Last word 「さようなら」①

 残った元祖黒いパソコンに目を向けてみる。キーボードの右隅に、いつからか大きな脂っぽい汚れがある。仲間が消えたというのに、相変わらずワードボックスだけの画面を映し続けていた。


 僕はそんな無愛想な黒いパソコンをウェットティッシュで拭いた。こっちは人に送る前に綺麗にしたほうがいい――。


 以前はお菓子を食べた手で触らないようにするくらいの努力をしていたが、動画検索ができるようになってからは、黒いパソコン使用時における手の状態の縛りは無くなった。外出から帰宅してすぐ使うことも多かった。


 だから入念に――。液晶画面からキーボードの隙間、裏側まで拭いた。最終的に6枚のウェットティッシュを使ったが、後半になっても使ったウェットティッシュが多少黒く汚れた。黒いボディで気付きづらかっただけで、思ったよりも汚れていた。


 最後に普通のティッシュで湿り気を取ると、山になったゴミを丸めてゴミ箱に投げる。


 いよいよ2つ目というか1つ目の黒いパソコン、元祖黒いパソコンともお別れである。


 2つ作ったからといって、1つ残したりはしない――。


 なぜどちらも手放すのに黒いパソコンを2つにしたかというと、その方が“面白いから”である。


 端的に言えば面白いからで、それ以上の理由もそれ以下の理由もない。


 この遠い宇宙でも未来でも検索できる黒いパソコンを使うことは本当に面白い。僕は何度も笑ったし検索結果に目を輝かせた。


 黒いパソコンを手放す為にした送信方法の検索のときですら同じで、作り方の検索でもそうだった。


 きっと僕以外の誰が使っても面白いだろう。この世界に知りたくても知れないことが全くない人なんて果たしているだろうか。誰しも好奇心が湧く対象があるはずで、どうにかしたい悩みもあるはずだ。


 つまり僕はお人好しで、この面白さを、この感動を味わう人を増やすために、黒いパソコンを所持する人を増やしたい。だから、黒いパソコンを増やした……。


 と、ただそれだけな訳がない――。


 僕は自分がまだ楽しむ為に、黒いパソコンを増やしたのだ――。


 だって1つでもこんなに面白いパソコンが2つになったら……この先の世界は一体どうなると思う……きっと僕の知らない、想像もつかない未来が待ってる。


 僕は先ほど黒いパソコン2を誰かに送るときも優しい人という条件だけでなく、面白い人という条件もイメージしていた。


 そして、僕のように溺れてしまってダサくならない人というのも。


 これはちょっと難しいだろう。でも、仮に溺れそうになっても溺れ切ってしまわなければ最終的には絶対黒いパソコンと出会えて良かったと思えるはずだ。


 僕がイメージした通りの人の元へ黒いパソコンが届けば、きっと僕とは違う形で検索を使って、この世界をより良いものにしてくれるはず。


 僕にはない発想で、まだこの世には無い……知らない何かを生み出す。それは現時点では存在すらしないから、僕が黒いパソコンを所持したままでは絶対に経験できない何かだ。


 知らなければいいこともある、知らないことがあるからこそ人生楽しい部分もある……というのは折原との件で身に染みて分かったことだ。実際、黒いパソコンを使わずに折原とデートしたあの時が僕にとって人生最高の瞬間だった。


 折原がデートの誘いを承諾してくれた時、顔を合わせて笑ってくれた時、カラオケで歌を聞いた時、あの時の胸の高鳴りは一生忘れられないだろう。今でも思い出すと鼓動が大きくなってくるくらいだ。


 だから、僕はその知らないことを増やしたい――。またあの時の感情を味わってみたい――。


 先が見えないことって面白いのだ。黒いパソコンと出会わなければ、この事実を強く意識することは無かっただろう。


 僕が今抱いている感情も、やろうとしている行動も、黒いパソコンを使ったことが無い人から見たら信じられないものかもしれない。


 でも僕は確かに、もう既に、未知が待つ明日以降の日々に胸を膨らませている……。全知である黒いパソコンを手放す……。


 そう、僕は僕が楽しむ為に――知らないことを減らせる黒いパソコンで、知らないことを増やす――。


「で、いいんだよね……」


 頭の中の整理が終わると、僕は言った。


 自分で自分に問うてみたのではなくて、目の前の光沢を取り戻した黒いパソコンに言った。


 自分の中ではもう迷いはないけど、一応最終確認として自分よりも優れた先生や先輩に肯定を求めるような気持ちで言った。


 どんなに会心の出来だったって、他人から見れば駄作かもしれない。


 でも黒いパソコンから返事がもらえる訳もないから……。


「うん、いい」


 僕は自分で言って、結局自問自答のような形になった。


「さようなら」


 今度は声に出して言うのではなくて、黒いパソコンへキーボードで入力してみた。


 これも一方通行になると思うが、別れの前にちゃんと挨拶しておきたかった。


 しかしEnterキーを押すと、黒いパソコンの画面は切り替わった――。

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