6

 駅前でこれ以上騒ぎ立てるわけにはいかなかったため、私たちは学校へと戻ってきていた。

 神代先輩は思い切り走って犯人を捕まえたことに満足したのか、後のことは興味がないと言って立ち去った。

 彼女のことだ。本当ならば、愛する超常現象を利用されたことに腹が立つところを「どうせ、これから変人にいじめられるんだろ?」と言って、身を引いた。

 神代アウルと倉科将鷹。狸塚先輩にとって、いったいどちらに責められるのがマシか……それは、考えるまでもなかった。

 だって、どちらも願い下げだったから。

「ここにしようか。さあ、入って」

 人通りの少ない場所にある空き教室を選んで、中へ入る。

 そこで、私そっくりのメイクをした狸塚先輩を前にした。

 近くで見ると、私と狸塚先輩では骨格が異なるために、似ているけれど違う人と認識できた。

 とはいえ、私の特徴を見事に再現している。少し離れた場所からであれば、問題なく騙せるレベルだ。

「現行犯逮捕……言い逃れなど許されない状況だけれど、改めて問うよ。君が狐崎会長のドッペルゲンガーだね?」

 こくり、狸塚先輩は小さく頷いた。

 駅前から、ずっと俯いている。

「君が、チームの子たちと一緒に持ってきてくれた目安箱の投書。それさえなければ、未だに君はドッペルゲンガーでいられただろうね」

「あ……」

 そうか。わかってしまった。

 どうして狸塚先輩が事の発端である投書を私たちの元へと持ってきたのかが疑問だったけれど、彼女は持ってこざるを得ない状況にあったのだ。

 本当は、隠蔽してしまいたかった投書。しかし彼女は、チームメンバーとともに投書内容の確認をしていた。

 例の投書を見たのは、狸塚先輩だけじゃない。パートナーはもちろん、チームメンバー全員が見ていただろう。

 そこで握り潰してしまえば、そのメンバーたちに不審がられてしまうことになる。

 リーダーシップを発揮し、これからの一年をともに行動していくチームメンバーの前で、彼女は隠すことも誤魔化すこともできなかったのだ。

 何故ならチームは、パートナーは、一緒に行動し助け合う仲間であり、同時に役目を持っているから。

 チームの誰かが後から私たちにドッペルゲンガーの話をして、知らないという反応をされたなら、彼女が報告を怠ったことが明るみに出てしまう。

 その時に、どう言い訳をするか……何をどう言ったところで、チーム内の信用は確実に失われる。

 それは、リーダーとして痛手でしかない。特に、元々そういった気質の人間でない彼女にとっては尚更だ。

 だから彼女は、投書を持ってくるしかなかった。報告するしかなかった。

 ドッペルゲンガーの話を、私たちに聞かせるしかなかったのだ。

「僕たちは投書を元に、相談主が狐崎会長だと知り、彼女に話を聞いた。本人でさえまるで鏡の中の自分だと驚いてしまうくらいの、そっくりな人物が現れたという話をね。その人物が、本当にドッペルゲンガーであるのかどうか……彼女の依頼を受け、調査を開始した。しかし、超常現象なのか人間なのか。決定的な証拠は何も得られなかった。そこに、とある人物が現れる」

 倉科先輩からのアイコンタクトを受けて、私はカバンの中から昨日拾ったブーメラン型のキーホルダーを取り出した。

 現在の彼女のカバンには、ついていない物だ。

「公園での調査中に、関係者と思しき人物と遭遇してね。逃げたその人物が立っていた場所に落ちていたのだよ。到着時には見られなかったからね。おそらく、その人物の所有物だと考えて問題ないと睨んでいる。――これは君の物だね?」

「昨日、同じ物をカバンに付けておられるのを見ました。私へ扮するために外されたわけではありませんよね?」

「……ここまできて、しらばくれるつもりはないから。こんなキーホルダー、そうそう転がっている物でもないしね。だから、返してもらえると嬉しいけど」

「もちろん返すよ」

 倉科先輩の言葉を受けて、狸塚先輩へとキーホルダーを手渡す。

 受け取った彼女の顔が、一瞬綻んだ。

「君にとってそのキーホルダーは、ただの修学旅行の思い出でも記念でもない。とても大事な物だと察するよ」

「大事な物ですか?」

 私の疑問に倉科先輩が頷く。「だって」と続けた。

「狐崎会長とお揃いのキーホルダーだからね。唯一の、彼女と揃いの私物。大事でないはずがない。何故なら君は、彼女を崇拝しているから」

「崇拝……?」

 思わぬ言葉に息を呑む。それは、憧れという言葉で片付けるには、ひどく重い響きを放っていた。

「君なら、このキーホルダーを見せただけで、諦めて自白してくれるだろうとは思っていた。しかし、それは決定的な証拠にはならない。だから、罠を張らせてもらったよ。君をドッペルゲンガーの姿で追い詰めるために」

