『“魔法”の世界』の『王』たち――『喜劇王』ペルドット③

「……はあ、面倒くさい……」

 景色の中から、しゃがみこんだ人間の姿が浮かび上がる。先程の男が、巨大なサーカステントの出入り口の上、むき出しになった鉄骨部分に姿を現した。

 男の外見年齢は、三十代前半というところか。整った顔に浮かぶのは、ひどくやる気のない表情だ。耳までかかるほどの藍色の髪が、風になびいている。

 男がいるこのテントの周りには、渇いてひび割れた土以外何もない。遠くのほうに、街の明かりがかろうじて見えている。

 このテントが『喜劇王』にとっての城だ。地下には自分の部屋と、側近たちの部屋が作られている。地上部分のステージでは、『喜劇王』が気分によって、たまに自分だけのサーカスを行っている時もある。

「寒いし、このまま帰っていいかなあ…………あ、ダメだ。僕の部屋に誰かいる。あーあー、ぬいぐるみはあとで使うのに……」

 自分の部屋に向けた探知魔法を通じて、中の様子が伝わってくる。先程の側近が投げ捨てた道化のぬいぐるみを片付けている。それを視界の端で見ながら、男は独り言を呟いた。

「……これでのこのこ戻っていったら、間違いなくスカーレットを呼ばれちゃうね……。はあ……」

 と、面倒くさそうにため息をついた。

「くしゅっ!」

 そして、一つくしゃみをして。

「うう、寒い……。早く終わらせて部屋に戻ろう……」

 言いながら、のっそりと立ち上がった。自分の部屋に向けていた探知魔法を打ち切り、今度は国全体に広げていく。

 華やかな街の中では、ぎらぎらと光る宝石を身に着けている太った女性が、蟻の行列のように使用人を引き連れている。港では、老夫婦がにこにこしながら買い上げた奴隷たちを船に積むよう指示している。

 歌劇場から男女が出てくる。道の端では、若い青年が芸の練習をしている。百六十キロに及ぶ男の探知距離が、それらを男に伝えていく。

「……『喜劇王』などこの世界にはいない。『喜劇王』を認めない……」

 暗い路地にへたり込んでいる男が、そんなことをぶつぶつ言っているのを感じ取る。

「『喜劇王』はこの世界にはいない。そんな『王』はいない」

 違う場所でも、家族全員がリビングに集まって同じ言葉を繰り返している。

 彼らはひとしきり呟くとナイフを取り出し、自らの喉に突き刺して自殺した。どさりと横に倒れこんだ死体たちは、全員、光る粒子となって消えていく。

「『喜劇王』を認めない。この世界にそんな『王』はいない」

「この世界に『喜劇王』などいない。そんな存在は“否定”する」

「……『喜劇王』などこの世界にはいない。そんな『王』はいない……」

『喜劇王』を“否定”する声がだんだん増えていくのを、その男は感じ取っていく。

「“否定”か。面倒くさいなあ……」

 男は独り言で言いながら、右手の人差し指でぽりぽりと頬を掻いた。“否定”の言葉は魔法すらも打ち砕く強力な一言だ。これを放っておけば、『王』すらも、その肩書と力を失ってしまう。男は自分の中の『王』の力が薄れていくのを感じる。

「自分の存在を“否定”されるなんて、これはなんて悲劇ひげきかな」

 独り言で言い、右手の親指と中指を合わせて、音を鳴らす直前で固める。男は、『喜劇王』としての魔法を唱えた。

「さぁさぁ今こそ、悲劇ひげき喜劇きげきに変えましょう。

 まくげるかんだよ。さぁさ、みなさまちゅうもく

『喜劇王』としての魔法を唱え、パチンと指を鳴らす。その瞬間。

「『喜劇王』を認めない。この世界にそんな『王』は……」

「この世界に『喜劇王』など……」

「そんな『王』は……」

 ぶつぶつと『喜劇王』を“否定”していた人間たちは、全員が二頭身ほどの道化の人形に変わった。人形たちは家や建物を飛び出し、このテントに向かって走り出す。

「きゃあ! なに⁉」

「これは『喜劇王』様の“人形ドール”じゃないか!」

 通行人が驚きの声を上げる。それを男は探知魔法で感じ取る。

 男が『喜劇王』として持つ魔法は、自分が「悲劇」と感じたあらゆる出来事を、めちゃくちゃな「喜劇」に変えるというもの。それぞれの『王』も、肩書かたがきに関連する魔法を持っている。

