ドッペルゲンガー
1
春の
美化委員会議で、正式にパートナー制度が満場一致で決定、発足された。
白衣の天才変人、倉科将鷹の相手は、もちろんこの私――凡人、白瀬小鳩。
委員長様の希望に異を唱える者など、この学園には存在しない。たった一人を除いては。
それは私自身、例に漏れず。何故なら、そんなことをしたところで、無意味だから。
無駄に波風立てるという熱血的な自殺行為なんて、漫画やドラマじゃあるまいし、教師だって空気を読む。
学園に在籍する者ならば、誰もが知っている。この関わってはならないという彼に目をつけられたら、都合の悪いことが起こるという事実を。
神代先輩と違って、そこまで目立って表には出ないので詳細を知らないだけ。該当者が口を閉ざしていることもそうだろう。
会議室の隅っこに澄ました顔をして座っている猫田先生だって、その一人だ。
他の生徒には気付かれていないが、今や倉科将鷹の言いなり。にこりと笑った頬が引きつっているのを、私は見てしまった。
そして、もう一人の関わってはならない人物――たった一人、孤高の存在として許された残念美人、神代アウル。
彼女はいつだって例外。ペアなど組まずに「一人でさせてもらう」と、躊躇いもなく堂々と宣言した。
もちろん、その発言に文句を言う生徒はいない。どころか、誰もがその結果に胸を撫で下ろしていた。
このオカルトマニアとペアになれる人間など、彼――高等部二年に在籍する、残念イケメンと噂の彼女の弟くらいではないだろうか。
倉科、神代両名以外が心底ほっとしたその空気の中で、しかし問題児たちは突如、口端を吊り上げながら火花を散らし始めたのだった。
いったい何事かと心臓をバクバクと鳴らす。すると、どうやら神代先輩の単独行動発言が、ペア制度を提案した倉科先輩への反論も含めた挑発だったらしいことがわかった。
実際につるんだりすることは、彼女にとっては面倒ということもあるのだろう。だが、いちいち何かにつけて突っかかる二人だ。
倉科先輩は神代先輩だけが特別扱いされることに何かを言いたそうではあったけれど、おろおろする私を手前に控えてくれたのか、単純に二十五名と人数が奇数だからか、彼女の鋭い視線をさらりと流してくれていた。
こうして私たちはなんとか平穏無事に、十二組のペアと神代アウルという組み合わせを作り、落ち着くことに成功した。
しかし、倉科先輩の提案はそれだけでは終わらなかった。
常に校内全体へと目を光らせておく必要のある、この美化委員の清掃。
とはいえ、全員がいつだって気を張っておくなんてことは不可能だ。
それに「誰かがやってくれているだろう」という状況を作ってしまうと、結局のところは「誰もやっていなかった」という呆れた結末と対面しかねない。
その対策として、倉科先輩はチームでの担当制を採用した。
他学年とペアになってもらった彼らを、更にいくつかのチームに分けたのだ。
四人ずつのチームを四つと、六人のチームを一つ。その五つのチームを月から金の曜日で割り振った。
人数が多いチームには一年生を多くし、残りの四チームの一年生は一人ずつにするなど、パワーバランスを調整。
そして、各チームで一人ずつチームリーダーを任命し、それぞれ指揮をとってもらうことになった。
チームから外れている私と倉科先輩ペア、神代先輩の三人は、平日のヘルプと土曜日。そうして、なんと登校しないはずの日曜日を主に担当することになった。
では、担当曜日にチームは何をしなくてはならないのか。これだけを確認して、今日は解散するという倉科先輩の言葉に、だらけ始めていた美化委員たちは再び集中力を取り戻した。
「昼休みには、パトロールを行ってもらいたい。方法は自由だよ。チーム全員で巡回しようが、パートナーごとに動こうが、そこは各チームに任せたいと思う。リーダーを中心に話し合い、決めてもらえるだろうか」
チームリーダーに決まった三年生たちが、小さく頷く。その反応に気を良くした先輩は、「それから」と続けた。
「目安箱を設置する。僕たちが見落としていることを、生徒や教職員から教えてもらうためにね。掃除用具が壊れているとか、困っていることがあるとか。皆が自由に意見を僕たちへ届けられるようにしたい。設置場所は職員室前の、落とし物ボックスがある棚だ。箱の隣に空いているスペースがあるからね。そこを借りる許可を得た」
倉科先輩が、視線を猫田先生へ向ける。受けた彼女は、こくりと一つ頷いた。
職員室前の棚か……さすが倉科先輩。場所が絶妙だ。
人通りが多すぎても目撃されてしまうし、少なすぎると投書目的に訪れたことが他の人にバレてしまう。その点、あの場所はどちらでもない。知られたくなければ、落とし物を見に来た
これならば、匿名性が高い。気軽に投書できるため、要望がたくさん集められるだろう。
「担当の曜日には、その目安箱を放課後に一度、確認してもらいたい。気になる内容のものがあれば、チームリーダーから僕たちに報告を。主な活動内容は以上だ。何か質問はあるかい?」
「一つ、良いかな?」
すっと手が上がる。一年生が多いチームのリーダーになった、三年生の先輩だ。
「どうぞ」
「担当じゃない曜日に偶然、そういった場面を見かけた場合はどうしたら良いんだ? 対応するなら、担当制にした意味がないだろ?」
