第32話 ポレットの聖女日記・8

 聖殿跡とはいえ、整備はされているようで祭壇だったらしい石が重ねて置いてある場所や大理石の床は残っていた。

 神官たちが清め、祭壇に白い清潔な布をかける。

 豪華な燭台にろうそくが灯り、香炉が並べられる。

 床には厚手の絨毯が敷かれ、膝を付いても痛くならないように考慮されていた。

 ポレットは狭い道を通ってきたにもかかわらず、あらゆる道具を持ち込んでいる神官たちに感じ入る。


 金糸で刺繍のある白いローブをレインニールが着せてくれた。

 その間、ポレットの目は彼女の胸のあたりをさ迷う。

 女性同士とはいえ直視することは躊躇われるが、先ほどのフロランの話を聞いたばかりなのでどうしても気になってしまう。


 自分のそれと見比べて、ため息を隠す。

 レインニールは決して自分の体を故意に見せつけたりはしない。その健全さをポレットは羨ましく思ってしまい反省する。


「緊張していますか?」

 表情が硬いことを気にしたレインニールが優しく声をかける。

「す、少し」

 今は集中することがある。頭を切り替えようと改めて祭壇を見る。

「いつもと同じで大丈夫です」

 レインニールが深く頭を下げると、ポレットから離れる。


 深く息を吸って、姿勢を正す。

 静かに跪いて両手を合わせる。

 心を落ち着かせ、目を閉じて祈りを捧げる。


 けれども、ポレットを雑念が襲う。

 もやもやした気持ちが胸にある。

 また、しっかりしなくてはと焦る気持ちが空回りする。


 自分でもうまく制御できず困っていると脇に誰かが立った。

 思わず、目を開けて見上げる。

 レインニールだった。

「目を閉じて、呼吸に集中。まずはゆっくりと吐いて、それから吸う」

 急に言われて慌てたが、導いてくれると分かり、指示に従う。


「吐くのを長く、倍の長さで」

 呼吸は吐くほうが大事だって教わっていたのに。

 ポレットは後悔しながら、呼吸を整えていく。

 次第に落ち着きを取り戻し、頭がスッキリとしてきた。


 すると背中に視線を感じた。

 後ろに礎の二人がいるからだ。

 無意識のうちに丸まっていた背筋を伸ばす。

 情けない姿を見せられないと、気合を入れなおす。


 幾度か呼吸を続けると気持ちも澄んで、遠くの音も聞こえるようになった。

「鳥の声が聞こえますね?」

 レインニールの声に頷く。

「鳥は木に止まっています。意識をそこまで広げます」

 言われて出来るか不安になったが、ゆっくりと鳥がいるだろう木々を想像する。

 青い空。白い雲。木々の緑。次々と光景が浮かぶ。

 ふわりと体が浮かぶような感覚に襲われたが、不思議と怖くはなかった。

「鳥はやがて空を飛びます。森を抜け、川を越えるでしょう。遠くに山も街も見えることでしょう」

 その言葉のまま映像がポレットの脳裏をよぎる。

 どこまでもなによりも遠くへ行けるような気がした。



 もう助言は必要ない、とレインニールは礎二人のもとへ下がる。

 ご苦労様、とフロランは視線だけで労う。

「もう大丈夫です」

 レインニールはわずかに頷き、ポレットの背中を眩しそうに振り返る。


「じゃあ、ご褒美」

 フロランは両手をすっと伸ばし、瞳を閉じた。

 ポレットの祈りにフロランの水の礎の力が混ざる。


 その横でレインニールは肩を落とす。

 やっと安定したところに礎の力が入れば、バランスを崩す。

 ポレットの肩が小さく震える。だが、フロランも調整しているのですぐに震えは収まった。


「では、こちらも」

 アレクシは深く息を落とし、瞼を落とす。

 レインニールは深い底から湧き上がる地の礎の力を感じ、ポレットの様子を伺う。

 飲み込まれそうな礎の力の渦の中、必死にポレットが抗っている。

 嵐の中を飛ぶ小鳥のようで、レインニールは温かい目でそれを見つめていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る