 しかし『王』としての魔法は当然、その『王』である、とこの世界に認められていなければ使えない。『王』の肩書を失った瞬間、その魔法も使えなくなってしまうというわけだ。

 このテントに向かっていた道化の人形たちが、景色と同化するように薄くなる。そのまま、パッと消えていなくなった。

「この世界に『喜劇王』などいない。この世界に『喜劇王』など……」

「『喜劇王』を“否定”する。そんな存在はいない。そんな『王』はいない」

「『喜劇王』などいない。そんな『王』は、この世界にはいない……」

 再び、自分の存在を“否定”する声が上がっているのを、男は探知魔法で感じ取る。

『喜劇王』を“否定”する声は収まるどころか増えていく。彼らはひとしきり呟くと、ナイフを突き刺して自殺していく。そして倒れた死体は、光る粒子となって消えていく。

「……」

 男はまた、ぽりぽりと人差し指で頬を掻いた。

 この男の名を、ペルドット・アレイスキーという。この国を統べる人物であり、『王』たちの会議で、唯一顔を出さなかった『喜劇王』である。

「……」

 ペルドットは、人間たちの“否定”の言葉によって、自分の中の『喜劇王』の力が薄れていくのを感じる。

 何かを考えるように、さらに十秒ほど黙ると、ペルドットは言った。

「もういっか。面倒くさいし、まとめて全部殺そう」



『喜劇王』という名をかんしているペルドットだが、その肩書通り周りに喜劇を振りまいているわけでもなければ、『喜劇王』という仮面を被って、その役を演じているわけでもない。ペルドットの性格と行動原理は、驚くほどシンプルなものである。

 ペルドットにとって、とある人物の近くにいるためには、その人物と同じ『王』となったほうがいいと判断しただけのことであって、この国に対しての愛着などは微塵みじんもない。この国を最小という大きさにとどめているのも、自分が余計な魔力と労力を使いたくないからである。

 アーガストが今日まで国として維持できているのは、そんなペルドットを見かねて、優秀な人間たちが自ら進んで政治関連のことをまとめたり、スカーレットが手を貸したりしていたからだ。



 ペルドットはもう一度指を鳴らし、『喜劇王』としての魔法を発動させた。五百人ほどが道化の人形に変わり、それを最後に、『喜劇王』の肩書と力が完全になくなったのを、ペルドットは感じた。『王』から、ただの「魔法が使えるだけの人間」になったことを理解する。

 それでもペルドットの表情は一ミリも変わらない。覇気はきのない顔で、街のほうを眺めている。

「……そうだなあ」

 と、ペルドットは呟いた。

演目えんもく人形劇にんぎょうげきにしようかな」

 と言って、右手の指を鳴らした。それと同時にして、テントの出入り口……閉じている幕の前に、道化の人形が出現する。その数はゆうに三百体以上いるだろう。全てが、手にノコギリやナイフを持っている。

 これはペルドットが、自分の魔力を削って生み出した人型人形だ。“人形ドール”と呼ばれるこれらは一般的にも売られており、簡単な命令しか固定できないが、人間たちの間でも使用されている。

 ペルドットが、この“人形ドール”たちに固定した命令はただ一つ。「ペルドット・アレイスキー以外の、この国にいる人間全ての虐殺ぎゃくさつ」である。恐ろしいほど単純な思考が行動原理になっているペルドットは、不必要だと判断したことを切り捨てる理由もまた、実にシンプルなのである。

「演目名は、『にんぎょうたちのあかよる』だ。きっと皆、楽しんでくれるね。さ、行っておいで……」

 その言葉に、道化の“人形ドール”たちは一斉に街へ向かって走り出す。

 まもなく探知魔法を通じて伝わってくるのは、“人形ドール”たちによる一方的な殺戮劇さつりくげき。道化の人形がけたたましく笑いながら凶器を振り回し、壁や店の看板に、飛び散った血が付着する。『喜劇王』を“否定”していなかった人間たちはその光景にパニックになる。

「『喜劇王』などいない。そんな『王』を認めない……」

 ぶつぶつ言っている男を、道化の“人形ドール”がナイフで刺し殺す。

「『喜劇王』を認めない。そんな『王』を認めない」

「そんな『王』などいない。『喜劇王』などいない……」

 家の中で呟いている男女がいる。突然窓を割って、道化の“人形ドール”が入ってきた。顔や体にガラスの破片が刺さったまま、けたたましく笑いだしてノコギリを振り回す。千切れた二人の首が、床に落ちて転がった。

