第34節 -天上の薔薇-
玄関の方から何やら騒々しい物音が聞こえてきた。
待合室で待機する玲那斗はジョシュアとルーカス、そしてアルビジアが打ち合わせ通りの作戦を展開し始めたことを悟った。
玲那斗は椅子から立ち上がると真っすぐに待合室の出入り口へと向かい、自分で扉を開けて廊下へと出た。間もなく、玄関から入ってきたシャーロット、ジョシュアとルーカスの3人と鉢合わせとなる。
「今の物音は?」玲那斗はさも何も知らないとでも言うように緊迫した面持ちで状況の確認をする振りをした。
「ダストデビルだ。この辺りで巨大なものが発生する可能性が高い。」
ルーカスの言葉を聞いた玲那斗はヘルメスを起動し、予めセッティングしてある “それらしいデータ” を表示して言う。
「そう時間はないな。急いでセルフェイス氏に伝えた方が良い。」
当然だが嘘である。アルビジアが何もしない限り自然現象としてダストデビルが発生する可能性は皆無だ。しかし、ここは徹底的に演技に徹する。
シャーロットに対しもっともらしく玲那斗は言った。
「キャンベルさん、自分も同行します。」
「分かりました。こちらへどうぞ。」困惑の表情を浮かべながらシャーロットは言う。
そして玲那斗を加えた4人が歩き出そうとした瞬間、今度はシャーロットの持つデバイスが異常を通知する騒々しいアラームを鳴らす。
「どうしましたか?」ジョシュアが言う。
「いえ、庭園を監視しているドローンが新たなダストデビルの発生を感知したようです。」
彼女の言葉で一同はアルビジアが首尾よく作戦を遂行していることを認識した。
「玲那斗、ダストデビルの次の発生位置を予測できるか?」
「噴水を中央に見据え、支部を6時方向だと仮定して噴水から9時の方向15m付近を警戒すべきでしょう。発生後のルートは特定できません。」
もちろん、これも仕込みであり玲那斗の言った位置は次にアルビジアがダストデビルを起こす始点となる位置を示している。
「キャンベルさん、その辺りの位置にドローンなどが存在すれば退避させておいた方が良い。」ルーカスが言う。
助言を受けたシャーロットはデバイスからドローンに対して何かしらの指示を送ったようだった。
その後ろでジョシュアと玲那斗が顔を見合わせる。
全ては予定通りに進行している。シャーロットがドローンをダストデビルから遠ざけてくれれば、自然とアルビジアがこの屋敷に侵入するルートの確保も出来るだろう。
あとは報せを受けたラーニーがイベリスとの会合から一時的に退席して自分達の元の来るよう誘導するだけだ。
運任せな側面も否定できないが、先程のシャーロットの通信の状況からしてこれもうまくいきそうだ。
残るはイベリスがうまく情報を入手できるかどうか。
ジョシュアとルーカス、そして玲那斗は同じ気持ちを抱きながらマークת初となる演技作戦を継続した。
* * *
緊急入電した通信を終えたラーニーはイベリスに言う。
「イベリスさん、申し訳ありません。支部の敷地内でダストデビルの発生が観測されているようです。少し対処と指示の為席を外しますが、すぐ戻りますのでしばしお待ちください。」
そう言い残すとラーニーは部屋を後にして廊下へと出て行った。
どうやらジョシュアやアルビジアの実行している作戦は見事にうまくいっているようだ。自信がないと言っていたルーカスもおそらくは鬼気迫る演技を披露して彼らを欺いている最中だろう。
イベリスは執務室の扉が完全に閉まるのを確認するとすぐに視線を自身の右方向にあるアンティーク調の箱へと向ける。
絵画〈落穂拾い〉のすぐ隣に設置された箱は、よくよく観察するとアンジェリカの言う通りに何かのデータを入力するようなプレートが設置されている。
周囲を一通り見回したイベリスは、監視カメラの類の対してシステムエラーを誘発させるよう自身の能力を行使するとソファから立ち上がり箱の前へと移動した。
「これが機密データの箱。」
箱の周辺を眺めると蓋を開くスイッチのようなものが見て取れた。押すのを一瞬だけ躊躇ったが、結論から言えばそう思っていられるような時間はない。
思い切ってスイッチを押す。すると箱の正面に設置されたプレートにレーザープロジェクションによる数字の配列キーが浮かび上がった。
古典的な暗証番号を選択する形式のようだ。イベリスは自力で考えようとしたが、すぐに考えを改める。
セキュリティについてアンジェリカは “例外として自分だけは” 箱にアクセスできると言っていた。それはつまるところ自分だけが持つ力、能力を行使することで解除できるに違いない。
