『“魔法”の世界』の『王』たち――『残虐王』スカーレット②

 と、右手の指が震え始めたことにスカーレットは気がついた。

「……またか」

 震える右手首を掴み、ふっと息を吐く。同時、手首ごと外側に向けて半回転させた。ゴキ、ブチブチ、という腕の骨が折れた音と、神経や血管が捻じれて千切れた音が鼓膜まで届く。あまりの激痛に背中を丸めて悶える。

 内出血を起こした右手首が、倍以上に腫れあがる。捻じれた箇所から、灰紫色の煙を上げて修復されていく。その一回で、手の震えは止まった。

(痛いじゃないか。自分の体だろう?)

 と、自分の内側から声がした。埋め込まれた欠片の元の人格である、『あいつ』だった。

(君が酒に弱いことを失念しつねんしていたよ。まさか、ワインを三本開けただけで意識を失ってしまうなんてね)

「お前、また俺の意識と体を奪ったな?」

(さあね。どうだったかな。ふふ……)

 優しげな声だが、底知そこしれぬ不気味さを感じる。こうして話すのは、これが初めてではない。

(会議を開いて集まるなんて、君たちは真面目まじめだね。私の時は、会議なんて一度も開いたことはなかったよ。

 君の中でそれを聞いていようかと思っていたのだが、終わったあと、面白い話をしていたのでね。少し代わってもらった)

「その間に、ユースフェルトが来たのか?」

(さあね。どうだったかな。忘れてしまったよ)

 のらりくらりとかわしていく。言う気がないのは明らかだ。

 スカーレットが持つ『嘘』の魔法の効果は他人の嘘が分かるだけであって、どこまでが嘘か、ということは分からない。そして曖昧あいまいにされれば、それも嘘か真実かどうか判断できない。便利と言えばそうだが、使いにくい効果でもある。

「あ、いたいた」

 今度は声とともに、空中に一人の少女が現れた。

 着ているのはえり付きのノースリーブシャツに、少しかがんだだけで下着が見えそうなスカート。暗い赤色の髪をツインテールに結び、可愛らしい尻尾がスカートから伸びている。

 この少女は、スカーレットが学生だった時に召喚しょうかんした、悪魔という種族の生物だ。名前はあるらしいが答えてくれないので、スカーレットは「小悪魔」と呼んでいる。

「なんだ、小悪魔」

「あんた、酒の飲みすぎで頭痛いんでしょ? 水持ってきてあげたわよ」

 あたしに感謝しなさいよね、と言って、小悪魔はコトリと小さなコップを机の上に置いた。コップと言うよりは、小さなさかずきだ。

 初めて見かける食器だった。大きさは手の平に収まるぐらい。全体がくすんだ金色をしている。中にそそがれているのは、ただの水のようだ。

「……随分ずいぶんと準備がいいな」

「あんた言ったじゃない。自分に薬や毒は効かないから、水だけ持ってきてくれって」

 そうだったか。昔、そんなことを言ったような気もするし、最近そう言ったような気もする。頭痛でよく思い出せない。ズキズキと響く痛みが、考える力を奪っていく。

 他人の魂の欠片を入れて造られた自分たちに、一般的な薬や毒は効果がない。原液や魔獣用でようやく、それらの影響が出るのだ。

「この杯はどこから持ってきた?」

「知らない。あたしはあんたから、自分を次見かけたら、これに水を入れて持ってきてくれって言われただけよ。

 ちょっと、健忘症けんぼうしょうなの?」

 馬鹿にしたように小悪魔が笑う。

「ていうか、そろそろおやつの時間だけど。ケーキはないの?」

 と、話を変えた。左手で頭を押さえたまま、スカーレットは答える。

「……冷蔵庫に、昨日の夜作ったやつがあるだろ。それでも食ってろ」

「そんなの、とっくに食べちゃったわよ」

「は? 嘘だろ……。18センチのホールケーキだったんだぞ。それを作るために俺がどれだけ、仕事を調整したか……」

「嘘じゃないわよ。あんた、あたしが嘘を言っているかどうかも分かるでしょうが」

「まあそうだが……」

 持ってきた杯をちらりと見ながら言う。小悪魔の言葉は嘘ではないことを把握する。

「ちなみにあたし一人で食べたんじゃないわよ? 昨日の夜中にペルドットの馬鹿が来たから、半分ずつ分けて食べたわ」

「……そうか。朝起きてキッチンに行ったら、台風が来たのかというぐらい滅茶苦茶めちゃくちゃだったし、壁に包丁が刺さっていたが。あれは一体どういうことだ?」

「ああ、ペルドットがあんたのケーキを独り占めしようとしてたから、つい投げちゃった。他は知らないわよ。あいつも色んなものを手当たり次第しだい、あたしに向かって投げてきたから」

