第24話 覚醒の炎

 レブリィが収まり、ようやく余裕を取り戻したが、スマゥトは再び驚く羽目になった。落ちてきた女が、起き上がろうと蠢いていたからだ。


「生きてるっ?」


 イリアには、その女に見覚えがあった。ぼんやりとではあるが、間違えようがない。先日、ネェロで襲ってきた女だ。全身がズタボロなのに、目からは異様な光が放たれていた。

 リコは、全身を駆け巡る激痛を無視して、目ざとくイリアを見つけた。


「おまえ、ラグナと一緒にいた女だね……おまえもクロエの所に行こうってのか……」


 クロエ? 初めて聞く名だが、すぐに思い当たった。そのクロエなる人物こそ、ラグナが追っている相手だ。リコは、クロエを守るためにラグナと戦って、敗れたのだ。


「どいてください。あなたはもう、助からない。無駄なことはやめてください」

「揃って同じようなセリフを吐くのね。憎らしいガキがっ!」


 リコはイリアに突進した。どこにそんな力が残っているのか、重傷とは思えないスピードだ。


「きゃっ!」


 構えていた杖が、うまい具合にガードとなった。しかし、凄まじい力に薙ぎ払われて、イリアの体はふっ飛ばされた。


「きゃああっ!」


 天地がひっくり返る。心臓の奥底まで届く恐怖に貫かれる。痛みを感じたのは、その後だった。

 体が傷ついても、杖だけは守った。ラグナは精神力と想像力を高めさえすれば魔法は発動すると言っていたが、自分はまだその域には達していない。

 立ち上がりながら、スマゥトの位置を確認した。地面に転がり、大の字に横たわっている。攻撃の巻き添えを食ったのか、激しく出血している。相当の痛みがあるはずだが、ピクリとも動かない。非常にまずい状態だ。早く治癒しなければ、命に関わる。


「こんな時まで他人の心配かっ? 私をナメてるのかっ!」


 リコから体毛が伸び、顔も歪んでいる。すでに人外へと変身しつつあるリコの姿に畏怖を覚えるが、怯むわけにはいかなかった。

 リコの攻撃は、イリアに留まることを許さず、詠唱する暇も与えなかった。


「あんたみたいな小娘でも、魔法を使われたら厄介だからね」


 リコは重傷だ。左脚があり得ない方向に曲がっている。本来の俊敏性を発揮していないから、なんとか避けられているが、それでもギリギリだった。いつまで保つかわからない。

 イリアは腰に装着しているホルダーから武器を取り出した。ラグナから与った小型のクロスボウだ。

 ラグナの言いつけ通り、今日まで訓練を重ねてきた。狙いを絞る余裕はなかったが、イメージした的に当てることは可能だと思い、トリガーを引いた。

 超至近距離からの発射と、リコがイリアの攻撃手段が魔法しかないと思いこんでいたことが重なって、放たれた矢は見事にリコの右脚に突き刺さった。


「うがあっ!」


 リコは悲鳴と共に、腕を思い切り振った。


「ああっ!」


 イリアを辛うじて守っていた杖が、真っ二つに折られ、薙ぎ払われた彼女は、木の幹に激しく激突した。

 揺さぶられた枝から、大量の葉が強引に振り落とされる。

 口の中に血の味が広がる。全身が分断されるくらいの激痛に頭が痺れ、意識が遠のく。それでも、瞳はしっかりとリコの動向を捉えていた。


「我は偉大なる精霊の従者なり。我が求めに応じ、猛き炎を沸かせたまえ……」

「魔法を発動させるの? いいよ。やってみなさい。一撃くらい避けてみせる。それから、あなたの首を切断してあげるわ」

「アロウズッ!」


 イリアの詠唱に導かれ、紅蓮の炎が顕現した。牙を剥く獣の如く、リコに襲い掛かる。


「無駄よっ。威力は中々だけど、真正面から撃って当たると思ってるのっ?」


 クロスボウから放たれた矢は短すぎて、太ももの奥にまで入り込んでいる。切り開かない限り、抜くことは不可能だった。それでもリコは、激痛に耐えて身をかわした。矢が食い込んでる傷から、血が吹き出した。


