第五話 星の湖

第5話 星の湖 その一



 出雲大社の境内に出現した火の精は、とりあえず、すべて消失した。

 龍郎は敷地のなかに残っていた人々をつれて、外へ出た。そのあとはただの観光客のふりをしてごまかし、M市の自宅に帰ったのは、夜のだいぶ遅い時間だ。


(クトゥグアは青蘭を苦しめたやつだ。もし、ヤツが現れたら、なんとかして退治したい)


 そうは考えるものの、今の龍郎にはとても太刀打ちできる相手ではない。

 さっきだって、名も知らぬセラフィムが来てくれたからよかったようなものの、そうでなければ、あの数の火の精を消すことはできなかった。

 いや、それ以前に、もしもナイアルラトホテップがほんとうにクトゥグアを召喚していれば、その場で龍郎は丸焼けにされていただろう。


 青蘭の願いを叶えるためとは言え、大戦が始まるというこのときに、なんの力もないということはツライ。もどかしさに、はらわたが煮えくりかえりそうだ。


「しかし、天使と邪神が本気で争えば、人間世界なんて、かんたんに滅ぶよ。人類は滅亡する。君たちだけは私の結界につれていってあげるから、戦争が終わるまで人界を離れてはどうだね?」


 穂村はあっさり言うが、龍郎にはそんなふうに割りきることはできない。滅亡するという人間のなかには、父もいれば母もいる。友人たちだって、たくさんいるのだ。自分だけが助かればいいというものではない。


「どうにかして、邪神の復活を止めることはできないんですか?」


 穂村は清美が用意してくれていた鍋をハフハフしながら、つかのま、考えこんだ。


 ちなみに、この場にはウーリーもいる。すでにこの世の理に外れた怪異を目撃したせいか、何を聞いても驚くこともなく、黙々と鍋をつついている。一人になるのが怖いというので、しょうがなく招いたのだ。


「穂村先生。どうなんですか?」

「うん。ちゃんと考えてるとも。さっき、ナイアルラトホテップはクトゥグアを呼びだそうとしていた。ひっくりかえせば、まだ召喚にさまざまな手順が必要だということだ」

「まあ、そうですね」

「だが、邪神たちの復活は、そういうものではない。ほっといても、勝手にやってくる」

「どうしてですか?」


 穂村は好物のハモをガマ仙人の目の前から奪いとる。ガマ仙人は無念そうに餅巾着もちきんちゃくにかぶりついた。むにゅっとした口からモチがニューっと伸びる。


「邪神どもが復活するのは、アフーム=ザーが覚醒したあとだ。アフーム=ザーが旧支配者を目覚めさせる役目をになっている」

「アフーム=ザーですか。なんですか? それ」

「いやいや、君、ルリム=シャイコースの王だろ? そこは知っておきたまえ」

「そんなこと言われても……」


 穂村は嘆息をついて熱燗をぐい飲みすると、説明を始めた。ため息を吐くわりに顔は嬉しそうだ。


「旧支配者は知ってるだろうね? クトゥルフやクトゥグアなど、かつて地球を支配していた邪神たちだ。我々、地球産の神との戦いで宇宙のあちこちに今は封印されている。アフーム=ザーはクトゥグアが封印の地で生んだ息子だ。過去の大戦ではいなかった存在ということだな。だが、その後、アフーム=ザーも封じられた」

「ふうん。そうなんですね」


「アフーム=ザーは北極に封じられている。だが、ヤツの持つなんらかの能力によって、旧支配者すべてを覚醒させるという預言がある。あるいはナイアルラトホテップも、クトゥグアのみではなく、アフーム=ザーをも召喚しようとしていたのかもしれない」

「でも、封印されているんですよね? なぜ、それが今になって急に目覚めようとしているんですか? クトゥルフを倒したせいでバランスが崩れたってことだけど」


 穂村が目を閉じて思案しているうちに、今度はガマ仙人がハモを立て続けに三つ、口のなかにほうりこむ。穂村がそれに気づいて、にらみあった。


「やめてください。ハモなら、おれのぶんも食べていいですから」

「そうかね? すまんな」

「バランスが崩れたのは、クトゥルフがいなくなったせいですか?」


 穂村は当然のように、うなずく。


「うん。そうだ。クトゥルフは水の王だった。それがいなくなったせいで、火の王とその配下の勢力が増した。ヤツらの封印が弱くなっている」

「その火の王というのが……」

「クトゥグアだよ」

「やっぱり」


 要するに、龍郎がクトゥルフを倒したことが原因だ。あのときにはしかたのないことだったとは言え、責任を感じる。


「おれに以前の力があればなぁ……」

「何、まだあきらめるのは早いぞ。アフーム=ザーさえ復活しなければ、旧支配者すべてが覚醒することはない。ラグナロクは始まらない」

「なんとか回避したいですね」


 火の精たちが人間を発火させていることとも、関連があるのだろうか?


 考えながら、龍郎が鶏肉のつみれを自分の椀に入れようとしたときだ。となりから手が伸びてきて、オタマをとりあげた。豆腐をすくっている。龍郎のとなりはヨナタンだが、豆腐は好きじゃなかったはずだ。変に思って、見ると、邪神がすわっていた。ナイアルラトホテップだ。ふつうに畳の上に正座している。あまつさえ、龍郎たちの鍋をご相伴にあずかろうとしている。


「うわァッ!」

「ふーむ。これが今、世界的に流行りの和食というものか。珍味」

「いやいや、あんた、邪神でしょう?」


 ナイアルラトホテップは豆腐を何もつけずに丸飲みしたあと、白いハンカチで口元をぬぐった。


「失敬。失敬。私はこれでも人間のことが好きなのだよ? だから、龍郎。君にいいことを教えてあげよう」


 うさんくさい。思いっきり、うさんくさい。信用できないが、一聴の価値はある。


「……なんですか?」

朱鞠内しゅまりない湖へ行ってみたまえ。得るものがあるだろう」

「朱鞠内湖?」


 スマホで調べると、北海道の湖だ。


「なんだって、そんなところに?」


 たずねたが、すでにナイアルラトホテップの姿は闇にまぎれていた。

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