「そうか……」

 あっさり白状はくじょうした小悪魔に頭痛がさらに激しくなったのを感じる。まったく言葉が出ない。

「この屋敷には、俺が許可した奴以外が一歩でも入ると即死する魔法をかけているんだがな。ペルーはまた、何度も死んでまで侵入してきたのか……」

 街から少し離れた所に建つこの屋敷は、一般人が簡単に入ってこないよう周囲を生きたいばらで囲んでいる。それに加えて建物との境界には、スカーレットが許可した人間以外は、一歩入っただけで即死する魔法がかけられている。

 無断で入ろうとした者は茨にのまれ、じわじわと餓死がししていくのだ。そして彼らの死体は、スカーレットが『残虐王』として持つ「人間の常識を超えた残酷ざんこくな出来事を実現させる」魔法で、意識が残ったままの死体として裏庭に並べられる。

 苦し気にうめき声を上げる彼らのおかげで、屋敷に侵入する人間は、ペルドット以外誰もいない。

「ペルドットの馬鹿がここに来るのはいつものことでしょ。じゃ、ケーキよろしくー」

 小悪魔は体を紫の煙に変え、その場から消え去った。

「……」 

 また一人残されたスカーレットは、深いため息を吐き出す。

「ケーキ作りを頼まれる『残虐王』か。はっ、笑えるな……」

 独り言で呟きながら、小悪魔が持ってきてくれたさかずきに手を伸ばす。小悪魔の言葉も、この杯のことも、一ミリたりとも疑ってすらいない。

「ここもいっそ託児所たくじしょみたいにするか? それで孤児院の子供たちを集めて、『残虐王』じゃなくて『育児いくじおう』とか名乗るか。裏庭も芝生しばふでいっぱいにして、遊具と砂場でも置くか?」

 スカーレットは、机の上の杯を手に取りながら独り言を呟く。

「……そうなったら、間違いなくフランに馬鹿にされるな。ペルドットは子供が嫌いだから、ここに来なくなるかもな」

 さらに独り言を言って、杯を持ち上げる。何の疑いも持たないまま、それを口に近づけていく。

 傾け、中の水を喉に流し込む。一口飲んだ後、持っていたその杯を、机の上に静かに戻した。

「……やれやれ。どのような付き合いであれ、他人の言葉は疑うべきだよ。『残虐王』」

 彼の表情が、一変していた。いつもどこか張りつめていた顔に、優しげだが底が知れない笑みが浮かんでいる。口調も、スカーレットの内側から話しかけていた人物のものになっていた。

「これはね、『かみさかずき』という神器じんきだ。神器の中では最も低級ていきゅうあたいするが、面白い力を持っていてね」

『彼』は、自分の中に引きずり下ろした本物のスカーレットに説明するように、杯のふちを指でなぞりながら語り始めた。

「これの効果は、注いだ液体を飲ませた人間の、内面に隠しているものを開放するというものだ。この時代ではレプリカがいくつか作られているそうだね。

 君もその一つぐらいは見たことがあると思っていたが……私がワインを楽しんでいたせいで、君は頭痛によって、それすらも気がつかなかったようだね。

 ちなみにこれはれっきとしたオリジナルの『神の杯』だ。君と代わっているときに手に入れ、誰にも見つからない場所に隠していた。

 あとは、これに注いだ水をどうやって君に飲ませようかと思っていたのだが、会議のあとここに戻ってきたとき、さっきの悪魔の少女を見かけてね。少し手伝ってもらった。

 君が持っている『嘘』の魔法は、元は私のものだったんだ。いいだろう? 私がその魔法をどう使っても」

 そこで、右手が激しく震え始めた。本物のスカーレットが意識と体を取り戻そうとしているのだ。『彼』は震える指を左手で掴むとそのまま、ポキ、ポキ、と折っていく。そのたびに、本物のスカーレットが痛みに声を上げているのを自分の中で感じる。

「『案内人』が言っていたが、今回のゲームに過去の駒が参加してもルール違反ではないらしい。ならば私も、このゲーム盤に立つ駒の一つだ」

 本物のスカーレットが、段々と意識の奥に消えていくのを感じる。痛みで気を失ったのだろう。好都合こうつごうだと『彼』は思う。

「キーキャラクターというのはユーリのことだろう。監獄にはジーニーがいると言っていたが、今度は管理人の役なのか、『願望がんぼうおう』」

『彼』は、がたりと椅子から立ち上がった。右手の震えは収まり、捻じれた指が灰紫色の煙を上げて修復されていく。

「ユーリも可哀想かわいそうに。誰かの駒として盤上とゲーム盤に置かれるのは、これで何度目だろうね。

 可哀想だからさっさと殺して、このゲームを終わらせてあげよう。そしてもう一度、私の“勇者と魔王のゲーム”を広げようか」

 言いながら、部屋の扉に向かう。

「その前に。いつの間にかこの屋敷に入ってきたネズミを、先に始末しまつしないといけないね」

 そう言ってドアノブをひねり、『彼』は部屋を出た。

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