第2話   王女様

「こんなとこか」


 アレからかれこれ二時間ほど経っただろう。国の広さに驚きつつ、施設の場所などを粗方見て回ったところだった。


 感想としては、いろいろ凄くてよく分からない。この街を生きる人たちは生き生きしていて、いい国のようだが……。


「これからどうするんですか?」


 この街を紹介してくれた栗色の髪と目を持つ将来有望な美形のちびっ子。いつの間にかすっかり敬語になっちゃっていて、変な感じだ。


「どうなるんだろ全然分からん、どこかでバイト雇ってくれたらいいんだけどな」


 と言うのも良くある異世界に物に有りそうな冒険者なるものはこの世界には存在しないのだ。そもそも、その冒険者となったとしても、平凡な高校生では早死にするだけだろうが。


 コレには少しガッカリしたが、生きる為には仕事もといお金が必要だ。まず考えたのは今の持ち物を売ることだが、それも大した額にはならない。困った。


「じゃあその首飾り売ればいいんじゃないですか?」


 チビッ子が指をさして聞いてくる。


 実は肌に離さず身につけているペンダントがある。銀色の鎖の先に華美ではない装飾が施されていていて小さな淡いピンクの宝石がついている。


「いやコレは無理なんだよ。……母さんの肩身みたいなもんなんだ」


「……なんかすいません」


「気にすんな」


 シュンと目を伏せ本気で申し訳なさそうな頭を撫でる。誰が悪いものでもない。


 



 すると夕日が不意に目に差し込んできた。その明るさに目を細める。

 

「そろそろ日が暮れそうだな。俺は大丈夫だからお前は帰れ」


 この格好の少年に家があるとは思えないが、普段過ごしている場所ぐらいはあるだろう。


「はい、お兄さんはどうするんですか?」


 心配そうに聞いてくる。俺を誘う様子は見せない。仕方ないことだが、少し残念だ。コミュニティーがあるのかは分からないが、そこによく分からなさすぎる人間は入れられないことぐらいは理解できる。


「……まあ、何とかするよ、じゃあな」


 少し歩いて、ふと聞いていなかったことを思い出した。もう二度と合うことはないかもしれないが、聞いておいて損はしない。


 既に数歩ほど離れていた小さな背中に問いかける。


「――ちょっと聞き忘れたことがあった。俺の名前は蓮、鈴木蓮。お前の名前を教えてくれ」


「あ、そうでしたね。僕の名前はフユです。ピチピチの7歳でチェリーボーイですよ」

 

 そう振り向いて笑顔で答えた。夕焼けにも負けない程に煌めいて見えた。





「いや、どうしたもんかな」


 カッコ付けたのは良かったが正直不味い。このままでは路上で夜を明かす羽目になってしまう。まさか、現代っ子の自分がこんな目に合うとは昨日までの俺は考えもしていなかっただろう。いや、それ以上に異世界にいる方が想像できないか。


 そんなことを考えながらも足を止めることはなかった。


 とりあえず街を見て回った時に見つけたこの街を見渡せる高台に向かってる。そこを選んだ理由は特に無いが何となく行ってみたいと言うか、感じるものがあったからだと思う。


 こういう見知らぬ土地では本能に従うのがいいって誰かが言ってたような気がするから。


 

 世界が夜の闇に染められ始める。太陽は逃げるように小さくなり、より一層濃い赤色を発している。


 高台に着いた俺は、大空に目を奪われていた。電柱も空に伸びるビルもない。開け放たれた天井。そして、足は自然と一番見通しの良いところに向かっていた。


「――ん? いや……まさか……」


 見間違いだと思い、目を擦る。今一度その原因の方に目を向ける。残念なことにそれは見間違いでは無かった。





「あの、何か困った事があったんだと思うけど、もう1回考え直さない?」


 眼前には高台の縁に立つ、揺れる人影。


 原因……もとい高台の先で身を投げ出そうとしている女性に声をかけた。それも出来るだけ刺激しないように。


 背を向ける彼女は長い紅い髪が特徴的で少し背が高く、紅いロングスカートとの組み合わせは実に高貴さが滲み出ている。――そう、薔薇のような女性だった。


 横顔がチラリとこちらを振り向いて、また前を向いた。その紅い瞳は光を宿しておらず、世界の終わりを見ているみたいな絶望の色。そして、その横顔だけで分かった。育ちの良い綺麗な顔。


「あなたには関係ないでしょ」


 冷たい言葉には何の熱も感じない。



「悲しむ人がきっといるよ。力になれるか分からないけど話してみてよ」

 