少しだけ考えを巡らせた後、イベリスは浮かび上がったレーザープロジェクションキーの投影元となる部分に注目した。
その部分を見つめて光の発信パターンを見つめる。すると感覚的なものだが、微妙に周囲と違う投影の仕方をしている数字がいくつか分かった。
見えた数字の順序を可能な限りの配列で並び変えて高速で入力していく。すると単調な電子音が一度鳴り響き、ホログラムモニターが起動したのだった。
ここまでに要した時間はおよそ20秒。ラーニーがこの場所に戻るまでにはもう少し時間がかかるだろう。解放された中のデータを確認する為の時間はまだ余裕がありそうだ。
イベリスは震える手でモニターを操作する。
項目別に綺麗にまとめられたデータベースを眺めると目的の情報は簡単に見つかった。
記録名〈CGP637-GG 運用報告書〉
ファイル名に触れ、データの展開を行い早速データの閲覧に取り掛かった。
〈CGP637-GG 評価試験データ報告〉
●西暦2035年12月24日
Aによって持ち込まれたグリーンゴッドと呼ばれる薬品の評価試験を実施することが決定した。場所はダンジネス国立自然保護区の一画である。
英国政府の承認を得次第、財団による試験特別管理区域の開発を開始する予定だ。
●西暦2036年3月15日
英国政府の承認の元、開発が進められた特別管理区域が完成した。
第一区画から第二区画までへの散布を4月に行い、以後経過観察を経て順次使用範囲を拡大する。
●同年4月1日
第一区画から第二区画への薬品散布を完了。現在のところ目に見える変化は見られない。
●同年4月7日
1週間経過後の様子は見違えるほどである。失われた新緑が再生し、荒れた土壌を薄く覆うまでになった。
●同年4月14日
さらに1週間が経過し、再生された新緑が順調に発育を続けている。ところどころで花のつぼみも見られるようになった。
品種特定の結果、元々この地に原生している種類のものではないということが判明した。どこから持ち込まれたのだろうか。
微細な変化まで記録された資料によると、薬品散布からおよそ2週間あまりの短期間で見違えるほどの自然再生効果が得られたようだ。
原生ではない品種の花についてはおそらく薬品がテクスチャのような効果として生み出したものだろう。特定の花が咲くようにプログラム…或いは薬品そのものに遺伝子操作された何らかの種子が混入されていたものと考えられる。
しかし重要なのはそこではない。財団がこの薬品がもたらす副作用に気付いていたのかどうかの確証を得ることが先決だ。イベリスは具体的に異変が起きた内容などが記載されていないかを探す為、少し月を飛ばして読み進めた。
そして夏を過ぎて秋口に差し掛かった頃の記述に目を留めた。
●同年10月12日
何かがおかしい。植物の発育が完成し、確かに豊かな自然は取り戻されたように見えるがとても奇妙だ。
本来原生しない植物の品種が数多にも渡り確認されていることも奇妙な点であるが、何より薬品を散布した土地にはある特定以上の “変化” が見られない。
●同年11月5日
ダンジネス国立自然保護区に生息していた野鳥の姿がほとんど観測されなくなった。
また付近に生息していた野鳥の中で、管理区域内の樹木に実った果実を食べたと思われる鳥が通常ではあり得ない硬直状態で死亡しているのが確認された。
●同年11月7日
異常な死を遂げた野鳥を解剖した結果、体に備わっている神経系がことごとく破壊されている状態であった。特に視神経への影響がひどく、おそらく末期は何も視界に捉えることができなかったのではないだろうか。
●同年11月15日
管理区域周辺で起きた異変について、新型薬品の影響を示唆する解析結果が得られた。
緊急で管理区域を全面閉鎖し、外部からの観測を不可とすることを決定。
見つけた。財団は薬品がもたらしたであろう副作用についておよそ半年後には認知していたという記録だ。
管理区域を閉鎖してからも内部での実験は継続され続けていたようだが、以後の資料から浮かび上がってくるのはどれも “異常” を指し示すような記述ばかりだ。
さらにそれらが薬品によってもたらされたという指摘で溢れかえっている。
イベリスはさらに1か月後の記述に目を通す。
●同年12月9日
財団へグリーンゴッドを持ち込んだAに対し、薬品がもたらしたと思わしき数々の異常について問いただした結果、それらが “正常” な作用であるという回答があった。
