第7話

 ヴンシュは地図を開いて俺にそれを見せた。


「この村には殆どもう人はいません。領主のファンド オッペルト公爵と私、友人のマルシア シシリエンヌとメル商店のアリシア夫人がこの付近に住まわれております。どちらもセレナーデ王国系の人種ですね。

 私の友人は今夜メラスクエアに避難しますが、公爵は付き添う人が居ませんから、きっと置いてかれるかと思います」

「それはなぜでしょう?」

「公爵にお会いしたならもうお分かりでしょう? あの他人を小馬鹿にした様な振る舞いに村の方々は怒りを感じたのでしょう」

「ははぁ……」


 たしかにあれを好きだと言う奴がいるなら、そいつを物好きだと俺は思うだろう。


「ところでヴンシュさん。この北部の屋敷は?」


 一番気になる大きな建物を指差した。それは俺がさっき行った廃城とは真逆の方向にあった。


「ここから少し歩くと大きな廃墟の屋敷があるんですよ。でもでも、そこには近づかれない方が賢明かと。その廃墟の周りには大教皇時代の水堀が施されており、侵入は無理でありましょうが、現在は魔物達の住処になっているそうです」

「なるほど。貴重な情報が入りましたよ。ありがとうございます」

「いえいえ。煙草も出せないなんて、私はメイド失格ですわ」

「どうかそんなに謙遜なさらないで下さい。私は禁煙家ですから、その点はむしろ煙草臭がしなくて嬉しいんです」

「そう言ってもらえて嬉しいですわ。でも、ガウス先生。貴方のズボンのお尻の所に煙草の灰が付いていましたのよ?」


 そう言ってヴンシュはいつもの明るい清らかな笑みを浮かべた。

 ……ん?


「今、煙草の灰とおっしゃいましたか?」

「ええ。先程それとなく払わせて貰いましたが……」


 流石はスカイ共和国のメイドとだけあるな。

 しかし、煙草の灰というのは気になる。オッペルト公爵は。根拠に俺が屋敷にいた時は、煙草の匂いなんて微塵もしなかった。

 つまりは俺がオッペルト館に来る前に来たであろう、ある人物。それが落として行ったのだろう。加えてオッペルト公爵は評判が良いとは言えないらしい。

 ならばその人物は

 まとめると、

 なら、不味いんじゃないか? 呪いをかける様な奴が出入りする屋敷にエリーゼを置いて来てしまったのだから。

 俺は無意識にヴンシュの家を飛び出していた。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


 黒い魔物を眠らせた後、私は二十分程歩き続けた。屋敷の出口は見つけたのだが、外は水堀があり、橋が上がっていたので出られなかった。ほうきがあれば飛んで行けるのだが、生憎あいにく私の持っているものは杖くらいだったので、仕方なく再度屋敷の中の散策に戻る羽目になった。たった今気がついたのだけれど、右手の手袋もなくなっていた。

 右手のひらの焼け跡がどの様に付けられたのかは、現在の私は覚えていないし、知る由も無い。そんな傷を見るのはお風呂の時くらいなので、外で久々に見るとなんだが痛々しく感じられた。


 堀を渡るためにほうきを探して歩き回っていると、最上階の大きな扉の前にやってきた。奥からはゴバリンと思われる二人の言葉が聞こえた。


「ハリャ? ファハガギルラフィンクリュ?」

「イユ、スペスト ネオン! おやおや、盗み聞きとは趣味が悪いね、お嬢ちゃん!」


 それは突然だった。室内のラフィンが私に向かってこう叫ぶと、私は胸元を掴まれたかのように、魔法で部屋へと引きずり込まれてしまった。


「ふふふ……」


とラフィンは相変わらずの余裕の笑みを浮かべ


「ら、ラフィン様……。ど、どうされますか?」


一方、前髪のないイユと呼ばれた部下は動揺しているように見えたが、その割には彼女もメタリカ語を話していた。

 私はラフィンを睨みつけた。


「……! ああ! 名前の言えない貴女です!」


名前を呼ぼうとしたが音が出ず、私は苛立ってラフィンに指を向けた。


「何かしら?」

「どうして私にこんな事をするのですか!?」

「またそれ? 少しは考えてほしいわね!」


 ラフィンがニタっと笑みを浮かべた瞬間、彼女は杖を取り出した。されど、私ももう油断はしていない。

 私はすかさず


「『アンシュシュラフン』!」


と眠りの呪文を唱えた。

 成功すれば、ラフィンは眠るはずだった。そうしたのちにこの隣の女を捕まえて、出口を吐かせようとした。

 しかし、術は成功したのだが、放たれた光線はラフィンによって弾かれてしまったのだった。


「まさか、貴女がここまでやるなんて……。クックッ……クソガキがぁぁあ! この妾に魔法で闘いを挑むなんて……無礼だわ!」


 あえなく先制攻撃の出鼻を挫かれたラフィンはワナワナと震え、内なる怒りを表し、声高に叫んだ。


「ええい、許さん! 死ね! 『ツァストゥーロング・ホング・ナーバス』」


 ラフィンが唱えたのは聞いた事のない呪文だったがその効果は、学問を修めている私にはすぐ分かることだったし、到底防げないものだと悟った。

 死の呪文だった。厳密には神経崩壊の呪文だ。

 ラフィンの杖先の魔法陣から光が放たれ、私は目を瞑った。私はこの光によって死に至るのだ。

 ああ、ラフィンは隙のない強い魔法使いだった。私の様な一人では生きる事も出来ない弱者が挑んでいいはずがなかったんだ。私は命乞いをすべきだったのね。



 目を瞑り、暗闇の中でただ感覚が鋭くなるのを感じた。けれども、私は何も感じなかった。一瞬の事のはずが、延々と続く様に感じた。


……



……



……




 恐る恐る目を開くと、見に映ったのは先ほどの黒い魔物の地に伏す姿だった。

 かの魔獣が私をかばったのだ!


「ど、どうして?」

「君はガウスとか言う奴との約束があるのネ……」

「よくもまあ、ハァ、こんな事を……ディスペル!」


 ラフィンの魔力は底をついたと見え、彼女は息を切らしていた。その肩をイユが支えている。


「せめて、貴方の名前を」


 私は魔物の肩を抱き、頭を持ち上げた。


「ぼ、僕はディスペル。ただの悪魔、だよ。君は僕をなるべく生かそうとしてくれたし、親切に接してもくれた。同じ魔族のラフィン様とてこんなにも優しくはしてくれなかった。僕は嬉しかったんだヨ……」


 虫の息だったディスペルは、遂に私の目の前で死んでしまった。


……


……


……


 目の前で命が散るのはいつぶりだったかしら?

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