56 彼女のご褒美

日向に女教師の格好で勉強を教えてもらってから次の日。


俺は学校の自習の時間に、日向が作ってくれた予想問題を解いていた。


今の学校の雰囲気は、とてつもなくピリピリしている。


みんなテストで良い結果を取ろうと必死になっているからだ。


このくらいの時期になると、学校の図書室や自習室は常に満席になる。


俺も一度だけ使える機会があったが、本当に静かで、シャーペンを走らせる音や、消しゴムで文字を消す音、ぺらぺらと紙をめくる音しか聞こえない。


一秒でも勉強出来る時間が惜しいのか、先生が自習にすると言った瞬間チャートを解き始めたのは、流石に笑ってしまった。


そんな俺も、今は真剣に日向特製の問題に取り組んでいる。


この予想問題は、少し前から日向が俺のために作ってくれていたもので、綺麗な字で各教科の先生の出題傾向などがまとめてあるものだ。


俺が得意な単元は難しい応用になっていたり、逆に苦手なところは演習問題になっている。


重要なところや、大切な公式などはカラーペンで強調してあって、先生役の可愛らしいくまさんなども登場している。


ノートに出てくる先生役にくまさんを選んでくるあたり、本当にくまさんが好きなんだなあと自然に顔が綻んでしまう。


いかんいかん。今は真面目に自習をする時間だ。


緩む表情筋を強く引き締めて、授業の終わりを告げるチャイムが鳴る時まで、俺は真剣に問題に取り組んだ。








四時間目は自習ではなく、普通の授業だったので長いようにも短いようにも思えた。


ささっと机の教科書などを引き出しに入れていると、がらがらと扉が開かれる音が聞こえた。


「失礼します。…葵くん」


聞き慣れた声の方へ顔を向けると、可愛らしい彼女が居た。


付き合い出してから、お昼ご飯を一緒に食べるようになったので、日向がこの教室に来るのは当たり前になってきた。


それでも生徒からの嫉妬や羨望の眼差しは絶えず、視線だけで射抜かれそうである。


俺はなんとも無いような顔をして、日向の方へ歩み寄る。


「うん、じゃあ行こうか」


「はい。お邪魔しました」


日向は華麗に礼をして、ゆっくりとドアを閉めた。


彼女は当たり前かのように俺の隣へ並んでくれて、そっと俺の手を握ってくる。


その行動から、少しでも俺と繋がっていたいという思いが伝わってきて、胸がじんわりと暖かくなる。


俺が手を握り返すと、日向は嬉しそうに微笑んだ。


もう、可愛すぎるよね。


今の時間は廊下に人はあまりいないため、手を繋いだまま目的の場所へ向かう。


目的の場所はそんなに遠くないので、すぐに着いてしまった。


決して手を繋がなくなったことに残念がっている訳では無い。…違うからね?


目的地とは、校舎の裏側にある花や木が植えてある場所。


そこにはひっそりとベンチが三つ程置いてあるのだ。


景色が良いし、木が影を作ってくれて涼しい。


そして人があまり来ないので、日向とお昼を過ごすのにとっておきの場所だ。


こういう場所は普通の学校にはあまり無いと思うので、頑張って勉強をして良かったと思う。


そのおかげで日向に出会えたしね。ここ重要。


ベンチの一つに腰掛けて、日向はお弁当の包みを開けて、大きいお弁当を渡してくれた。


「今日もありがとう、日向」


「いえいえ。大好きな葵くんにお弁当を振る舞えると思うと、私も嬉しいんです。さあ、食べましょう」


自然に「大好き」と使ってくるので、本当に油断ならない。たぶん今は顔が赤いはずだ。


「俺も、大好きな日向のお弁当が食べれて、本当に幸せだ。いただきます」


「…い、いただきます」


“何故か”顔が赤くなっている日向だが、気にしないでおこう。


お弁当を開けると、彩りの良いおかず達と、美味しそうなご飯が入っていた。


日向はもう、俺の胃袋を掴んでいると言っても過言では無い。本当に掴んでいる。


だからお弁当の中身も、俺の好きな物がいっぱいだし、そして健康に良いものが入っている。


冷凍食品などは入っておらず、全部彼女の手作りだ。


食べ盛りの男子高校生の胃袋に合わせて量も考えているのだから、頭が上がらない。


「うん、美味しいよ」


「よ、良かったです。ちゃんと美味しいかな、って毎回緊張するんです」


「日向の料理はどれも美味しいから、緊張しなくてもいいのに。全部俺好みの味だよ」


「…有難うございます」


日向が緩んだ表情を見せないように顔を伏せるので、食べる手を止めて頭を優しく撫でておく。


なんて幸せな時間なんだ。


この甘い空気、今が言うチャンスかな。


「…日向、テストのご褒美は、何が良い?」


俺がそう聞くと、日向は何のことだか分からなさそうに、顔を上げた。


「ごほうび、ですか?」


「うん。日向が今回のテストで良い結果を取ったら、何かご褒美を上げようと思ってさ。何が良い?」


「そ、そんな。ご褒美なんて。別に私は、葵くんと一緒に居られればそれだけでご褒美です」


「そう言ってくれるのはとても嬉しいけど、日向が一生懸命勉強に取り組んだんだ。何かご褒美を上げたいんだよ。今すぐ決めなくていいから、決まったら教えてよ」


「は、はい…。で、でしたら!ご褒美に、デートをお願いしたいです」


「デ、デート?いや、折角のご褒美なんだよ。もっと他に良いのを…」


「デートが良いです!嫌ですか?」


「嫌なわけないよ。そんなに言うなら、デートにしようか」


「やった!嬉しいですっ」


上機嫌に腕を組んでくる日向に、笑みを零しながら こんな事で良いのかなあ? と考える。


まあ、幸せそうなら、それでいいや。日向が決めたことだし。もっとご褒美の機会を上げたら、喜んでくれそうだ。


「では、葵くんのご褒美は、何にしますか?」


「え、俺?」


「そうです。葵くんも、今回のテストに向けて頑張っていますからね。ご褒美があって当然です。今すぐに決めなくて良いですから、考えておいでください」


「い、いやでも…」


「葵くん、ご褒美あげたいです」


「考えておきます」


組んでいる腕にぎゅっと力を込めて、上目遣いで縋るように言われたら、断れる訳がありません。即答でした。


俺は日向を大切にするし、日向も俺を大切にしてくれているのだと改めて分かって、幸せです。


そんなこんなで、日向と充実したテスト期間を過ごしていたら、明日がテスト当日になっているではないか。


でも怖いといった感情は無い。


明日や明後日のために、ストイックに勉強してきたんだ。


俺は出せるもの全てを出すだけ。


そう思い最後に追い込みをかけて、布団に入った。

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