第二十一節 一秒が欲しい

 度肝を抜かれるという次元ではなかった。もちろん、今までだってレシーバーズを見たことはある。実際に襲われたことも。頭上にいる女神だってその延長線上だ。これ以上無いほど不思議で危険な経験はしたつもりである。だが、そんな仁でさえ、止まった時の中で会話をするというのは奇怪であり、オーダーの力を託すというのは突拍子もないことであった。

「頭が追いつかねぇよ…いきなりすぎるだろ色々…」

「でしょうね」

 当然のごとく返事をされる。何なんだ一体。真っ先に思った文句だ。

「大体、オーダーの力を託すって、できるのか?そんなこと」

 間髪入れず頷く。思考を読まれたような感じがして、仁は少し眉間に皺を寄せる。

「それが逆転の糸口ってやつに繋がるんなら、ありがたい話ではあるけどさ」

 すると今度は日向が不満そうな顔をした。

「本当に大丈夫?安請け合いに聞こえるけど」

「それなら初めから頼むなよ」

 仁は苛立ちを声音に乗せた。世界がどうなるかの瀬戸際に突然現れたかと思いきやオーダーの力を託すと言い、それに乗じようとすればこんな風に返される。さすがにいい顔できないだろう。

 そんな心境を汲んだのか、日向は呼吸を整えてから口を開いた。

「オーダーの力は代々、私の故郷から選ばれた人達が受け継いできたものなの。世界を救うための鍵、ゾアを導くために」

「で、架純を何回も追い込んだわけだ。校舎を壊したり、ネットの晒し者にしたりして」

 事情があるのはわかる。咎め立てしたいわけではない。だが、今までレシーバーズを倒すために奔走してきた架純のことを思うと、皮肉の一つや二つはぶつけたくなる。

「ごめんなさい」

 存外、素直に謝られた。償えだとか何だとか、そんなつもりはなかっただけに罪悪感を覚えてしまう。

「…とにかく、そのオーダーの力が逆転の糸口とどう繋がるんだ?見たところ、時間を止める力みたいだけど…それが通じるなら、アンタがボロボロなのはおかしいだろ」

 仁の話を聞くと、日向は一歩ずつ近づいてきた。血糊や傷痕でわかりづらかったが、至近距離で見ると意外と美形である。窮状に似合わないことを考えていた仁の手を引き、日向は無の空間に足を運んだ。仁は再び、唖然とした。

「真っ暗だ…」

 その中でひときわ輝く、無限の色を持つ樹に仁の目は惹きつけられた。日向はそれを指さす。

「あれは無限樹。世界の全てを記録した樹。そして、あれこそが世界を救うための鍵。使えば混沌の使者だって退けられるわ。契約を解除できるから。そして、無限樹の所へ自力で来られるのはオーダーだけなの」

 契約がどうとかはともかく、少しずつ話の要点が見えてきた気がする。オーダーはゾアを導く役目と能力を持っていて、世界を救うための鍵のある領域に入れる。

「つまり、ゾア──架純をここに連れて来ればいいんだな?」

「半分正解。けど、そう単純でもないわ」

 日向は歩き、無限樹に寄りかかった。

「この樹にゾアのコアを、平たく言えば、生命力を注がなければならないのよ」

「ゲームでもあるまいし、どうやるんだよ?そんなこと」

 突飛な物言いに仁が抱いた疑問を、日向は無限樹をノックすることで証明してみせた。叩いた部分から波状が広がり、樹全体に活力が漲るようだった。

「こうやって運動エネルギーを加えればいいの。ただし、これはあくまで口を開けた状態。無限樹は、レシーバーズの中でも最上位に位置するゾアにしか無い物質を養分にする」

「だから攻撃を当てることで、その樹に水をやればいいってことか」

 日向は微笑んだ。

「物わかりがいいわね。あなた、向いているんじゃない?研究職とか」

 仁はこそばゆい感覚を誤魔化すために、

「今それどころじゃないだろ」

 と言ったが、声が浮わついてしまってはどうしようもない。

「じゃあ、一刻も早く架純を連れて来ないと…」

 仁は架純が重篤なことを思い出し、口をつぐんだ。しかし、理由を察した日向が補足を加える。

「ミストゲイル、颯架純なら大丈夫。私が治したから」

 仁の頬が緩む。

「ありがとう」

 感謝に対し、日向はもどかしい態度を示した。かけられ慣れない五文字にどう反応すべきか、硬直してしまったのだ。

 気を取り直すべく咳払いをし、日向は神妙に問いかけた。

「…なぜ、躊躇わなかったの?」

 真摯な眼差しを見つめ返し、仁もまた問うた。

「何で俺なんだ?」

 日向の肌に、澪士の温もりが甦る。この少年から澪士と同じものを感じた。それはきっと、理論理屈で説明できるものではない。何故なら、日向が仁に感じたものは形ではないから。

「強いと思ったからよ」

 その答えに仁は目を細め、心からの返事をした。

「俺も同じだ」

 仁には日向の言う強さはわからない。けれど、仁の言う日向の強さには確信を持っている。素直に謝ってくれた。それが彼女の強さだと思った。

 日向が胸に手を置くと、心臓から光の球が飛び出た。光の球は仁の体内に入り込む。光の引力に導かれるかのごとく、無の空間から数多の流星が仁に降り注いだ。一連の光景に驚愕した仁は腰を抜かしてしまった。