「昼休みの会話を聞いているって、バレていたのね」

 昼休みの空き教室で、突如として超常現象説を強調し始めた倉科先輩。

 そんな中彼は、不審がっていた私にそっと一枚の紙を寄越してきた。

 それは、隣駅周辺に住んでいる生徒たちのリストの裏。

 そこには「監視されている」と書かれていた。

 しかし、そこは倉科将鷹。会話を聞かれていることすら逆手にとって、犯人を騙す作戦を立てたのだ。

 それが、仲違いをしたように見せかけること。

 私が一人で行動すると思わせ、尚且つドッペルゲンガーの存在を信じていないと伝えること。

 そうすることで、この一件から私たちに手を引かせようと考えている犯人に、チャンスを与えようとしたのだ。

「ハトちゃんは名女優だね。アドリブであのような演技ができるのだから。『この目で見たものを信じます』と言った時は、頬が緩みそうになったものだ」

「まんまと騙されたわ……その言葉を聞いて、じゃあ見せつけてやろうって。信じざるを得ない状況を作ってやろうって思ったもの。あの時点で、もう負けていたのね」

 がくりと肩を落とす狸塚先輩。

 その表情は、どこか吹っ切れたようなそれだった。

「最初は、ただ真似をしてみたかっただけだった」

「狸塚さんは、狐崎会長に憧れていた。それがすべての始まりだね」

 こくりと頷く狸塚先輩。何があったのかを、話して聞かせてくれた。

 狐崎会長に憧れていた狸塚先輩。彼女のようになりたくて、髪型を真似、ダイエットをして体型も似せた。

 チームリーダーのこともそう。人を率いる立場にある彼女のように振る舞いたくて、頑張った。

 それだけだったなら良かった。リーダーシップを発揮し、変わりたい自分を変えた。なりたい自分になれた。

 しかし狸塚先輩は、そこで終わらなかった。

 彼女は、アイデンティティすら壊し始めたのだ。

 ひたすら自身を磨く。憧れの人になりたいがために。自身が輝けるように。

 その夢を一つ一つ叶えていくたびに、彼女はもっと、もっとと思うようになった。

 少しでも彼女と同じでありたい。そのために違うところがあると、ひどく自身を苛んだ。

 どうして、この声は彼女のように優しく響かないの?

 どうして、この顔は彼女のように柔らかく微笑まないの?

 どうして、どうして……。


 ――ならば、変えてしまえばいい。


 メイクで目をもっと丸く。大きく見えるように。

 鼻はもっと高く、筋が通るように。

 そうしているうちに、元々優れていた彼女のメイク技術は更に向上。狐崎会長そっくりになることができてしまった。

 声はさすがに似せることは不可能だった。ならば出さなければ良い。

 そうしてある日、その顔で制服に袖を通し、鏡に自身を映し見た。

 その瞬間を忘れる日はないだろうと、彼女は言う。

 しばらく、彼女は家の鏡の前から動けなかったそうだ。

「そうして、家の中だけでは飽き足らず、とうとう外へ出て行ってしまった……これがドッペルゲンガー誕生の瞬間ということだね」

「憧れが、こんなことになってしまうなんて……」

「悪いことではないのだけれどね。君は、度が過ぎてしまった」

 エスカレートしていった、狐崎会長の真似。

 それが当人を悩ませることになるとは、露ほどにも思わず。

「狸塚さん。君は自分が何をしたのか、そのことをしっかりと考えることだ。狐崎会長が何故目安箱に投書したのか、彼女の身になってね。君は、狐崎会長が気持ちよく学校生活を送ることを、阻害したのだから」

 真剣な倉科先輩の声音。その言葉を受けて、狸塚先輩は反省したかのように顔を俯けていた。

「では掃除完了。じゃあ、僕はこれで」

 カバンを手に教室を去ろうとする倉科先輩。しかも「行くよ、ハトちゃん」と急かされてしまった。

 このまま、この状態の狸塚先輩を置いていって良いものか。逡巡したものの、倉科先輩には逆らえない。

 私は後ろ髪を引かれる思いで、空き教室を後にした。

「行くって、どこへですか?」

「最後の仕上げだよ」

 最後の仕上げ? 何のことだろうか。

 首を傾げながらも、廊下をただひたすら歩く。

 そうしているうちに、倉科先輩の足が止まった。

「さあ、あと一仕事だ」

「ここは、生徒会室……」

 そうか。狐崎会長に報告しなきゃいけないんだ。

 でも、ありのままを伝えるつもりなのかな?

「今日は、きちんとアポを取ってある。入ろう」

 ノックをし、ガチャリと扉を開ける倉科先輩。

 中には、狐崎会長ただ一人がこちらに背を向け、立っていた。

 彼女が、くるりと振り返る。

「お待ちしておりました。倉科委員長、白瀬副委員長」

「人払いをしてくれてありがとう、狐崎会長。さて早速だけれど、君が行ったことで、確認しなければならないことがある。美化委員の委員長として、掃除を実行する」

「ええ?」

 私は驚き、倉科先輩の顔を見る。

 しかし前髪の間からちらりと見えた彼の瞳は、いつになく真剣で。これが冗談でも何でもないのだと、雄弁に語っていた。

 ただの報告で終わると思っていたのに、掃除を実行するってどういうこと?

 この時の私は、ただただ驚愕することしかできないでいた。

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