我々は騙された。 “緑の神” と呼ばれた奇跡の薬品は世界的な自然破壊と生物学的遺伝異常を引き起こす悪魔の薬品だったと認めざるを得ない。
そしてイベリスが資料の次の記述に目を通そうとした瞬間であった。突然、肩を誰かが掴んだ。
驚きを持って振り返った視線の先にいたのは庭園で発生するダストデビルへの対応の為に階下へ行ったはずのラーニーだった。
「悪いお方だ。その資料を細部まで見てしまった以上、貴女をこのまま此処から帰すわけにはいかなくなりました。」
体ごと振り向いては見たものの強く肩を掴んだ手を振りほどくことは出来なかった。
貫くような彼の視線が自分を見据えている。イベリスは恐怖でほとんど息が出来なくなった。
「英国政府の許諾無しでは強制調査権は発令出来ない。にも関わらず我々財団の管理する機密資料へのハッキング、及び無断閲覧を組織ぐるみで行ったこと。これだけでも大きな問題となりますが、我々にとってそれ以上に大きな問題となる “事実” に貴女は触れた。」
身長の高さ以上に大きく感じる彼の圧倒的な剣幕にイベリスは何も言葉を発することが出来ない。
右肩を掴んだ手はさらに力強く握られ、すくんでしまった脚ではその場から一歩も動くことも出来ない。
その身に秘める異能を使えばこの状況など簡単にどうとでも出来るはずなのに何も出来ない。
怯えた表情を浮かべたイベリスにラーニーは言う。
「ですが、僕もこのことをすぐに問題として取り上げるのも本意ではありません。交換条件を提案しましょう。イベリスさん、貴女が機構を抜けて我々財団の元へ来てくださるのであれば、今回の “違法調査” については黙殺することを約束します。」
そう言ったラーニーの目には執念にも似たものがこめられているのをイベリスは感じ取った。
「答えは今この場でお願いします。」ラーニーはじりじりと間合いを詰めながら答えを迫る。
交換条件だという彼の言葉は脅迫に近い。
イベリスは視線を真っすぐに彼へと向け、しかし声を震わせながら言う。
「どうして貴方は私の顔に見惚れて、貴方の元で献身的に輝き花咲く美しい彼女の方へ目を向けようとしないのですか?」
彼女の言葉にラーニーが動揺を露わにしつつ、何かを言おうとしたその時だった。
突然建物全体が地震に襲われたかのように激しく揺れた。
衝撃によってラーニーは態勢を崩し、イベリスの肩を掴んでいた手を離して床へと体ごと投げ出された。
対するイベリスは隙を突いて少し離れた位置まで瞬間的に文字通りの光速移動を行った。
床に倒れ込んだラーニーは体を起こし、イベリスへ視線を向けると再び距離を詰めようと迫る。
出入り口から一番遠い窓を背後にした壁際にいるイベリスはこのままでは逃げ場を失ってしまう。彼の視界に自身の姿がある状態で異能を使うわけにもいかない。
そして再びラーニーがイベリスへ手を伸ばそうとした時に執務室の扉が勢いよく開かれた。
「彼女から離れろ!」
ラーニーとイベリスは咄嗟に視線を扉の方へと向ける。
そこにはジョシュア、ルーカス、そして玲那斗の3人の姿があった。
ただならぬ剣幕でイベリスに迫るラーニーを見た玲那斗は誰よりも早く彼女の元へと一直線に走り、そしてイベリスを庇う様にして彼の前に立ちふさがった。
「そこまでです。強制調査権が既に英国政府から我々に対して発令されています。」玲那斗は厳しい視線でラーニーを見据えて言った。
ラーニーは玲那斗を睨みつけるように見つめて言う。
「それは本当のことでしょうか?我々はまだ英国政府に対して疑義の内容に関する回答をしていません。対象からの応答がない状態での調査権発令はあり得ないのでは?」
「会合では既に回答をしたと言っていたけれど、嘘を吐いていたのね。」玲那斗の後ろでイベリスが言う。
「僕には守らなければならないものがあります。これは政治的な駆け引きですよ。」
「だからこそ、我々機構も政治的駆け引きを取らせて頂きました。」ラーニーの言葉にジョシュアが言う。
ルーカスがヘルメスのホログラムモニターを起動し、ラーニーに見えるように提示して言った。「これが強制調査権の令状です。」
そしてジョシュアは訝しむラーニーに対して種明かしをするように言った。