「言われなくたってっ!」


 イリアはリコの動きを予想して、クロスボウを放った。離れている分、今度はじっくり狙いが定められる。

 イリアの狙いは額だった。いくらデーモンでも、頭を撃ち抜かれれば生きていられない。

 矢は炎とは比較にならない速さで、リコに突き進んだ。矢の動きを追い、目が見開かれ、瞳が縮んだ。


「うがっ⁉」


 矢を受けた衝撃で、リコの首が大きくのけぞった。


「あ、当たった……?」


 だが、リコは倒れなかった。彼女から発せられたのは、悲鳴ではなく不気味な笑いだった。


「ククッ……クククク……」

「………………」

「予測しないと思ったの? クロスボウでの奇襲を成功させたあなたなら、もう一度その武器に頼ると思ってた。ラグナの連れとは思えない単純さね」


 リコは、矢をガッチリ咥えていた。人間離れした反射神経で、口で矢を防御したのだ。


「ううっ?」

「あなた……ラグナに置いていかれたのね? 足手まといになるって言われた? 当然よねっ。あんたみたいなガキが入り込んでいい戦いじゃないっ!」


 ここぞとばかりに罵倒し、暴言と一緒に矢を吐き出した。


「いいえ。入り込ませてもらう。私はラグナについていくって決めたんだから」


 予想外の、イリアの力強い声。リコの眉がピクリと動く。


「あなたこそ、予想しなかったの? そして推測しなかったの? 矢での攻撃が気を逸らすためのものだったって」

「なに?」


 イリアに言われて、リコは初めて頭上の異常に気づいた。赤い。そして熱い。


「うおおおおっ⁉」

「さっき、あなたに幹に叩きつけられた時、葉が大量に落ちてきたでしょ。私が狙ったのは、あなたではなく葉の方。これだけ密度が高ければ、火は次々と燃え移り、凶暴な業火となる」


 火が雨のように降り注ぎ、リコを焼いた。崖からの落下で全身の骨が砕けているうえに、イリアから射られた矢が、まだ脚に食い込んでいる。力を振り絞っても、とても避けきれるものではなかった。


「よくもっ、きさまっ! よくもこんなことおおぉぉっ!」


 リコは獰猛な呪い言葉を発した。普段なら萎縮して動けなくなるほどの、怨念のこもった叫びだった。しかし、イリアはすでに魔法詠唱のために神経を集中させており、強い意志はリコの呪縛を跳ね返した。


「我が拝する精霊に告げる。僭越の命に従い原初の力を解放せよっ。紅蓮の業火を以て弾け、すべてに等しい無を与えたまえっ」

「やめろっ! きさまっ! やめろおぉぉっ!」

「アオス・ブルフッ‼」


 すでに全身火だるまのリコに、追い討ちする一撃だった。

 これまで使った魔法とは比較にならない火力で、それは爆発と表現するに相応しい炎の濁流だった。火炎の顎がリコを容赦なく食らいつく。


「おまえなんかにっ! ションベン臭いガキの魔法なんかにぃっ!」


 森の中に、リコの断末魔がこだました。かつて、あれほど願っていた死は、その魅惑から抜け出した今になって訪れた。


「……私は七聖剣の英雄、ラグナ・フェアラットに付き添うマーギアーよ。ナメないで」


 震えて杖を握る手には力が入らず、腰も砕けてしばらく立ち上がれそうにない。それでも、精一杯の虚勢を張った。少しでも弱気になると、リコの強烈な呪いに引きずり込まれそうだったからだ。

 倒れて動かなくなったリコを凝視しながら、イリアは早くスマゥトを治療しなければならないと考えていた。

 治癒魔法を施したスマゥトを、レブリィの背に乗せた。自分一人の力では乗せることはできないと困ったが、驚いたことにレブリィがしゃがんで協力してくれた。スマゥトを救うために、自分の力が必要だとわかっているのだ。


「すま……ねえ、な。ここからが坂になってて……きついってのに……」


 スマゥトは、弱弱しく声を絞り出した。口惜しさと心苦しさが織り交ぜられている。


「そんな……スマゥトさんには、なんの責任もないです。むしろ、巻き込んでしまった私の方が謝らないと……」


 イリアの治癒魔法により一命は取り留めたが、傷が完全にふさがったわけではない。早くネェロに帰して、休ませなければならなかった。


「引き、受けた仕事を、途中で投げ出したって知られたら……おやっさんに、どやされる、な」


 彼なりのジョークなのだろう。口元を緩ませ、歯を見せた。


「エストーザで、は、なにか……大変なことが、起こってるん、だろ?」

「それは……」

「ネェロに……着いたら、おやっさんに……迎えを寄こすよう、言っとくよ……」

「いえ、それは……ちょっと危険だと思うから……」

「だったら、なおさらだ」


 会ったばかりの見ず知らずの少女のために、スマゥトは力を貸してくれようとしている。なんの得にもならないし、自分がこんな目に遭っているのにも関わらずにだ。


「ありがとう……ございます」


 もっといろんな言葉で感謝の気持ちを伝えたかったが、イリアはそれだけ言うのが精一杯だった。もどかしい思いが、余計に胸を熱くする。

 杖を強く握ったせいで、少し熱のこもった手でレブリィの首筋を撫でた。そして、今更ながら、折られた杖でも魔法を発動できたことに気づいた。


「ネェロまで帰れるわね? 一緒に戻ってあげたいけど、どうしても行かなきゃならないの」


 レブリィは軽くいななくと、方向転換し走ってきた道を戻り始めた。スマゥトが振り落とされないように、ゆっくりとした穏やかな走りだった。


「……いい子ね」


 イリアは、しばらくレブリィの後ろ姿を見送ってから、視線を上に向けた。霧はすっかり晴れており、崖の上にも森が広がっているのが見えた。道を見失わなければ、エストーザにたどり着けるはずだ。


「ラグナ……今、行くから」


 イリアはエストーザを目指して歩き出した。

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