第4話 二人きり
ルイを連れて厨房にやってきたイリエ。
山積みになるほど大量にあった食糧は、モモのおかげで随分と減ったものの、まだまだ山として積み上がったままだった。
「ユキは? せつなが倒れたって聞いたけど、大丈夫?」
「ユキは休憩中。もう一人の方は、さあね」
「……もう一人はせつなじゃないの? ……イリエ、不機嫌?」
「別に」
明らかに不機嫌な様子だが、そこを掘っていってもどうせ否定と追及が続くだけだ。
ルイでも分かる終わりのない会話。下手に突かない方がいいと判断したらしい。
小さな子供にも気を遣われていることを、
イリエは自覚しないまま、食糧の山に手を突っ込む。
モモが意図的に隠したのだろうが、イリエは目ざとく見つけていた。
ルイの手前もあったのだろう……いや、未成年だからユキとイリエにも配慮して、なのかもしれない。ユキとイリエはまだ成人していないのだ。
「……それ、お酒?」
「そうね。ワインみたいだけど。アタシも詳しいわけじゃないから種類までは、さあ?」
普段も飲む方ではない。未成年だから、ではなくだ。
酔いが回ったまま急な任務が入ったら、アルコールを抜くのにも苦労する。
酔いが残ったまま仕事をしても、暗殺くらいならできるかもしれないが、小さなミスを重ねてしまう可能性がある。できれば酒は体内に入れない方がいい、という暗黙の了解だった。
任務中に付き合いで飲むレイは強いらしいが……、原則、現場でも飲む振りだ。
酒と水をすり替える技術は誰もが持っている。暗殺者は総じて手癖が悪いのだから。
コップに注いだ液体は紫色だった。
二人分……イリエは、ルイにも、飲め、と強要するようにコップをテーブルの上に滑らせる。
「ボク、飲んでもいいの?」
「勉強よ。飲んで死ぬわけじゃないんだから……付き合いなさい」
乾杯はせず、二人で一口飲んでから――、
「「苦っ」」
―――
――
―
「ルイ様、イリエの姿を見ませ――」
三十分のつもりがぐっすりと一時間も眠っていたユキが、慌てて飛び起きてからルイを探し、厨房でその姿を見つけた。
その過程で確認してみたが、せつなは部屋で眠っていた……、看病していたはずのイリエがどこにもいなかったので、ついでに探してみれば……まさか酔い潰れているとは。
「お酒なんてどこに……ああ、食糧の中に紛れていたのですか」
「うん、イリエが気づいてたみたい」
テーブルの上に、コップは一つ。酔い潰れたイリエがビン一本を飲み干したのだろうと普通は思い込むが……、ユキはルイの顔色を見て見抜いた。
ほんのり頬が赤い。酔ってはいないようだが、ルイの体温が上がっているらしい……。
「ルイ様、お酒、飲みましたね?」
「え。……ううん、だってボク、未成年だし……飲めないから――」
「イリエもそうですけどね。まあ、怒るわけではないです。どうせイリエが無理やり飲ませたのだろうと予想がつきますし。コップを元に戻してまで隠さなくても」
コップについた水分は拭き取られ、元の位置に戻してあった。他のコップと同じ形で、モモが並べた時と同じ位置、角度で――。そういう知恵は誰から学んだのか。
「まあ、生きる上で知恵は役に立ちますから、いいですけど」
「お、怒らないの、本当に……?」
「怒りません。注意するくらいです」
「怒るじゃないか!」
「注意と説教は違います。隠したということは、ルイ様は未成年でお酒を飲むことがダメだと認識しているということです。それなのにくどくどとお酒を飲んではダメですよとお説教をしても意味がありませんから。分かっているなら、怒りません。
飲んだなら謝ってくれればいいのに、隠すのはダメですよ、と、注意はさせてもらいますが」
「…………ごめんなさい」
「よくできました」
さて、とユキの両目が細められた。
精神状態が良くないからこそ、お酒に逃避したというのは予想がつくが――、
未成年とは言え、イリエはもう充分に大人だ。
誰の監督ももうない、独立していると言っていい……、
お酒を飲む機会などいくらでもあった。
未成年だから飲んではいけない、を素で守るとは思えなかった。
だから今日が初めてというわけではないのだろう。
ストレス発散のために飲むこともあるだろうし、それが悪だと責める気は、ユキにはなかった。
悪を言い出したら、仕事とは言え、人を殺しているイリエが、今更お酒で咎められるのはおかしいのだから。
しかしだ、ルイを巻き込むのは違う。
語りたいなら自分だけ飲めばいいはずだ。
結果的にルイは一口程度しか飲んでいないようで、
(肌の質感などから推測できる)
それくらいならいいじゃないかと彼女なら言うかもしれないが――そういうことではない。
わざわざルイを巻き込んで、ルイに悪い遊び方を教えたのは、看過できない。
というわけで、ユキがイリエの首根っこを掴み、持ち上げる。
むにゃむにゃ、と眠るイリエを、水がたっぷりと入ったタルに投げ入れる。
「すみません、ルイ様。また、湖から汲んできてもらうことになりそうです……」
「それくらい、いつでも大丈夫だよ」
冷水に全身浸かったイリエが、タルから飛び出してくる。
大量の水を飲んだのか、咳き込みながらタルを倒し、床を濡らしながらホラー映画のように這い出てくる。
どうやら酔いはすっかり醒めているようだ。
「し、死ぬ……ッ、え、なにこれ!? なんでびしょびしょなのアタシ!?」
「おはようございます。ヤケ酒の理由と悩みを聞いてあげたいですが、その前にあなたには、お説教が必要ですね……」
「うっ、その鋭い眼差し……っ、身がすくむ殺意――昔のユキに戻ったのね!?」
「……そうでした、イリエは昔の私を信仰しているのでしたね……」
呆れるユキは、喜ぶイリエの両頬を指でつまみ、ぐにー、と左右に伸ばす。
「あなたへの罰は、なにがいいんでしょうかね……」
罰、と言うのもおかしいが、
せつなと向き合わせることが、今のイリエにとっては最も嫌なことだった。
ユキから言われたことはたった一つ……、『せつなとの仲直り』だ。
別に喧嘩をしているわけではない。そもそも仲が良い覚えもないのだ。
だからユキの命令は達成不可能だ……と言ったのだが――、
「それで私が納得すると思っているのですか? 納得させるつもりなら、あなたの手札は足りないですし、一枚一枚が弱いです。準備をしてからまたきてください。まあ、あの手この手で私を説得しようとするよりも、仲直りした方が早くて簡単だと思いますが」
確かにそれもそうだ。
喧嘩したと認めたわけではないが、ユキが仲直りを求めるのであれば喧嘩が仮定であれ、仲直りをしたという結果さえあれば満足するだろう……、
口裏を合わせてしまえば楽に突破できる……そう企んでせつなの部屋に戻ると、
「……いないのかよ」
休んでいるはずのせつながベッドから消えていた。
……また倒れるぞ、と吐き捨てるが、もうどうでもいいことだと考えをあらためる。
ユキ並みに働いてくれるのであれば、随分と楽になる。
イリエが休める時間を作れるのだから、せつなにはもっともっと働いてもらわなければ。
それはそれとして、どこにいったのかくらいは、把握しておくべきだ。
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