第43話 ニカの乱 1日目(2)
荷台に乗ってたコミトやオルガ、子供たちを皇宮に迎え入れる頃には、邸外からのニカの歌はおさまっていた。
暗くなってきたこともあるし、予期せぬマクシムス一行の登場で気勢が削がれたこともあるのだろう。半包囲していた群衆の数は徐々に減り、自然消滅したと門兵は報告していた。
だが、これで暴動が終わったわけではない。皇宮から撤退した群衆の多くは戦車競技場に立てこもり、数万の勢を保ったままでいるらしい。競技場内に降り、かがり火を焚いて「断固抵抗‼︎」を叫んでいるようだ。
このまま各々の家に帰ってくれたのなら簡単だったのだが、それほど甘くはなかった。
なにしろ、皇帝に石を投げつけ、公然と皇帝退位を要求したのだ。
皇帝反逆罪を問われたくなければ、この勢力を維持して圧力をかけつつ無罪放免を勝ち取るか、実際に皇帝交代を実現するか、だ。
送り込んだ密偵によれば、叛乱側に何人かの緑党=反皇帝派貴族が合流しており、しかも前々皇帝の血縁者ヒュパティオスもいるという。皇帝側の身柄差し押さえ部隊は間に合わなかったわけだ。
事ここまで進めば、ただの暴動で済ませる事は難しい。
『賽は投げられた』のだ。
そして、そういった情報を皇帝派首脳陣と共有していた時に、テオドラはその凶報を聞いた。
♢♢♢
無惨だった。
アナスタシアの顔はいくつもの暴力を受け、醜く腫れあがっていた。
彼女のことだ、最後まで抵抗したに違いなく、その顔はそれを物語っていた。
服も引きちぎられ、その白い身体には傷や内出血の後が刻まれているらしいが、今は毛布がかけられているので見ることはできない。そんな身体を見たいとも思わない。
一報を受け、皇宮を飛び出し、邸内にある皇族専用の礼拝堂(それは前皇后が主に使っていた建物で、桟橋に繋がる東門のすぐ近くにある)に駆けつけたテオドラが見たのが、それだった。
それを見たテオドラは、へたり込む。
表情は抜け落ち、しばしアナスタシアの顔を覗き込んでいたが、やがて「アナ」と声をかけて、肩を揺する。
だが、反応はない。アナ、アナと2度3度繰り返しても結果は変わらない。
「アナスタシア様………、クーも……」
テオドラについてきたメッサリーナも絶句する。
その声で、テオドラは初めてアナスタシアから少し離れたところにクレーテーも横たわっている事に、初めて気がつく。彼女の顔も青あざだらけで痛ましい。
あらためてテオドラが礼拝堂を見回すと、他にも何体もの遺体があることがわかる。そのほとんどが離宮護衛の衛兵たちで、『ひとつ目さん』もいる。
彼らは離宮捜索隊が発見し、暗い中何回か金角湾を横断往復して運び込まれたのだ。
最初に報告を受けた「全滅」の言葉に間違いはないようで、居残ったアナスタシアとクレーテー、そして護衛の8人は全て物言わぬ姿で、この礼拝所に運び込まれていた。
「アナ………」
テオドラの手がアナスタシアの顔を痛ましそうに撫でる。
「暴徒どもにみつかり、最後まで抵抗したようです………。彼らの周りには暴徒の遺体も幾つもありました………。多勢に無勢ではあっても、最後まで諦めず………」
最初に報告に来た捜索隊の隊長が、テオドラの脇に立ち説明を加えてくれる。彼の声も沈んでおり、言葉は途切れがちだ。
「アナスタシア様とクレーテー様は………、発見した時は片手を繋いでおりました………。真際、最後の力を振り絞って2人で手を伸ばし……。船で運ぶため手を振り解くしかありませんでしたが、がっちりと絡み合った2人の手は、硬直もあって解くに苦労したほどでした………」
「…………そう……」
テオドラには、そう答えるだけでいっぱいだった。
『あれはいつのことだったっけ……』
テオドラは、アナスタシアがクレーテーを強引に引っ張るように連れて来て、コミトもいたその場で宣言した日のことを思い出していた。
「あたし、クーが好き。愛してる。クーもそれに応えてくれている。
だから……、お願いだから、あたしたち2人に結婚の話は持ってこないで」
真剣な顔だった。今まで見た中で最も。
2人が付き合っていたのはテオドラも知っていた。娼婦間では疑似的な姉妹や恋人を作ることはままある話であり、その延長線で捉えていたのだが、もっと深いものだったようだ。
「何を言ってるの、アナ?」
コミトにとっては初耳だったようた。
「クーも、本当なの?アナに言わされているのでは?」
「コミ姉!あたし、そんなことしないよ!」
「アナは黙っていて。……ねぇ、クー。今アナが言ったことは本当なの?」
コミトはコミトで、真剣な面持ちだ。
それも当然で、正教会の教えでは子を孕まない同性愛は『背徳の極み』とされる。
ここでも男女差があって、男性同士の愛は古代の哲学者プラトンなどが褒め称えたこともあり、なんとなく見逃される傾向がある一方、女性同士は淫靡をまとったイメージで語られ、バレれば宗教的に、社会的にも抹殺されかねない。
