3-1

 会議室に残った三人へと、沈黙が訪れる。

 犯人呼ばわりした猫田先生へ顔を向け、じっと正視する倉科先輩。私は驚きのあまり、ただ黙って先生を見ていた。

「犯人なんて……倉科くん、突然何を言い出すのですか? くじ引きで、どのようにしたらそんなことが可能なのか、皆目見当もつかないわ。本当にそのような方法があるのなら、是非教えていただきたいのですけれど」

 戸惑いながらも、不思議そうな顔で倉科先輩へと問う猫田先生。

 その疑問には、私も同意見だ。今度は二人分の視線が、先輩へと向けられる。

 倉科先輩は「確かに」と一つ頷いた。

「通常、くじ引きの確率は引く順番に関わらず平等です。特に今回のくじ引きは、単純な計算で導くことのできる、とてもシンプルで基本的なものでした」

「ええ、そうでしょうね。そういった利点があるために、くじ引きという方法を採択したのですから。平等性……不正など、寸分も入り込む余地などない。だからこそ、この場にいた誰もが異論を唱えなかったはずです。倉科くんも、その一人なのでしょう?」

「そうですね」

「それに、一人で準備したのでもありませんよ。倉科くんも見ていたのでもちろん知っているでしょうが、誰もが平等にくじを引くことができるように、きちんと白瀬さんと二人で人数分を用意したのですから。ですよね、白瀬さん」

「は、はい」

 この学校は学年ごとに八クラスまであり、それぞれの委員会には各クラスから必ず一人ずつが選出される。

 三年一組は、例外として倉科先輩と神代先輩の二人がこの美化委員に所属しているため、今年の美化委員には二十五名の生徒がいることになる。

 委員長に決まった倉科先輩がくじを引く必要はないため、私と先生は二十四枚のくじを作った。その中に、たった一枚の「はずれ」を紛れ込ませて。

 であれば、無明記の真っ白いくじを袋に戻すことはしていないのだから、私たちは誰もが二十四分の一の確率でくじを引いていたことになる。

 それは、誰がどの順番で引こうとも変わらない確率だ。変動のない、保存された確率。

 だというのに、先輩はこのくじ引きには手が加えられているのだと言う。

「くじ引きをすることになったのは、成り行き上でした。事前に用意してあった物でもありません。それは倉科くんも見ていましたよね?」

「ええ、もちろんです」

「であれば、どうして先程の発言が出てくるのでしょうか?」

 穏やかに微笑みながら首を傾げて、そうして猫田先生は男子生徒に人気のさらりとした肩まである髪を揺らして、くるりと踵を返した。

「さあ、冗談はそこまでにしましょう。退出してください」

 扉へと向かう猫田先生の姿に、私は慌ててカバンを手にする。

 そうしてちらりと見た倉科先輩の顔は、しかし冗談でも何でもなかったらしい。

 だってその口元は、つまらなそうに見えたから。

「まさか、逃げるのですか? 猫田先生」

 足を止め、顔だけで振り返る先生。

 その眉間には、僅かにだが心外とでも言いたげな皺が刻まれていた。

「逃げる……今、倉科くんは逃げるのかと、そう言ったのですか?」

「ええ、そうですよ。良かった。良心が穢れていても、聴覚には問題がないようですね、猫田先生」

 私は慌てて、自身の口元を両手で押さえる。「ひえっ」という奇声が喉から出かかったからだ。

 目の前のこの人は、倉科将鷹という男は、いったい何を言っているの? これじゃあただの挑発じゃないか。

 私は双方の顔をちらちらと交互に見ながら、ただただ何もできずに戸惑っているしかできなかった。

 そうして沈黙が場を包む。驚きに染まっていた猫田先生の表情だったが、しかしそこはやはり大人で教師。取り乱すこともなく、どころか刹那、いつもの余裕を取り戻し、微笑んでさえみせた。

「知りませんでした。倉科くんは、そのような冗談も言えるのですね。しかし、そう大人をからかうものではありませんよ。他の先生方の前では、たとえ冗談でもそういったことを口にしてはいけませんからね」

「ええ、もちろんですよ。猫田先生が相手だから、言葉にしたのです。他の先生の前でこんなことを言うなんて、口が裂けてもあり得ませんよ」

「あら……それはどういうことなのか、もちろん教えていただけるのですよね?」

 笑顔はそのままに、女神のこめかみがぴくりと微かに震える。

 何これ。今、私の目の前で何が起こっているの?

 これが関わってはならないという問題児、倉科将鷹?

