美化委員のお仕事!

広茂実理

オレゴンの渦

1

 私立、鳥ノ森学園高等部。

 この学校には、関わってはならないと言われている生徒が二人いる。

 両名共が、学内外問わず大変有名な人たちで。いつだって、どこでだって彼らは、それぞれがいつも騒ぎの中心にいた。

 そんな人たちと同じ学校に通うことは、それだけで相当なリスクを負っていると言っても過言ではない。

 とはいえ、学年は違うし、部活も異なるために、私には袖が振れる縁すらない人たちだと本気で思っていた。

 入学してから一週間と経っていないが、既に新入生の間でも毎日噂の絶えない二人。いつも彼らの話を人づてに聞きながら、それでも私はどこかスクリーンの向こう側の、リアルフィクションのようだとさえ感じていた。

「昨日、白瀬さんが美化委員に決まりました。そういうことですので、今日からよろしくお願いしますね」

 白瀬小鳩、十五歳。高校一年生。

 平凡な私が平穏に過ごす予定で始まった高校生活は、この瞬間、ガラガラと音を立てて崩れていった。

 それは入学したての、まだ桜が花を咲かせている四月のことだった。


◆◆◆


「どうして私が、よりにもよってあの美化委員になんて……」

 少しずつ見慣れてきた高校の制服。戸惑わず辿り着けるようになった主要教室。

 辺りを見渡せば、出身中学が一緒で同じクラスになった友達や、口は悪いけれど優しい幼なじみがいる空間。

 意地悪そうな人もいない。一人ぼっちは完全回避。

 そんな順風満帆で始まった新生活に、安心し始めていた頃だった。

 入学当初の緊張のせいだろうか……まるで張り詰めていた糸がぷつりと切れるかのように、私は昨日高熱を出し、学校を休んでしまったのだ。

 幸い夕方には熱も下がり、今朝もぶり返すことはなく元気に回復して、今日はこのように登校することができた。

 そうして、秀才の幼なじみに昨日の分の授業ノートを見せてもらえるよう頼んでいた時のことだった。

 担任である猫田先生に声を掛けられ、爆弾を投下されたのは……。

「美化委員か……嫌だなあ……」

 美人教師からにこりと笑顔で告げられた事実を受け止めきれず、机に突っ伏して嘆く私。

 瞼の上で切り揃えられたぱっつん前髪を視界の隅に揺らしながら、顔だけを上げた。視野が明るくなる。ぱさりと、胸元まである黒髪が肩を滑り落ちた。

 何度目になるのかなんてわからないくらいの盛大な溜息を零しながら、ぐずっと鼻を啜る哀れな人間を、幼なじみ――間宵志鶴は、しかし非情にも躊躇なくばっさり切り捨てた。

 こちらを斜に見下ろす瞳は、いつも通りだが同情なんて言葉は知らないとでも言い切りそうな冷ややかなもので。それでも鋭く射抜かれることに慣れた私は、逸らさず受け止める。

「仕方ないだろ。運のないおまえが悪いんだから。うだうだ言ってないで、そろそろ大人しく諦めろよ。見ていて鬱陶しいから」

「そんなこと言われたって……」

 唇を尖らせながら不服さを隠しもせず、机のそばに立っている志鶴を一瞥する。

 間宵志鶴、十五歳。高校一年生。

 家が隣で親同士も仲が良い、保育園児時代からの腐れ縁。

 頭が良く、よく私を鼻で笑い馬鹿にしてくる上に、口調も辛辣で冷たい。しかし根は優しく、何だかんだ言いつつも世話を焼いてくれる友人だ。

 身長は平均値の私よりも低く、ぱっちりと大きい目をした童顔で、とても可愛らしい顔立ちをしている。

 きっと、私よりもこの制服が似合うのではないだろうかとさえ思えてしまう彼は、そう――志鶴という可愛らしい名を持つ彼は、れっきとした男子高校生だ。

 声も高めであることも相まってか、よくボーイッシュな女の子に間違われてしまう。

 本人はとても気にしていて、格好良い男になるという野望を持つ当人にとっては、目下の悩みだ。

 そのため容姿や名前のことでからかおうものなら、見た目にそぐわない日本拳法の腕前でボコボコにされてしまうのである。

 そんな彼は、風紀委員になったようだった。

「もう決まったことだろ。いつまでも拗ねてんじゃねえよ」

「別に拗ねてなんて……」

「拗ねてんじゃねえか」

「……拗ねてない」

 視線を逸らしてそう言えば、これ見よがしに盛大な溜息を吐かれた。

 わかっているのだ。今更何を言ったところで、この決定が覆らないことは。

 とはいえ、悔やんでも悔やみきれないのだから、仕方がない。

 だってそう……まさか昨日が委員会を決めるとても重要な、運命の日だったなんて思わなかったんだもの。

 知っていれば、無茶をしてでも学校に来たのに……。

 そう嘆くも、悲しいかな。志鶴は案の定、慰めの言葉すら欠片もくれはしなかった。

「本当、おまえって昔から不運だな」

 そう。私はいつだって貧乏くじを引く。

 それはもう昔から変わらない、抗いようのない事実だった。

「せめて欠席さえしなければ、こんなことには……」

 項垂れる私に、しかし志鶴は「いや……」と否定語を口にした。

 どうにも歯切れが悪い。もごもごするなんて、彼らしくない。

 気になって私は顎だけを乗せていた机から頭を上げて、背筋を伸ばした。

「何かあるの?」

「え、ああ……おまえの運の悪さなら、結局のところ出席したところで結果は変わらないと思ってな」

「どうして?」

 私が欠席していたから、これ幸いとクラスメイトたちは魔の「美化委員」を私に押しつけたんじゃないの?

