走馬灯探偵
渡貫とゐち
第1話
「がば、ごぼぼぼぼ――――」
白衣を着た長髪の男が、まだ十代の少女を――その頭を掴んで青いバケツに押し込んでいた。
外から見た絵面は虐待なのだが、これは少女自身が望んだことである。
走馬灯を見たいです、と彼女は言ったのだ。
周りにいた大人たちはぽかんとしたものの、彼女に同伴していた男はいつものことのように「ああ、分かった」と頷き、バケツを準備させた。
水をたっぷりと入れて――次の瞬間には、彼が少女の頭を鷲掴みにして、ばしゃ! と水の中に突っ込んだのだ。
当然のようにおこなわれ、場にいる全員が呆然としている中、いち早く理解が及んだスーツ姿の男が彼の手を掴んだ。
「っ、あんた、なにをしているんだ!? そんなことしたら彼女が死んでしまう!!」
男が必死になるのも当然だ。彼は直前で、大事な人を殺されている。
最悪な日となった今日、重ねて殺人が起きたら――、忘れられないのに思い出したくない一日となるだろう。
だから必死に長髪の男を引き剥がそうとするも、彼の力の方が強かった。細く見えても筋肉があるのだろう。スーツの男の力ではびくともしなかった。
「あー、大丈夫っすよ、俺が医者だってことは説明したはずっすよね? 人の蘇生の仕方なんて熟知してるんすよ。これだって専門家の許可を取ってやってる……つまり、俺の判断だ」
手元から、がぼぼば、という少女の声が……段々と聞こえなくなってきていた。
バケツの中からぶくぶくと泡も出なくなってきており……そろそろ、だった。
彼女が呼吸をしなくなった。
「おっと、そろそろヤバそうだな……」
「ずっとヤバイ状態に決まっているだろう!?」
医者(と名乗る男)の胸倉を掴むほどに取り乱すスーツの男。
その行為に、む、としたが、医者は彼の心情を理解し、手を出さなかった。
……当然、見ていていい気分になることではなかっただろう。なぜなら――スーツの男は、アイドルのマネージャーであり、数時間前にその担当アイドルを殺されている。
そして現在、彼女を殺した犯人を探しているところなのだが……、全員にアリバイがあるために犯人を見つけることが困難な状況だったのだ。
そこで、同乗していた探偵――
バケツの中の彼女が、言ったのだった――「走馬灯を見たいです」と。
探偵のことをよく知る医者からすれば、またか、と呟くようなことだ。だが周りからすれば、口をあんぐりと開けるような行動だろう。
付き合いが長いので忘れがちになるが、専門家の下であっても危険な行為である。周りが焦るのも無理なかった。
だが、医者は絶対に死なせない自信があった。
それに、彼女を救えなければ自分も死ぬという覚悟もある。
でなければこんなことできない。
「さて、蘇生の時間だ。あんた、ちょっと離れてろ。死人が増えるぞ」
合わせて三人だ、とは言わなかったが。
医者にしては乱暴に、バケツの中に沈んだ頭を引っ張り出す。
まだあどけない顔立ちの少女を仰向けに寝かせ、濡れた顔を拭く前に、心臓マッサージ。それから人工呼吸――手慣れたものだった。
手慣れたやり口だった。
医者なのだから当然なのかもしれないが、だが、マッチポンプである。彼が沈めなければ蘇生をする必要もなかったのだから……感動はできない医療行為である。
「あんた……本当に医者なのか?」
スーツ男からの本音が漏れた。
確かに、見た目から、医者には見えない男である。
とにかく軽薄でチャラい男だった。医者は医者でも……、非合法か?
だが、実際に少女は息を吹き返していた。
仮に免許がなくとも実力はあるようだ。
「大丈夫か? ――名前、誕生日、年齢と……簡単な足し算だ、12+27は?」
げほごほ!? と咳き込むショートボブの少女が、ゆっくりと答える。
「……み、
「よし、異常はないな」
まだ酸素不足のようで、立ち上がってもふらふらだった少女。
彼女を支えるために、腰に手を回す医者。
……それができ、許す関係性であることは周りにも伝わったようだった。
少女――御鈴木は、がんがんする頭を手で押さえながら、絞り出すように声を出す。
「……見てきました……」
「なにを、ですか?」
スーツの男が訊ねた。彼は担当アイドルを失ったマネージャーだ。大スキャンダル、どころか人気絶頂中のアイドルの訃報は、マネージャーのクビが飛ぶような案件だろう。
彼が後追いすることも考えられた。
……彼がこうして落ち着いているのは、まだ彼自身が事態を本当のところでは理解できていないからだろうか。目を逸らしているおかげ、かもしれない……。
大変なのはこれからだろう。一段落した後に、全ての後悔がやってくるはず――。ただ、この場で取り乱さないでいてくれるところは、探偵としてはありがたい。
「分かったのですか!? あの子を――
「はい、分かりました」
御鈴木――彼女は探偵だ。走馬灯探偵、と知る者はごく僅かだ。
彼女自身、その手法を得意としているわけではないのだ。
誰が好き好んで死の淵にいきたいと思うものか、と再三、彼女は言っている。
それでも彼女の切り札でもあるわけで――そこは理解している。
だから行き詰った今、こうして使っているのだ。
嫌々ながらも。
医者がいなければ使えないジョーカー。
「……さっきから成果がなかった探偵さんだったのに、急に、今になって犯人が分かったなんて、どういうことですか。見てきた、と言いましたよね? なにをです? テキトーなことを言って煙に巻くつもりですか」
「私、なんのためにバケツに頭を突っ込んだんですか。見るためですよ――」
「なにを!」
「走馬灯です。過去を振り返ることで誰が怪しい行動をしていたのか、確認してきました。そして、殺人現場をはっきりと、私たちは見ていたんです……」
見ていた?
探偵の独演に、周りがざわざわとし出した。
「私たちはあの人が殺人をするわけがない、と勝手な先入観で見落としていました……見ていたのに、見ていなかったんです」
殺害されたアイドル、
彼女の死亡を確認したのは、さて誰だったのか……。
探偵は走馬灯の中でしっかりとこの目で見てきたのだ。走馬灯ゆえに赤ん坊の頃から自分の過去を振り返ることになるが……体感で、長い長い昔話を終えて、直近の犯行現場を振り返った。
あの時、あの場所で、大胆に、彼女はひとりのアイドルを殺していた。鮮やかな手口だった。手慣れてるな、と思うように。
「犯人はあなたですよ、ナースの…………
「あら、あたし?」
… つづく
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