しかも結婚しないというのは、当時の健康な女性にはありえない。
敬虔な正教徒であるコミトには、簡単には認められないのだろうし、愛しい妹だからこそ、そんな危険な道に進ませたくないのは、理解ができる。
だが、コミトに問い詰められても、困り顔ながらもクレーテーは「アナスタシア様との関係は、私の意思です」と断言した。両想いというわけだ。
「両想いなら、認めてあげようよ。コミ姉」
「テオドラ……。そんな簡単に……」「テオ姉!ありがとう‼︎」
正反対の返答が姉妹から返ってきたのを思い出す。
『でも結局は、コミ姉も2人の仲を認めたのよね……』
なんだかんだ言って、コミトは他者に共感できる優しい性格だし、アナスタシアには甘い。
形式的には皇帝の愛人(姉妹や双子を愛人として侍らせるのは、上流貴族にはよく見られる嗜好だ)にして婚姻申し込みを断らせ、離宮の女主人『代理』として人目を憚ることなく2人の時間を過ごしていたのに。
「アナ‼︎…………なんてこと……」
コミトとの思い出を想起していたら、コミトとマクシムス夫妻がやって来て現実に引き戻された。そしてアナスタシアの身体に取り縋る。
「ねえ……、ウソ、だよね……?このいたずら娘は、私を驚かせようとして……」
一縷の望みをかけてテオドラを見るが、ゆっくり首を横に振り答える。
その瞬間、大粒の涙がぽろぽろと溢れ「アナァ〜〜〜‼︎」と絶叫が響く。そんなコミトを抱きしめるマクシムス。
「…‥お疲れ様だったさぁ……」
一緒に来たのだろう、オルガもまた夫の護衛隊長『ひとつ目さん』ことフラヴィウスの傍らにひざまづいていた。
「そんな顔でいつまでも睨んでないでぇ、ゆっくり休むさぁ」
と、戦っている憤怒の表情で死後硬直していた目や口を手で直し、穏やかな表情に変えていく。
フラヴィウスだけでない、他の護衛兵も怒りや恐怖の表情を浮かべたまま横たわっている。直前まで戦っていた証拠だし、身体にも多くの打撲跡も見える。武装していたはずだが、暴徒に鎧や武器をうばいとられたか、全員が下着姿なのも哀れを誘う。
「ごめんなさい、オルガ……。アナに付き合わせてしまったわ」
テオドラは静かにオルガのそばに行き、同じようにひざまづき『ひとつ目さん』への弔意を捧げる。彼とも『青玉の酒場』以来の付き合いで、その頃からテオドラたちを支えてくれていた1人なのだ。
「姐さぁ。………あの人は喜んでいるさぁ、多分」
オルガはテオドラを見て、穏やかに笑った。
「軍でのぉ、出世を夢見ていたのにぃ、戦傷で心ならずも軍から抜けてぇ。腐ってた俺をテオドラ様が拾ってくれたんだ、が口癖だったさぁ。
しかも、テオドラ様が離宮の護衛隊長に抜擢してくれてぇ、一度は諦めた軍での出世という夢まで叶えてくれてさぁ。酔うと、テオドラ様にこの身を捧ぐとよく言ってたんさあ」
「…………」
「だからぁ、きっと本望だったんさあ。アナ様守って天に召されるってのはさぁ」
そう言って、愛おしげに火傷でひきつれた彼の顔を撫で回す。
その表情は穏やかで、口元には笑みさえ浮かんでいたが、だからこそテオドラはいたたまれない。歳慣れた娼婦がよく見せる、嫌なことや悲しいことを覆い隠す造形の笑顔だからだ。
「………でも、もうちょっいっとぉ、一緒に生きていきたかったさあ………」
だがその造形から溢れたものがある。
オルガの頬を、
それを見た瞬間だ。
テオドラの中に、猛烈な激情が急速に膨れ上がっていった。
「…………なんでこんな目に…………」
テオドラの心の声が漏れる。
「アナだって、クーだって!何をしたっていうんだよ‼︎こんな、こんな……、なぶり殺しされる何をしたんだっていうのさ‼︎」
なんで殺されなくちゃならない⁉︎アナやクーが、なんかお前たちに害を与えたのか⁉︎違うだろう‼︎
ただ、ただ、皇族だから、離宮にいたからだけで襲い、殴られ、犯される。
それが、お前らの正義か⁉︎
「ひとつ目さんも、他の護衛兵だって‥‥!」
ともに遺体となった護衛兵にも、青玉の酒場からの用心棒からの抜擢組が半分くらいいる。
運がなく、あるいは些細なミスで社会から爪弾きされ、日の当たる場所で働けなくなった者たち。そんな彼らをテオドラは積極的に雇っていた。
もちろん中にはクズもいたが、割合からすれば少数だ。多くは真面目に生きようとしても、その機会を与えてくれない社会の中で苦しんできた者たちだった。
だからこそ、彼らはテオドラを慕い、命をかけてくれた。中には兵士として生活が安定したことで、家庭を持ち子を成したばかりの者もいたのに……。
「…………許さないっ!!」
テオドラの声が響く。
「あいつらをっ!全員っ!皆殺しにしてやるっっっ‼︎」
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