 そう首を傾げていると、志鶴は片手で額を押さえて嘆息した。

 そのまま、じとっと睨めつけられる。

「おまえな……まだ日が浅いとはいえ、もう少し自分のクラスメイトのことを信用しろよ」

「信用って……何、どういうこと?」

「あのな……押しつけでも、余ったわけでもない。真っ先に決めたんだよ、皆で。恨みっこなしってな」

「え――」

 志鶴は教えてくれた。

 誰もがなりたくなどない美化委員。しかし、誰かがならなくてはならない美化委員。

 であれば、もちろん立候補者なんていないのだから、公平な手段で決めようということになった。

 それが――

「くじ引き?」

「ああ。なかなか決まらないのもあって、猫田先生が公平に決めるならどうかと提案してくれてさ。即席でくじを作ったんだよ。にしても、あの先生穏やかそうな見た目して、ちょっとせっかちそうだな。理路整然としてる辺り、数学担当って頷けるけど」

「そうだったんだ……」

「まあ、おまえにとっちゃあ、まさしく『貧乏くじ』引いたってことになるんだろうけどさ」

 まさか、そんな手段で決まったのだとは思わなかった。当たり前のようにクラスメイトを疑った自身が恥ずかしい。心の中で全員に謝罪する。

「それとも何だ? おまえの分のくじを引いた猫田先生でも恨むってのか?」

「そ、そんなことしないけど……」

「だったら、とにかく腹括ることだな。委員の集まりは、今日の放課後だぞ」

「ぐげっ……」

 さらりと告げられた事実に、踏み潰されたカエルのような声が喉から出る。

 私はまた熱が上がるのではないかと、頭を抱えた。


◆◆◆


 この高等部の美化委員は、とても有名だ。学園関係者はもちろん、高等部から入学した新入生の私だって既に知っている。

 一般的に美化委員と聞くと、多少ながらも地味な印象を抱く人が多いのではないだろうか。

 校舎内外の環境美化に努め、清掃用具の管理を行い、誰もが気持ちよく学校生活を送ることができるよう尽力する委員会。

 大掃除の時でさえ目立つことのないそんな美化委員に、まさかこの私が選ばれてしまうとは。

 掃除は嫌いじゃない。委員会活動がやりたくないわけでもないし、他にやりたかった委員があるわけでもない。

 言うまでもないことだが、目立ちたいわけでもない。

 であれば、どうして私がこんなにも渋っているのかというと、この鳥ノ森学園高等部の美化委員が普通ではないからだ。

 誰もが気持ちよく学校生活を送ることのできるよう尽力する委員会――それこそが問題なのである。

 清潔な校内の環境維持は当然のこと。しかし、その程度には留まらず、彼らはあらゆる問題に対処すべく出動する。

 それがたとえ、校内の風紀に関する問題だとしても関係ない。

 この美化委員はする委員会だから。

 そのために対象は校則違反の取り締まりから、服装規定の遵守。授業のありかたに、いじめ等々……。

 生徒だけでなく教師をはじめ、この学園に関わるすべての人間の問題に首を突っ込み、文字通りクリーンに清掃していく委員会。

 友情問題から色恋沙汰、家族関係までもが彼らによる清掃の範疇なものだから、プライバシー侵害も甚だしく。あの風紀委員や生徒指導の教師以上に、生徒たちからは毛嫌いされているという組織なのだった。

 そうして、風紀委員とは仲が悪い。それはそうだ。存在理由を根こそぎ奪っているようなものなのだから。

 と、それだけで誰もが目を背けたくなる集団なのだが、一番の問題は別にあった。


 そもそもの理由――美化委員には、あのという二人が所属しているのだ。


 二人は、二年連続で美化委員に所属していた。しかも自らの意思で。

 今年も彼らは美化委員に立候補するに違いないという全校生徒の予想は裏切られることなどなく、見事的中。

 生徒会執行部でなければ、どの委員も所属は各クラス一人ずつにも関わらず、双方どちらもが譲らず決着がつかなかったために、なんと例外で彼らは同じクラスだというのに、二人ともが揃って美化委員に決まったのだそうだ。

 美化委員の仕事の定義に当てはめるならば、きっとこの二人こそが全校生徒、ならびに教職員にとって気持ちよく学校生活を送るための障害だと思うのだけれど、誰もそんなことを言えるはずもなく。

 こうして私は、次元の違うステージに立っていると思っていた有名人の二人と同じ組織に属し、嫌われ仕事をすることになってしまったのだった。

「鬱だ……」

 こんなにも憂鬱な気持ちで迎える放課後は、生まれて初めてだった。

 とはいえ、逃げるわけにもいかない。

 そんなことをすれば、美化委員の今年度最初の餌食はこの私だ。トップバッター? 名誉の第一号? 有名人の仲間入り? ――嬉しくない。

 それだけは嫌だ。絶対に阻止せねば。なんとか平穏無事に生き延びるんだ。

 できるだけ目立たないよう、他の生徒たちに紛れて時間までをやり過ごそう。よし、それが良い。そうしよう。

 そんなこんなで、ぐっと拳を作って。一人頷き心に決意をした私は、美化委員会の会議に指定された教室へと、まっすぐ向かった。

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