 ゆっくり1歩ずつ、1歩ずつ近づきながら聞く。


「うるさい、あなたに何が分かるのよ!」


 女は怒りのままに虚空に一歩を踏み出していた。虚空にはもちろん蹴るはずの大地は無く、体を支える大地は遥か下だ。そうなると後は物理法則に従って自由落下をする。


 ――――あ、ヤバイ。そう思ったときにはもうすでに動いていた。


 実際に見たことはないというのに、その先の光景を嫌でも幻視する。潰れ、飛び散る、赤い染み。





 ――――――――がそれは間一髪防がれた。俺の手によって。つかめたのは奇跡だ。こんなに早く走ったのはいつぶりだろうか。辛うじて掴めた女の右腕は俺の掌を滑り、手に移る。


「やめて。放してよ! ――っもう死なせて!」


 女は叫ぶ。


「させるか。もう二度と俺のせいで死なせない。いいから俺に助けられてくれよ!!」

 

 俺も叫ぶ。


 正反対の意志を宿した瞳。黒瞳と紅瞳が交差する。


 もう自分でも何を言ってるのか分からないが、どうにか引き上げようとする。体は一応は軽く鍛えているが流石に推定40キロを腕一本で上げられるかどうか分からない。


「……あ、ぐ……このままだと、俺も、ヤバい。だから俺を助けると思って頼むよ―って言うかお願いぃいい……」


「え、そ、そんなのあなたが手を放せばいいじゃない」


 焦ったように叫ぶ女は最初とまるで別人のような反応だ。色の戻った瞳をパチクリさせて、俺と下を見比べている。


 勝機、この反応はいける。いけるはずだ。


「それが、悪いけど強く握りすぎて開かなくなってんだ……。まあ美人な人と死ねるのならいいか、うん」

 

 謎理論で無茶苦茶だがどうだ? どうにかなってくれ! あ、ほんとにヤバイ。


 焦りと筋肉の稼働によって汗が吹き出る。グリップが効かなくなってくる。このままだと、道連れにされるまえに、彼女だけを落としてしまう。それだけは、それだけは避けなければ。


「え、ええっ! そ、それは嫌」


 少し傷ついたがそんな事は関係ない。手を掴まれ、俺が今手を離せば死んでしまうのに女は本気で嫌がっていた。笑えて来てしまう。やっぱり、こんな娘が命を投げ出すのには早すぎる。


「だろ? じゃあ生きようぜ」


「……。……あなたとは死にたくないし、……はぁ、分かったわ」


 真顔で俺の顔と掴んだ腕を交互に見た後に、観念したのか手を掴む力が強くなった気がした。


 作戦成功だ。心変わりが早いのはいいことだが、次は行動を起こす前によく考えてもらいたいものだ。


「よしじゃあ、魔法かなんかで頼むわ。こうバーンと」


「助けるって言いながらそう来るのね」


 助けられる側のくせに言ってくれる。


 しかし、無いものはない。ここまで引き留めたことをきちんと評価してもらいたいものだが、それはまた後で。


「早くしてくれぇー」


「え、もうかけたわよ? 早く上げてくださる?」


 俺の手一本でぶら下がる女はこの状況をどうとも思っていないのか、涼しげな表情だ。


「は? 何言ってんだ―――ってアレ? いけるこれ上げられるわ。よいしょー」


 急に腕にかかる重さが軽くなった気がする。


 そして、掛け声はダサいが大切なのは結果だ。

 

 ドサッとカツオの1本釣りのごとく引きあげた。二人して地面に転げ落ちる。腰をさすりながら釣り上げた彼女の方を向いた。


「……。とりあえずありがとうと言っておくわ。……で何が目的なの?」


 堂々と、腕を組んで立っていた。夕日を背に、夕日に負けないくらいの紅い瞳に光を宿して、ふてぶてしい態度で。


 助けた一言目がこれだ。だが、不満はない。誰かに感謝されるためにやったわけでもない。俺の自己満足。


 こんな事を言える程度に精神も安定しているのはいいことだ。


「目的も何も、ただ助けたかっただけだよ」


 立ち上がり、パンパンと土を払う。


「そう、変わった人ね」


「悪かったな。……あ、そういや俺困ってるんだ。あんた見るからにお金持ちそうだろ俺を助けてくれ」


 皮肉を言いつつ俺の現状を思い出した。お金も、宿も、知識もなにもない素寒貧。命を助けてあげたのだ、多少のお礼はあってしかるべきだろう。


「お金持ち? そんなのちっぽけなものじゃないわ。……何、私のこと知らないの?」


 フンと俺の予想を鼻で笑う。そして、俺の下に歩み寄ると、整った顔を近づけて。紅い瞳は何故か目線を引き付ける。


 自分を知らない俺を幽霊でも見たかのような顔で見詰めている。


「……遠くから来たからな」


「ああ、なら顔を知らなくても仕方ないわね」


 こういう自分を知っていて当然みたいな有名人は嫌いなのだが……一体こいつは……?


 ゴクリと喉を鳴らす。これから伝えられるであろう言葉に耳が傾く。


「でどこの何様なんだ?」






「この国の王女様よ」


 落日の高台で再び黒瞳と紅瞳が交差する。一つは驚きと困惑。もう一つは疑問、疑念そして――を宿しながら。

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