word58 「夢 叶え方」㉒

 こんなに一気に盛り上がる観客を僕は知らなかった。しかも相手は記念式典の場にいる進学校の生徒と先生――。歌に期待していた訳ではないはずなのに――。


「行き場がなくて彷徨い歩くように夜へ溶け出したっ そんな振りした私の体は夏なのに冷たくって」


 1発目からエンジンを全開にするような曲ではあった。それにしても、やっぱりすごい。


 すぐ隣で聞いているとマイクに乗せる歌声が――大きさが響きが――鮮明に感じられる。鼓膜にダイレクトに注がれているみたいで、そこから体中が痺れる。


 この折原の歌でしか味わえないと思われる感覚を今初めて味わっている人たちが、我を忘れて――思わず声を出してしまうのは仕方がないか。


 拍手や歓声は歌が途切れる度に前方から聞こえてきていた。


「爽快な気分 誰も味わえない私だけの景色 狼狽したあなたの顔 まだまだ忘れられない――」


「ああまた狙い通り 思惑通り この世界は私中心に回ってるの――」


「人生なんてこんなもんねー気付かぬうちに階段上ってたー 重いくらい持ってるからあれもこれも欲しいならくれてやるわ 私、もうどこまでも突き抜けるから――」


 カラオケでも歌っていた、折原が好きらしい攻めたアーティストのヒットするきっかけになった曲。


 歌詞は尖っているけど、曲調は華やかでノリやすい。サビの盛り上がりではボーカルの実力がストレートに発揮される。


 本当は記念式典でこんな歌と言われる少々不適切な曲だった。でもきっとそんなことはもう誰も気にしちゃいない。全神経を聞くことに集中させている。


 僕はずっと手元だけを見てギターを弾いていた。そうしていないと、折原の歌声に圧倒されてミスをしてしまいそうだったから、必死になっていた。


 それでもかろうじで見える手前の席と、聞こえてくる声だけで、客席の熱狂っぷりは伝わってきた――。


 ひたすら脇役として折原を引き立てることに徹した。おかげで、目立つと思われるミスは1度もしなかった。


 そして2回目のサビが終わって、曲が静かになるタイミングで一際大きな拍手が起こった。


「やっば」


「うまー」


「あれうちの生徒なん?ドッキリちゃうん?」


 折原の声の響きが残る中に、一足早い感想の声も聞こえてくる。


 ここからは僕の見せ場でもあった。大サビまでの間奏には少し難易度が高いギターの演奏がある。


 毎晩のようにギターを抱えて、できるようになるまで苦労したコード進行。僕はここでもミスをしないように注意しながら、指に力を入れた。


 なるべくそれがバレないように注意しながら頭でリズムを取って、ジャンジャカジャーンと掛け声にした音を脳内で叫ぶ――我ながら、上手くいった指捌き――。


 けれど、直後の簡単な演奏になるタイミングで顔を上げて見ても、僕の方を見ている人などいなくて……僕の渾身の演奏は、折原の歌声のざわつきにも負けていた。


「星空の一部になったみたいな夜景 あなたがどれだけ素敵にエスコートしてくれても……もう止まらない そこのけ そこのけ 私が通る……」


 演奏を始めてから初めて折原の横顔も見ることができた――。


 笑って歌う曲じゃないから、あの歌った後に見せる笑顔をしてはいなかった。だけど見下ろすように上段の席を見上げて、僕にしか分からないくらいほんのり上げた口角。


 その恍惚とした表情もまた僕の視線を釘付けにした。


 同時に敗北感も僕の胸に訪れた――。


 どれだけ僕が頑張ってきたかも知らないで、あんなに気持ちよく歌って――。


 どれだけ僕が頑張ってきたかも知らないで、あんなに満ち足りた表情をしている――。


 だけど、それでいい――君は知らなくていい――。


 こんなに凄いんだもの――君はもっと広い世界に羽ばたくべきだ――初めから不釣り合いだったのかもしれない――。


 君は僕なんて振り返らずにこのままどこまでも――。


 気持ちが良いほど打ちのめされたことで、最後まで納得いかなかった思いがようやく洗い流されたような気がした。

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