「貴方のおっしゃる通り、財団側が正式な回答を保留した場合は通常であれば調査権の発令をすることは出来ません。 “特例” を除いては。実の所、我々機構が英国政府に対して行った要請の中には、本日午前8時を持ってセルフェイス財団からの正式な回答が政府に対して行われない場合は、その返答を待つことなく強制調査権の発令を発行できるという条件がありました。機構と国家が結ぶ協定には独自条項が盛り込まれることがありますが、世界主要国と機構との間には今回のように政府の意思のみで国内の調査対象となり得る組織等に対する調査が出来るように命じる権利があり、今回はそれが採用された格好です。」
玲那斗が続ける。「我々は国際的な独立機関です。国家の承認がある場合は当該国の法に関わらず、互いが定めた協定に基づく特別法に基づいて行動する権利が認められています。調査行動に対する治外法権及び協定に基づく特別法によって、午前9時30分を持って発行された強制調査権の効力により、彼女のデータ閲覧は違法ではなく正当な調査となります。」
ラーニーはマークתの一同を見渡しながら言う。
「なるほど。貴方がたにしか与えられない自国の警察や軍隊より強力な権限…英国政府は我々財団を心底から信用はしていなかったということなのでしょう。そんな政府のお墨付きというのであれば仕方ない。しかし解せない。僕と彼女の会合が始まる以前に強制調査権の発令が成されていたのであれば、なぜそれを直接的に行使してデータ閲覧をしなかったのでしょうか。犯罪紛いの手法で強行する必要はなかったはずです。」
「隠匿を防ぐ為、と申しましょう。権利の主張を先に行った場合、我々がデータの確認を行うまでの間にデータ消去や隠匿が行われる可能性がありましたから。貴方がた財団にはそれを可能とするだけの備えがおそらくはあるだろうと踏んでいました。」ルーカスが答えた。
「高い評価を頂き光栄です。ですが、ここまで来て貴方がた機構は大きな勘違いをしているようだ。」ラーニーは大きく息を吐きながら余裕の笑みを浮かべて言う。
「データの閲覧はされましたが、それを貴方がたはまだ証拠として残していない。隠匿を防ぐ為というのであれば、もう少し時間を稼ぐべきでした。」
ラーニーはそう言うと突如振り返り、すぐ近くにある隣の部屋へ続くであろう扉へと走った。
そして、誰もが突然の行動に反応できない内に扉を開くとその中へと入り、内側からロックを掛けることに成功したのだった。
「玲那斗!記録データを早急に確保するんだ!」ジョシュアが叫ぶ。
号令と同時に玲那斗はすぐ近くにあったアンティーク調の箱からホログラム表示されている記録データの抜き取りを行うべくヘルメスでの記録を開始しようとした。
だが、僅かに遅かった。隣の部屋でラーニーが何か細工をしたのだろう。表示されていたデータは消失し、モニターにはただ一言〈No record〉の文字が浮かび上がった。
「遅かった!」玲那斗はそう言うと箱から離れ、ラーニーが立ち入った扉を開けようと試みる。
しかし、ノブを回してもドアはびくともしなかった。どうやら当主しか立ち入ることの出来ない特殊なセキュリティが掛けられているらしい。
ルーカスが急いでドアに近付き、一目観察して言った。
「ノブそのものが生体認証装置になっているらしいな。 “セルフェイス氏が持てば” 自動的にロックが解除される仕組みのようだ。」
「してやられたか。ロック解除は出来そうか?」
「少し時間がかかります。こういうのは進んでやろうとは思えませんが…ヘルメスから解除コード割出しを行います。所要時間はおそらく5分程度かと。」ジョシュアの問いにルーカスは答える。
「急ぎとりかかってくれ。彼がデータを消去する以外に何をする気なのかは分からないが、この状況では “何をしても” 不思議ではないからな。」
「了解しました。」ジョシュアの言葉にルーカスは同意した。
機構に与えられているのはあくまで “調査をする権利” である為、仮にラーニーの逃げ込んだ部屋へ突入したとしても彼を拘束する権利はない。
しかし、現状はどんな行動にでるか分からない彼をそのままにしておくことも出来ないという判断である。
ラーニーの後を追う為の作業に入った2人の様子を見た玲那斗は、扉の件はひとまずルーカスに任せて離れることにし、自分はイベリスの傍へと戻った。
「大丈夫か?イベリス。」
「玲那斗。えぇ、平気よ。ありがとう。」
差し出された手を取りながらイベリスはしっかりと立ち上がった。
「君が無事でよかった。」
「でも肝心なデータの抽出は出来なかったわ。」
「どうにでもなるさ。ルーカスが何とかしてくれる。」玲那斗が親指でルーカスを指しながら言う。
「そうね。」イベリスは安堵の微笑みを湛えながら言った。
「彼は今から何をする気だろう。」
