夜気が、肌を冷やしている。


 汗を吸ったシャツが、体温を奪っていた。けれど、そんな事は此の際、どうでも良かった。今は只、幸江に逢いたかった。逢って、想いを伝えたい。自分の全てを曝(さら)け出して、想いの丈を打ち明けるのだ。どうしようもなく、幸江が好きだ。眠る時、ふとした時。気が付けば、幸江の事を考えている時が在る。今までは、其の気持ちに嘘を付いていた。見ない振りをして、逃げてきた。嫌われる事が、恐かった。だが、其れ以上に、自分が自分で居られなく為るのが、恐かった。


 だけど、此れ異常は誤魔化せない。自分の気持ちに、嘘は附けなかった。見ない振りなんて、御免だ。斗神會を敵に回す覚悟は、既に出来ている。自分になら、逃げ遂(おお)せる作戦(プラン)も在る。


 山崎を欺き、掟に背く覚悟は在る。


 誰にも、幸江は渡さない。何が在っても、幸江を護り抜いてみせる。


「いらっしゃいませ……大丈夫ですか?」


 愁(うれ)いを秘めた双眸が、此方を見詰めている。どうしようもなく押し寄せる紅蓮の想いが、幸四郎の心を後押しする。


 何も言わずに只、幸江を抱き締める。腕の中で、戸惑い揺れるのが解った。


「俺は幸江が、好きや。何も言わずに、俺に附いて来てくれへんか?」


 はっきり言って、滅茶苦茶な申し出で在る。


 自分勝手で、独り善がりな告白。けれど想いを、抑えられないでいる。一目見た時から、ずっと心を囚われていた。幸江だけをずっと、目で追い掛けていた。想いを打ち明ける術を、持たなかった。


「何が在っても、幸せにする」


 抵抗する素振りはなかった。


 だけど、頬を涙が伝っている。


「お気持ちは、嬉しいです。本当に、心から……嬉しいんです」


「俺じゃ……不服なんか?」


 幸江が拒む理由は、知っている。


「私は、死に見初められた女なんです……」


 涙に、嗚咽が混じっている。


「幸江に近付いた男が皆、死んでるんは知ってる」


「だったら、解るでしょう……?」


 況(ま)してや今は、山崎が狙っている。


 手を出せば、殺されてしまう。


「大丈夫や。俺は、死なない」


「駄目です……本当に。…………駄目なんです」


 自分は、死神。


 死を支配する存在だ。


「死は決して、俺達を引き離さない。頼むから、信じて欲しい」


 どんな者も、死神の前に平伏す。


「死が俺達二人を、結び付けてくれる」


 そっと、涙を拭ってやる。


「私は……貴方に、死んで欲しくないっ!」


 店内の視線が集まっているが、関係ない。


「俺は、死なない。絶対やっ!」


「お願い……解ってっ!」


 強引に、口付けする。


 柔らかな感触が、心を掻き立てる。温かな舌の感触が、心を逸らせる。


「ホンマに、死なへん。約束する」


 幸江の手を引いて、店を後にする。

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