第7話 英雄の棲む地 その四



 おそらく、女の仲間なのだろう。周囲にはほかにも数人いて、すでに石像と化している者もいた。


 人間たちをかばって、天使はひたすらガタノソアの巨大な触手に鞭打たれている。ガタノソアは怒り狂っているようだ。


 それにしても醜い。

 無数の触手と小型の吸盤に覆われた毛玉のかたまりのようなもの。触手のうち、とくに大きな数本が足で、顔と思えるまんなかにも一本あるのが不出来な象のようにも思える。下半身は巻貝になっていた。


 なんというか、小型のクトゥルフだ。


(あれ? 変だな。おれ、見てしまったけど、石にならない?)


 効果は遅れて表れるのかとも思ったが、そんなふうでもない。ふつうに動ける。

 龍郎が両手をとじたり、ひらいたりして確認していると、どこからか声が届いた。



 ——助けてください!



 あの女だ。度々、龍郎たちの前に現れた女の霊だと直感した。

 十数メートルも離れているのに、女がまっすぐ、こっちを見つめているのがわかる。女……いや、まだ少女と言ったほうがいい。


(助ける? おれが?)



 ——お願い。あなたにしかできないことです。わたしたちの神を助けてください。このままでは魔神に倒されてしまいます!



(でも、おれにできるだろうか? 相手は邪神だ)


 クトゥルフを滅するには苦痛の玉、快楽の玉、すべての力を重ねた上、マルコシアスやガマ仙人、それにルリムの率いる多数の戦闘天使の力を借りた。

 苦痛の玉を失った龍郎が、単身の力で邪神を倒せるだろうか……?


「本柳くん。ガタノソアはクトゥルフの第一子だ。かつてムー大陸で崇められていた。生贄を求める神だ。だが、今さっき、君、ヤツの姿を見たね?」

「見ました」


「でも、石化しない。どうやら、君はヤツの能力を無効化できる。ヤツのやっかいな点は石化だけだ。それが効かないなら、クトゥルフほどの強敵ではないよ」

「わかりました。それなら、やれるかもしれない」


 龍郎が決心すると、手の内で退魔の剣が凝固する。青白く、清冽せいれつに輝く刀身。刃が氷のごとく冷気を放つ。


(力が増している)


 おそらく、フサッグァを吸収したせいだ。剣がフサッグァの絶対零度の炎を帯びている。ふれただけで相手を燃やしつくす冷たい火だ。


「ヤァーッ!」


 自然と体が動く。

 痣人あざと神社を守っていた武士の力も、まだ龍郎のなかにある。苦痛の玉は譲ったものの、すべてを喪失したわけではない。


 かけこんで、怪物の目前で跳躍する。今しも、天使の頭上にふりおろされそうになっていた触手をぶつ切りにした。


 キエエエエーンッ——と耳をつんざく轟音が、ガタノソアの口からもれる。むしろ、口があったのかと、龍郎はちょっとおかしくなった。


 龍郎の刃がふれた部分から、ガタノソアは青白く燃えていく。だが、その火は途中で消えた。完全に滅却するまでの力が、龍郎にないのだ。


(くそッ。やっぱり、ムチャなのか?)


 しかし、ダメージはあった。ガタノソアはあたりの樹木を倒しながら、そこらじゅうをころげまわる。

 穂村の言うとおりだ。この神には、クトゥルフほどの凄まじい力はない。


 ガタノソアは七転八倒しながら、触手を伸縮させて攻撃してきた。地を這う大蛇のように、ウジャウジャとからみあう。それほど素早くはないから、襲ってくるたびに右に左によける。が、これでは近づけない。


 すると、人間たちをかばって、うずくまっていた天使が立ちあがった。龍郎のほうを見て、うなずく。


 次の瞬間、天使は龍郎をかかえて宙に飛んだ。ガタノソアの頭上に、ひと飛びで移動する。目の下にガタノソアの頭頂部が見える。そこにクチバシのような突起があった。パクパクするたびに毒々しい真紅の粘膜がほのみえる。


 天使が片手で、そのクチバシを示した。


(あれが、ガタノソアの弱点か?)


 クチバシの奥で何かが脈打っているのが見えた。灰色がかった青緑の臓器。どうやら、あれがガタノソアの心臓のようだ。


「あれを破壊すればいいんだな? もっと近づいてくれ」


 天使は無言のまま急降下する。クチバシがみるみるうちに迫る。

 龍郎はガタノソアの頭に着地するやいなや、剣をつきとおした。刃が根本までガタノソアの口中に飲みこまれる。


 咆哮が森を震撼しんかんさせる。音のつぶてが突風のように、しばし続いた。

 そして、やがて無音になる。

 ガタノソアの巨躯は、とつぜん粉みじんになった。浄化され、龍郎のなかへ吸収される。


 天使の姿も淡くかすんでいく。次元の離れていく感覚があった。


 あのアイヌの少女が微笑んでいる。



 ——ありがとう。サマイクル。



 サマイクル。それは魔神と戦った伝説の英雄の名前ではなかっただろうか?


 少女の微笑も、やがて見えなくなった。



 *


 気がつくと、ストーンサークルのなかで、ぼんやりと立っていた。となりには穂村もいる。


「龍郎さーん。早く帰りますよ? 急がないと日が暮れますからねぇ」


 獣道のあたりで、清美が手招きしている。


「穂村先生。あれは……?」

「うん。まあ、結界を通して過去とつながったというか。あるいはこの地に残る無念な思いが、今も邪神にとらわれていて、君を呼んだか」

「なるほど。じゃあ、とりあえず、浄化はできたんですね?」

「でなければ、ここに戻っては来れんよ」

「ですよね」


 早く早くと、また清美が呼ぶので、龍郎たちはそっちへ向かって歩きだした。


「先生。おれ、悪魔を倒すと吸収するんですけど」

「うーん。どうも、不思議なことがあるもんだ」


 龍郎の身に何が起こっているのだろうか?




 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る