「は、早く船を出せ! 金ならいくらでも持ってる! 俺を先に乗せろ!」

「あたしが先よ! どきなさい!」

「早く乗れ! 『喜劇王』様の“人形ドール”が来る! あの人形が…………う、うわああああ!」

「ケヒ、ケヒヒヒヒ!」

「アハハハハハ!」

 港に殺到さっとうし、我先にと逃げようとしている人間たちを、道化の“人形ドール”たちが皆殺しにする。ペルドットはそれを、探知魔法を通じて感じ取る。

 道化の“人形ドール”たちは、楽しそうに歌い始める。

「おいらは人形にんぎょう。喜劇をえんじる道化の“人形ドール”。ご主人様の命令通り、どんな役だってこなすのさ! 

 ナイフがびりゃあ、なぐって殺そう。手足がもげたら噛みついてやれ。その演目が、おいらが主役の『人形たちの赤い夜』! 飛び散る臓物ぞうもつ、増えてく死体! 肌に染み込む血はあったかい!

 おいらは人形。道化どうけの“人形ドール”。ぼっちゃんじょうちゃん、楽しい楽しい喜劇はいかが?」

人形ドール”たちは止まらない。もういいかと、ペルドットは国全体に広げていた探知魔法を打ち切った。

 と、そこで。側近の思考が頭に響いてきた。

(『喜劇王』様! こ、これはいったいどういうことですか⁉ あなたの“人形ドール”が、国民たちを虐殺し始めているという報告が……)

(あ、僕、もう『王』様じゃないんだよね)

(……は?)

(じゃ、そういうことだからさ)

 ペルドットは一言だけ返すと、側近に対しての思考を切断した。

「あとは……」

 ペルドットは右手の人差し指を動かし、新たに道化の“人形ドール”を数体ほど、側近たちがいる地下に生み出す。“人形ドール”たちには魔法が使える人間から優先的に殺すよう命令した。まもなく中に飛ばした探知魔法から、人間たちの悲鳴と絶叫ぜっきょう、“人形ドール”たちの笑い声が伝わってくる。しかしペルドットにはどうでもいい。ペルドットはあくびをした。

 と、テントの幕から一人の人間が出てきた。数分前、部屋に来た側近だった。そして先程思考を飛ばしてきた人物だ。左腕が根元からなくなっている。

「『喜劇王』様、あなたは、あなたは……!」

 鉄骨部分にいるペルドットに、側近は右腕に持っている銃を向けた。この『“魔法”の世界』で、ただの銃器が魔法使いを殺せるわけもない。ペルドットは名前も知らない側近を、覇気のない目で見下ろしている。

「だからさ……もう僕、『王』様じゃないんだって」

 側近を見下ろしながら言う。その体に、道化の“人形ドール”がまとわりつく。悲鳴を上げる彼の心臓が、背中から貫かれた。

 この人間を含む側近たちがいたからこそ自分は『王』でいられたし、この国は維持できていた。彼らが自分とこの国を支えてくれなければ、自分は『喜劇王』の肩書を持てはいなかっただろう。

 まあそのことなど、ペルドットにとってはどうでもいいのだが。

 胸を貫かれた死体が、どしゃりと地面に倒れる。その男が思考魔法を使える最後の一人だった。死体は光る粒子とともに消えていく。今まで、死んだ人間の体はこのように消えることなどなかった。これは明らかに、この世界全体で異変が起きていることを示している。

 それでもペルドットの表情は、やる気のないままである。

「……くしゅっ」

 ペルドットは、くしゃみをした。ぶるっと寒さに身を震わせる。街の中と、テントの中が静まり返ったことを、探知魔法で感じ取る。命令を遂行すいこうした“人形ドール”たちがパッと消えていき、ペルドット以外、生きている人間はいなくなる。

 広げていた探知魔法を打ち切る。風が、血と内臓の匂いをここまで運んでくる。

 着る服を用意してくれる人間も、部屋を掃除してくれる人間も、風呂を沸かしてくれる人間もいない。

 ペルドットは、呟いた。

「……さすがに疲れたなあ。魔力もほとんど使っちゃった。ちょっと寝たら、スカーレットの所に行こうかな。ついでにお風呂も借りよう」

 ペルドットの姿が周りの景色と同化し、そのまま、どこかへと消えていった。

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