「財団の存続と安寧が一番の目的だと思うわ。」玲那斗の問いにイベリスは答える。
「なら不都合なデータの削除と、俺達が公式に薬品に関する情報を発表する前に何らかの情報発信をするなりといった手を打つ気だろうな。」
「玲那斗、彼は…」
「分かってるよ。決して最初から悪意を持って薬品を用いた訳ではない。けど、今は彼らの計画と行動を止めないとな。」動揺するイベリスに対して玲那斗は穏やかに言う。
イベリスは狂気に囚われる前のような表情で自身に迫ってきたラーニーを思い出す。彼が守りたいものは財団そのものであることは明白であるが、もしかすると本当に守りたいものは…
どうしてもある考えが頭から離れず、玲那斗の言葉には小さく頷いた。
* * *
支部の長い廊下をサミュエルは身を潜めるように歩いていく。
つい先程、自身が半ば囚われていたと言って差し支えない部屋の中からサミュエルが解放してくれたのだ。
サミュエルが朝食を部屋に運んできた後、彼はテーブルの向かい側に座り自分と対面したときにこう言った。
「数時間後に当支部より貴方を連れ出します。」
その言葉の真意を続けて彼は話してくれたが、その内容を聞いた時は正直驚いた。彼が話したのはこの屋敷で使用人として働くシャーロットという少女のことである。
本来彼女はセルフェイス家の令嬢という立場であり、自らが仕えるべき人物であるのと同時に、長年彼女と共に過ごす中で本当の家族のような感情を覚えたというのだ。
現当主であるラーニー・セルフェイスがまだ幼かった頃、彼女はこの家へ来たという。
彼女がこの家に養子としてやってきて以後、ずっとすぐ傍で仕えてきたことで情というものが芽生えたのだという。それは祖父が孫娘に抱く家族愛のような思いと同義だと彼は言った。
故に、アルビジアという少女と共に過ごす自分を見た時、とても他人事のようには思えなかったのだと。
その間柄をある種の脅迫のようなやり方で無理矢理に離れ離れにしてしまうことはしたくなかったと言っていた。
当主の意向よりも1人の人間としての感覚に従い、自分がアルビジアと共にいられるように計らおうというのが彼の行動の根底にあるものだった。
ジェイソンは彼の気持ちと行動に感謝を抱きながら、指示されたルートを外れないようにして玄関へと向かって静かに歩いた。
そして1階へと辿り着き、最後の角を曲がったその時。開け放たれたままの玄関ドアの向こうで巻き起こる砂煙の中から見慣れた1人の少女が館内へと立入るのが見えた。
ジェイソンは思わず彼女の名を叫んだ。
「アルビジア!」
彼女はすぐにジェイソンに気付き彼の元へと歩み寄った。
「お爺様、良かった…」アルビジアは安堵の表情を浮かべながら言った。
「執事の方が私を外に出してくれたんだ。お前と私のことを想ってくれての計らいだった。さぁ、アルビジア。今の内に一緒に帰ろう。」
しかし、彼女はジェイソンの言葉に対して静かに首を横に振った。
驚嘆の表情を見せるジェイソンにアルビジアは言う。
「出来ません。私は行かなければならない。私の為に動いてくれた彼らの元へ。」
彼女が向かおうとしているのは機構のマークתの4人のところだろう。ジェイソンは言葉が示す人物達のことがすぐにわかった。
それと同時に、彼らを頼りなさいと言いながら都合よく利用しただけとなっている自分を深く恥じた。
ジェイソンは言う。「分かった。思うようにやりなさい。ただし、私も一緒に行かせてもらう。」
彼の言葉にアルビジアは戸惑いの表情を見せながら答える。
「お爺様…私がこれからすることをその目にしても、私のことを嫌いにならないで頂けますか?」
悲しそうに言う彼女の姿を見たジェイソンはその目に涙を浮かべつつ答える。「嫌いになど…なるものか。なれるものか。」
言葉を詰まらせながら答えたジェイソンの瞳を見つめながらアルビジアは頷く。
「分かりました。行きましょう、彼らの元へ。道筋は、私の “友” が示してくれています。」
イベリス。不思議な空気を纏う少女。彼女のことだろう。ジェイソンはアルビジアの言う友という人物が機構の彼女であると理解した。
「では行こう。彼らの元に。」
ジェイソンは彼女の言葉をそのままに返事をした。
そして2人は並んで歩き出す。代表執務室まで、脇目もふらず、しっかりとした足取りで。
この先に何があっても、後悔などしない為に。
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