「何とも締まらない継承になっちまったなぁ…」

 立ち上がり、照れ隠しに頭を掻く。だが、日向は憑き物の落ちた笑顔を仁に向けた。

「その感覚を…人であることを忘れないで。私のようになったらダメよ」

 さしのべられた手を、仁は力強く握りしめた。そして、仁はもう片方の手で扉を開いた。世界を救う鍵を呼び覚ますピース、幼馴染を迎えに行くために。

 元の場所に戻った仁は、数秒進んだ景色を目の当たりにした。女神は引きずり下ろされ、四人が応戦している。一方のホワイトライダーはと言うと、互角に渡り合っていたはずの星牙を圧倒していた。

「どうした銀狼!我が悦びに冷や水をかけてくれるなよ?」

 星牙の服はみるみるうちに裂かれ、血飛沫が穴を埋める。架純はまだ眠ったままだ。

「架純!」

 オーダーの力を継いだとはいえ、戦う力ではない以上、あの渦中には飛び込めない。仁は力一杯叫んだ。

「起きてくれ!今、お前が必要なんだ!」

 日向も続く。

「あなた次第で、そこにいる奴等を退けられる!願える立場ではないけれど、お願い!世界を救って!」

 風が架純の身体を宙に運び、直線上に加速する。うつ伏せのまま、架純はホワイトライダーに頭突きを喰らわせた。天馬と融合したホワイトライダーの身体が仰け反る。

「大丈夫?」

 目を覚ました架純に、星牙は笑って答える。

「お前に心配されるとはな」

 その隙に乗じて、仁は架純に語りかけた。

「架純、こっち来い!世界救出大作戦だ!」

 なんて単純明快なネーミングセンスなんだろう。少し吹き出しかけるのを堪えて、架純は声を張った。

「わかった、ジュンちゃん!」

 踵を返し、急いで走ろうとした架純の前に、体勢を立て直したホワイトライダーが立ちはだかった。

「どこへ行く、風のゾア!我が相手をせよ!」

 天馬と融合したホワイトライダーが漂わせる威圧感は、街一つ程度ならこのオーラに呑み込まれるのではないかと錯覚してしまうほどであった。逃げられない。そう架純に確信させてしまうには十分であった。

「一秒だけでも…止められれば…」

 曲がらなくなった指の関節を見つめ、日向は苦悶の表情を浮かべた。オーダーの力を渡したことで、過度に酷使してきたコアが衰弱しきってしまったのだ。

 天馬の口が開き、白煙を湛える。吐き出せばどうなるか、わかったものではない。迂闊に近寄ることすらできない。

「どうすればいいんだ…」

 仁が呟いた次の瞬間、大きな地鳴りがした。唐突な揺らめきはホワイトライダーの馬脚を怯ませることに成功した。遠方からもはっきりと視認できるその影に、架純は白い歯を見せた。

「白騎士め、一矢報いてやったぞ…!」

 激痛を耐えた神経は既に磨耗しきっていた。シャットシェルは直後、緩やかに眠りについた。

 またしてもホワイトライダーは体勢を立て直そうとした。この間、一秒。日向は手を掲げた。時間よ、一秒だけでいい。止まれ。

 風に舞う塵芥は動きを止めた。架純の疾走だけが停滞を振り切る。仁は架純の手を取り、無限樹に繋がる扉を開いた。

 扉の向こうへ消える架純と仁を見届け、日向は膝をついて倒れた。零が女神に吹き飛ばされ、すぐ傍に転がる。時間を制す者は、時間に呑まれる。動かなくなった身体で、声帯を震わせる。

「零…」

 その名前を聞き、零は目に涙を湛えた。強がってきた。でも、本当はそう呼んでほしかった。強くなければ、人より上にいなければ、造られた自分に意味は無いと思った。認められないと思った。だけど、本当は、ただ呼びたかっただけなのだ。他の誰かと同じように。持たざる者が持つような、ただ純粋な愛を込めて。

「母さん…」

 零は停止した日向を抱きしめ、涙を流した。産声のような嗚咽を繰り返す。遥か彼方、宵の明星が光った。


 暗闇の広がる空間で、眩く光る無限の色をした樹。架純と仁は一目散に、無限樹を目指し走った。

「架純!その樹、攻撃しろ!」

「大丈夫なの?」

「いいから!」

 首をかしげつつも、架純は風の塊を無限樹に飛ばした。風を受けた無限樹は脈を剥き出しにし、緑の血を巡らせた。無限樹が緑に染まりゆく。その光景を見て、二人は固唾を呑んだ。やがて、緑の光が辺り一面を照らした。神秘的な輝き。これで世界が救われる。信じて疑わなかった。

 しかし、甘美な幻想は刹那の内に砕かれた。無限樹が落とした果実の映し出す外の世界の景色と、仁の左肩を貫く矢が、二人の歓喜を摘み取った。女神は消えず、四人は尚も苦戦を強いられていた。そして、止まったはずの相手は、閉じかけた扉の隙間を掻い潜って来ていた。

「ホワイトライダー…!」

 架純の顔が険しくなる。血の滴る肩を押さえ、仁は吼えた。

「何でだよ!ゾアが、架純があの樹に攻撃したら、世界は救われるんじゃないのかよ!お前ら、何でいるんだよ!」

 ホワイトライダーは高らかに笑い、説明を始めた。

「確かにそうだな。だが、『一体の』ゾアで事足りるわけがなかろう?かの世の者達もしくじったものだな!伝承は正確にすべきだった!まぁ、そういう輩は我が愚かな同胞共が処したのだかね」

 仁は絶句した。一体のゾアでは足りないだと?茫然自失の仁に追い討ちをかけるように、ホワイトライダーは続ける。

「ゾアは全部で四種いてな。火、水、風、そして土。ミストゲイル、お前は風にあたる。ここからが面白い所でな。なんとこの四体のゾアな…同じ時代には決して揃わないのだよ!」

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