と知り合えて幸せ者ですね。僕の言いたいことに寄り添って、肯定的な視点で以て解釈して下さり、本当にありがとうございます。
僕はまだまだ力不足ですから、言いたいことを、どんな人にも伝える力は到底ありません。なので、人によっては意図しない受け取られ方、もしくは私の籠めた思いにまで読者を引っ張ることで出来ないことも多いです。
重里さんが書かれていらっしゃる物を読めることを楽しみに待たせて頂きます。
編集済
第1話への応援コメント
杜松の実さま。里企画でははじめてのご寄稿、ありがとうございます。
何かのはずみで彼女の待つ世界への踏切に永遠の遮断機が降ろされてしまったような、不思議で粋な、ミステリーゾーンのようなお話でした!
大好きですが、最後の「踏切がやんだ」以降はない方がクールでは?「踏切がやむ」という言葉自体に文法的な抵抗があり、「他の男たちも我先にと席を立ち」の直後に、「踏切がやんだことに誰も気づいていない」とあって混乱しました。
タイトルには、どんな思いがこめられているのでしょう?
作者からの返信
うーん、お指摘の点がどうしてもずれているように思えます。
最後のシーンは話の構成として外すことはできません。クールに仕上げたいとは思っていませんので、悪しからず。
それから、踏切に対して「やむ」と動詞をつけることに文法的な誤りはありません。「鳴りやむ」とした方が、ストレートではあることは認めます。しかし、ここは変えません。
次に混乱されたようですが、ここでは時系列の逆転があるために、素直に意味が飲み込めなかったのですね。
おや、と思って注意して読んで頂けば、すぐにそういうことか、とわかると思って書きました。
「踏切がやんだことに<まだ>誰も気づいていない」
指摘を踏まえて、と変えます。
私は、書く上で読みやすさだけを重視して書いてはいません。自分の中をより表現できる文章を模索しています。時に、読みやすさ以上に優先するものがあるのは、そのためです。
タイトルの意味を、ここで筆者として語るのは控えます。
第1話への応援コメント
企画参加ありがとうございます。踏切が止んだ時になぜ喫茶店のマスターが真っ先に踏切の向こうへ行ったのか? 疑問に思って考察してみたのですが、夕日と聞いて何かの話で夕方は黄泉の国へ繋がるようなことを聞いたことがあったのでもしかしたらマスターたちは黄泉の国へ行けるのを待っていたのではないかと想像してしまいました。
作者からの返信
伝わりませんでしたか。残念です。
考察の必要も無く理解していただけるものだと思っていたもので……。
うーん、技量不足です。