「ああ、そうだね。意見をありがとう。では、こういうのはどうだろうか?」
言って先輩が提案したのは、こうだ。
担当外の曜日に清掃状況に遭遇した場合は、担当チームか、もしくは委員長、副委員長ペア――つまり私たちに報告すること。
これならば、担当外の曜日にまで活動を強いられることはなくなるし、それぞれ「いつ」「誰が」担当であるのかを意識づけることもできる。
質問者もそれなら、と納得したようだった。
「他に質問はあるかな? ……ないようなら、今日の会議はこれで終了する。わからないことや疑問に思うことが出てくれば、いつでも遠慮なく言ってほしい。ああ、それからこれだけは言っておかなくてはね」
もう終わりだろうと気を緩みかけていた生徒たちは、突如低くなった倉科先輩の声音に背筋を正した。
「清掃活動をする僕たちの中から、清掃される人間が出ないことを願っているよ」
しん、と静寂が降る。
誰もが息を呑んでいる中、たった一人。神代アウルだけが、大声で笑い始めた。
「あんたもな、変人」
「肝に銘じておくよ、フクロウちゃん」
二人の間で、バチバチと火花が散る。
双方の口元は、にやりと楽しげに歪んでいた。
「では早速、明日からよろしくお願いするよ。――解散」
こうして、ようやく本日の会議が終了した。
何かが起こる前にと、ぞろぞろと足早に生徒たちが会議室を後にする。
猫田先生も施錠を私たちに依頼して、そそくさと職員室へ戻っていった。
私はチーム編成をメモした紙や今日決まったすべてを議事録に纏めるべく、倉科先輩とこの場に留まっていた。
神代先輩もまだ残っていることに、内心びくびくしながら。
「いつか、絶対あんたを掃除してやるよ」
「楽しみにしているよ、フクロウちゃん」
「だから変な呼び方するなって言ってるだろ、この変人!」
最近わかったことだが、この二人。どうやら互いに喧嘩の手段の一つとして、美化委員に所属しているらしい。
ようは尻尾を出した方を清掃しようと、目を光らせているのだ。
そのために二人は毎年、美化委員になりたがる。立候補の理由は、誰よりも不純なものだったのだ。
互いを蹴落とすことができる環境に身を置いて機会を窺いながら、普段は生徒たちや教職員たちを合法的に律する。
こうして神代アウルは暴れることができるし、倉科将鷹は意地の悪いことができて楽しめるというわけだ。
誰もが関わり合いたくないと思うのも、無理はない。
つくづく私はとんでもない人たちと関わり合いになってしまったと、溜息を零すのだった。
「えーっと、あとは……」
会議室内で繰り広げられる恒例の言い合いをBGMにしながら、箇条書きでノートを埋めていく。
二、三、子どものように「ばーか」とか「あほー」といった、およそ高校生の、それもトップクラスの秀才たちがするやり取りとは思えない、幼稚な喧嘩をして。そうして神代アウルは、ようやく会議室を出て行った。
静かになった空間に、倉科先輩の足音だけが聞こえる。
音は近付き、やがて私の隣で止まった。
「ハトちゃん、まるで書記のようだね。いつも助かっているよ。しかし君は副委員長であって、書記じゃない。次回は僕が書こう」
「いえ。会議の進行等、すべてお任せしてしまっているので……せめて、これくらいはさせてください」
「そうかい? しかし、ハトちゃんの書き方では議事録として不十分だからね。字も特徴的だから、解読に時間が掛かってしまうよ」
さらりと笑んだ口元で告げられ、刹那、フリーズする。
そうして慌てて泣きそうになりながら、私は消しゴムを手にした。
「……す、すべて消して、やり直します」
私は書記じゃないからとか、倉科先輩自ら書くと言ってくれたのは、どれも私に「書くな」ということを言外に告げていたのか。
そんなことにも気付かず、先輩の言葉を真に受けて……これじゃあ空気の読めない子じゃないか。
とにかく消してしまおう。こんな見苦しいものは、先輩の目の前から一刻も早く消し去らなければ。
私はそう考えながら、震える手で今し方書き終えたばかりの文字へと手を近付けた。
そこで、がしっと手首を掴まれる。
「ハトちゃんは、もっと自分の心を大事にするべきだよ」
「え?」
「冗談だから」
「じょう、だん?」
首を傾げて、隣に立っている先輩を見る。
その唇は弧を描いてはいたものの、少し困ったような声音だった。
「ハトちゃんが書く文字は達筆とは言いがたいけれど、可愛らしい。問題なく読める。一高校の委員会議の議事録なんて、決まったことや話し合った内容がわかればいい。せっかくここまで書いたというのに、消してしまうのはもったいないよ」
「じゃ、じゃあ、どうして……」
あんなことを言ったのか。そう問えば、今度は無邪気な声が降ってきた。
「ハトちゃんが、どういった反応をするのだろうかと思ってね。怒ったところを見てみたかったのだけれど、どうやら失敗したようだ」
「怒ったところ、ですか?」
「気になる子には、意地悪をしたくなるお年頃ということだよ。では、僕たちも行くとしようか。今日のうちに、目安箱を設置してしまうよ」
言いながら鍵を手に、扉へ向かう倉科先輩。
私は、何かが気になったはずなのに「早く」と急かされて、慌てて荷物を片付け、会議室を後にしたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます