第5話 星の湖 その四
さわいでいるのは、宿のオーナーだった。外から帰ってきて、玄関口で大きな声を出している。
「誰か——誰か……」
「どうかしたんですか?」
「た、大変だ。外に……」
外で何かあったのだろうか?
視線を送るものの、濃い霧がたちこめていた。何も見えない。
龍郎はとにかく外へ出てみた。穂村やヨナタンも追ってくる。それで勇気をふるいおこしたのか、オーナーもついてきた。
「こっち……こっちです」
オーナーが指さすほうへ歩いていく。宿の裏手だ。オーナーの自家用車が停車しているその前に人が倒れていた。いや、あきらかに発火死体だ。黒こげの
「流行りの人体発火のようですね」
龍郎が言うと、オーナーは青ざめた顔をさらにひきつらせた。小声で何やらつぶやく。
「……アペカムイ」
「えっ? なんですか?」
答えたのは穂村だ。
「アイヌ語で、火の神だ」
「火の神……」
火の精がやたらと大群で出現する昨今、それはなんとなく不吉な語感を持っている。
「火の神って、オーナーは何かご存じなんですか?」
オーナーは乗り気でないようだった。話してもらえるよう説得するには、かなりの時間を要した。龍郎と穂村が二人がかりでさんざん頼みこんで、やっと重い口を割らせる。
「いや、私は地元の人間じゃないので、よく知らないんだが……」
「それでもいいです。なんでもいいので教えてください」
朱鞠内湖はダム建設時に、大勢が事故や病気で亡くなっている。人柱があったなんて都市伝説もあるくらいだ。だから、その関連だろうと考えていたが、違っていた。
「このあたりの古い言い伝えですよ。年寄りが子どもをおどすために使うような」
「ほほう。おもしろい」と、これは穂村。
「まだダムができる前、このあたりではよく火の玉が見られました。とくに夏の夜には数えきれない数の火の玉が夜空に浮かびあがったそうです。古代ではアイヌ人が聖なる神として崇めてたとかなんとかいう話ですね」
「しかし、それだけじゃ子どもをおどすことにはならんようだが?」
穂村に言われて、オーナーは渋い顔をする。声をワントーン落として続けた。
「……この神はときどき村人をさらったらしいんですな。だから、悪いことをするとつれていかれるぞと、どの家庭でも言われたらしいのです」「ふうん。じっさいには、さらうというより、火の精にふれて体も残さず燃えつきたんだろうな」
穂村はありがたくない注釈を入れてくれる。現状を見ると、それは当たっているのだろう。
オーナーもうなずいて、
「ごくまれに通常とは違う、とても大きな火の玉が現れることがあって、そんなときによく神隠しが起こったとか」
龍郎はたずねた。
「大きな火の玉ですか?」
「なんでも空の雲くらい大きいってことだから、直径にして数十メートルじゃないですか?」
それはとんでもない大きさだ。火の精は大きなものでも、せいぜい三十センチばかりだ。小さいものなら十センチ。比較にならない。
「最近はその巨大火の玉は目撃されているんですか?」
オーナーは首をふった。
「いや。ダムができてからは、まったく。だから、てっきり作り話だと思ってたんだが……」
もしかしたら、ダム湖の大量の水に埋められて、火の精が封じられていたのかもしれない。
オーナーが声をひそめて補足する。
「神隠しがよく起こるときには、巫女のようなものですか? 神の言葉を聞くことのできる者が鎮めに行ったという話ですね」
「ふうん」
世界中で巫女たちが狙われていることにも関係しているのだろうか?
「とにかく、警察を呼ばないと。この焼け跡が誰なのかわからないですが、人が死んだのはたしかだ」
龍郎が言うと、オーナーはうなずいて、スマホをとりだした。
「本柳くん。清美くんたちが安全かどうか見にいこう」
「そうですね」
穂村にうながされ、龍郎たちはあわててホテルのなかへ戻った。あの死体とも言えない黒い灰が、清美かウーリーだったらと思うと気が気でない。が、部屋の戸をトントン叩くと、眠たそうな目をして、清美が顔を出した。のぞくと、ウーリーもちゃんと、なかにいる。
「清美さん。マルコシアスに言って、ガマ仙人をここにつれてきてもらったほうがいいですね。こっちもけっこう危ないですよ」
龍郎はホテルの裏手で死人が出たことと、オーナーから聞いた伝承を話した。興味を持ったのは、ウーリーのほうだ。
「アイヌの伝説ですか? ロマンがありますね。もっと詳しく知りたいんですが」
「ウーリーさん。そういうの好きなんですか?」
「はい。古代史、考古学、好きですよ」
穂村の目が光ったのは言うまでもない。そのあと、名物の蕎麦の朝食のあいだ、穂村はウーリーとともにずっと古代史について話しこんでいた。いつもは聞き役の清美が退屈そうだ。
「清美さん。おもしろくなさそうですね」
「そ、そんなことないです! いいんです。わたしは女の幸せより腐女子の幸せのほうが勝るタイプですから。それより、龍郎さんと青蘭さんが破局してしまったことのほうが悲しいですよ」
「うっ……」
破局のひとことが突き刺さる。
「あっ、ごめんなさい。悪気はないんです」
「いいです……事実ですから……」
昨夜の共鳴の名残のなかで、手をにぎりあった青蘭。
やっぱり愛しい。
どうやったら、この想いをなくしてしまえるのだろう。
「おれ、散歩してきます」
「ちゃんとカイロ持ってますか? わたしのやつ、あげますよ? いっぱい持ってきてるので」
「ありがとうございます。準備いいですね」
「そりゃあ、夢巫女ですからねぇ。予知でわかってたので」
「そうですか」
ふと、清美はこのさきの未来もわかっているのだろうかと思う。教えてもらいたいような、そうでないような……。
すると、清美が言った。
「もうすぐです。悩んでるヒマはないですよ。龍郎さん」
何がですかと聞けるふんいきではなかった。清美のおもてに聖母の笑みが浮かんでいる。
きっと、清美にはすべてが見えているのだろう。
龍郎や青蘭に、どんな未来が待ちうけているのか——
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