無力の英雄

覡 天狐

第一章 二輪のバラ

第0話 プロローグ

 音が、声が聞こえる。



「――――」



 でも、嵐のみたいな騒音に紛れて、とても聞き取ることは出来ない。



「――――――」



 微かに鼓膜に届く音は、ずっと聞いていたいような、もう二度と耳にしたくないような声の暴風。



 悲しさ――、寂しさ――、苦しさ――、そして幸福に満ちた――、感情そのものと言えるいくつもの声だった。それらは混ざり重なり何を伝えたいのか、はっきりとは分からない。



「――――――――」



 けれど、そんな嵐のような音の中ただ一つだけ――――確かに聞こえた言葉があった。


「――――お願い、――私を、私を■■て――――」


 聞き覚えのない誰かの慟哭。


 北国の海を漂う氷塊のように冷たく透き通る声にも、溶鉱炉に溶ける鋼のようにドロリと燃えたぎる声にも思えた一声。


 顔も名前も知らない、そんな誰か。


 ――何を? ――どうして?


 普段は抱く疑問はここでは浮かばない。


 ――なぜ俺が?


 する理由は全く無い。だけど、これだけは分かった。




 これは“俺がすべき、俺にしかできないことだ”と。




 音に聞く『宿命』や『運命』みたいな聞こえの良いものじゃない。


 それでも、そうであったとしても、


 この声に――俺は誓う。





 「……、……ん。朝、か……?」


 俺の一日の朝は頭痛から始まった。頬を伝う涙を拭う。何か夢を見ていたのかも知れない。しかし、何も覚えてはいない。


 良い夢ほどすぐに忘れてしまうと聞いたことがある。この様子だと今日はとびきり素晴らしい夢を見ていたのだろう。手放した夢の中の自分を羨ましく思いながら体をググッと伸ばす。


 そして、目を擦りながら窓の方に向ける……、カーテンの隙間から入る光はまだまだ淡い。耳に意識を向けると窓の外からチュンチュンと鳥の歌声。

 

 不思議に思い視線を枕元に移せば、その先にはうつぶせに寝転ぶ無骨な目覚まし時計。それを可哀想だが無理やりに起こす。予想通り彼の表情は五時にも掛かっていなかった。


 一階から朝食の用意の音も聞こえない―――のは当然だ。何故なら俺は両親がいない天涯孤独の身だから。


 朝食の用意は自分で簡単に済ますし、もうそろそろこの暮らしにも慣れたころだ。両親がいないのは生まれてから長いが、起きて誰もいないのにはなかなか慣れない。


 最近は施設の方に顔も出せていない。そう思いながらベットのそばにある写真立てを手に取る。そこには八人の子供たちと俺が笑顔で並んでいる。


「あいつら、元気でやってるかな」


 独り言をつぶやきながら写真立てをもとの位置に戻す。


 普段は七時かそのあたりに起き、朝食を軽く済ませて学校に向かう。ので、二度寝が大好物の俺は多少の後ろめたさを感じながらも覚醒しかけた意識をまどろみに落とした。

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