 だけど神代先輩と違って、倉科先輩はこんなふうに先生をからかって遊んだりする人ではないと思っていたのに。

 ……遊び? いや、これは怒っているんだ。からかっているわけじゃない。

 それに、いつもの笑顔じゃない。どこか、つまらなそうな表情。

 時折口端だけが、まるで先生を嘲笑うかのように上がる。

 陰を帯びた彼の雰囲気に、私は知らず固唾を呑んでいた。

「どんな理由があれ、嘘を吐き、人を騙し、平気な顔ができるような大人――ましてや教職に就いている者を敬うことなど、たとえ天地がひっくり返ったとしても僕にはできませんからね」

「何を……」

「だってそうでしょう? 貴方はあのくじ引きで、イカサマをしたのですから」

 まさか。くじ引きで本当にイカサマができるの?

 だけど、くじは即席だし、引いたのは生徒たち本人だ。

 二十五名の生徒。その全員の目を欺くなんて、そんなことが可能なの?

 一緒に作った私がそばで見ていて、何も気が付かなかったのに。

 イカサマをできるような要素なんて、どこにもなかったはずだ。

「イカサマを? まさか。どうしてそのようなことをしなくてはならないの? 理由がないわ」

「人が人を欺くための理由ですか? そのようなものは知りませんね。残念ながら、ペテン師の心理など僕にわかるわけがありませんから」

「何を言って……だいたい、何もおかしなことなどなかったはずですよ。倉科くんはいったい何をそのようにして、気にしているのですか?」

 そうだ。不審な点なんて、一切何もなかった。

 それなのにイカサマなんて、どういうことなの?

「非効率だったからです」

「非効率?」

「どうして副委員長を決める方法として、くじ引きを提案したのですか? 確かに僕自身は推薦することを拒否しました。とはいえ、二十四人全員がくじを引く必要はありましたか?」

 先輩は、今の話のどこに疑問を持っているのだろう? 美化委員の副委員長を決めるのだから、全員の中から選ぶことにおかしな点なんてなさそうだけど。

 そう不思議に思っていると、倉科先輩は答えをくれるかのように続きを話してくれた。

「くじを作成するところから始まり、列を作らせ一人ずつ引かせる……余計な手間と時間が掛かりましたね。猫田先生、貴方も暇ではないでしょう。効率主義者の貴方には、珍しいのではありませんか?」

「そうでしょうか……生徒たち一人一人が納得する方法を選択することに、効率は関係ないと思うのですけれど」

「しかし役職に就くのは、基本的には三年生です。他の委員の役職メンバーには、三年生以外の学年の人間はいないはずですよ。貴方は新任でも、赴任してきたばかりでも何でもない。例年の傾向はご存じのはずだ。まだ何もわからない一年生まで対象にするのは、この学園では基本的にあり得ません。副委員長は、三年生の八人の中で決めるべきでした」

「確かにそうかもしれませんね。けれど、一年生に任せてはならないという決まりもないはずですよ。非効率だったとしても、チャンスは平等に与えられるべきではないでしょうか?」

 猫田先生は、まるでそれはこじつけだとでも言うように、挑発的な瞳を倉科先輩へと向けた。

 しかし倉科先輩は、そんなことで怯みはしない。

「もちろん、それだけではありません」

 先輩の言葉に、瞳を細める猫田先生。明らかに不機嫌だ。

 静かに散る双方間の火花。それは穏やかに見えて高温な、青い炎のようだった。

 私は邪魔にならないよう、ただ黙って成り行きを見守る。

「では、他にも何か?」

「はい。先生には、ハトちゃんが『当たり』くじを引くと、あらかじめわかっていたのです」

 驚く私をよそに、猫田先生はくすくすと笑い出した。彼女に似合った、とても上品な笑い方だ。

 何をおかしなことを、とでも思っているのかもしれない。

「あらかじめわかっていた、ですか。まさか倉科くん。ここで神代さんのように、予言や予知能力がどうなどとは、言い出しはしませんよね?」

「ええ、残念ながらもっと簡単な話ですよ。きちんと証明できますから、安心してください」

「証明ですか……しかしくじ引きで当たりを引く確率が一定だということは、倉科くんも先程認めたはずですよ。それに、引いたのは生徒たち自身です。作成時にしても、そばには白瀬さんがいました。美化委員全員の目を欺けるような何かをしたと、倉科くんはそう言うのですか? あのくじに何か仕掛けがあったとでも? それとも白瀬さんが、私の息が掛かったサクラだった、とか」

「いいえ、くじに仕掛けはないでしょうね。ハトちゃんがサクラとは面白い話です。しかし、彼女は何も知らない被害者ですから、それはあり得ません。他に協力者もいない。貴方は一人でやり遂げたのですよ、猫田先生」

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