(4)

「エージ。私だ。開けてほしい」


 扉をノックする音に、英士はクッションに埋めていた顔を僅かに上げた。


 こんな時まで付きまとうとは、本当に熱心な奴だ。

 彼女が浮かべているであろう仏頂面を想像して、英士はクッションに目を落とした。


「悪い、今は顔を合わせたくない」


 彼女に心ない言葉を浴びせるのは、英士としても望むところではなかった。

 しかし、顔を合わせて話をすれば、彼女をもやもやのはけ口にしてしまうのはわかりきったことである。碧の面影がちらついてしまうに違いないのだ。英士が自室に逃げてきた意味がない。


「そうか。では、開けなくてもいい」


 聞きわけのいいヒスイに英士は感謝する――のも束の間、英士は妙な衣擦れの音を聞いた。


「顔を合わせなくても、話はできる」


 ヒスイが扉の前に座りこんだのだと、英士はすぐに理解した。


「だから、ヒスイ。俺は……」


「エージの気持ちがわかるとは言わない。エージが混乱しているのも理解している。しかし、その上で、私はエージと話がしたいと思った。エージを一人にするのは、誤りであると判断した」


「才花さんに命令されて、来たんじゃないのか?」


「私自身の選択だ。私は、エージの力になりたい」


 ヒスイの返答は、頑とした意志を感じさせるものだった。

 不覚にも、英士は心臓がどくんと跳ね上がるのを感じた。


「……はあ」


 どこかに行け、と命令すれば、ヒスイは素直にそこを去るだろう。しかし、英士は今、ヒスイから『ロボット』を感じたくなかった。


 英士は立ち上がると、扉の前まで歩いていき、自分もそこに座りこんだ。


「……好きに話せ。嫌になったら、その時追い払うよ」


「ありがとう、エージ」


 扉を挟んで、恐らくは背中合わせとなったヒスイが、ほんの少しトーンを上げて応えた。


「…………」


 しかし、待てど暮らせどヒスイからの言葉がない。

 英士は秒針が一周するまでは待ったが、それ以上は我慢できず、自分から声をかけた。


「ヒスイ、そこにいるんだよな」


「いる」


「話しに来たんだよな」


「そうだ」


「なら、何か話せよ」


「わかった」


 そして、また秒針が一周。

 英士は眉間を揉み解しながら、また声をかけた。


「おまえ、何しに来たんだ」


「エージを元気づけに来た」


「さっきから何もしてないじゃんか」


「それなのだ」


「それなのだ、じゃないだろ」


 うむ、とヒスイが言葉を詰まらせる。

 顎に手を当てているヒスイの姿が、英士には容易に想像できた。


「困った。何を話せばいいかわからない」


「そいつは見通しが甘すぎやしないか……」


「エージ、こういう時は何を話すものなのだ」


「俺が聞きたいよ」


 相変わらず、とんちんかんなことを恥ずかしげもなく言ってみせる奴である。励ましに来たのだろうに、その対象に内容を尋ねるなど聞いたことがない。


 それでも、彼女はここに来たのだ。


「俺を一人にすると、心配だったか?」


「放っておいて自殺でもされたら、私も機能停止するに違いない」


「あなたが死ぬなら、私も死ぬってか。多少は色気のあること言えるようになったんだな」


「原則に準じた推測だ」


「まあ、死にやしないよ。安心しな」


「そうか」


「さて、お互いの無事は確認されたし、帰ったらどうだ?」


「それは違う」


 即答するヒスイに、英士は含み笑いを浮かべた。


「どう違うのかは、わからないのだが」


 わかっていないのは彼女だけだ。才花も遥も、わかっていて彼女を送り出したのだろう。

 ヒスイの思考は、三原則だけで説明できる範囲をとっくに超えている。


「なあ、ヒスイ」


「なんだ、エージ」


 英士は扉越しの彼女に語りかける。


「おまえは、人とロボット、どっちで在りたいと思うんだ?」


 ぶつけた質問は、英士が長らく訊けずにいた事柄だった。


 ヒスイは、人の『友人』として、『家族』として、設計された。人らしく振舞い、人の日常に溶け込むことが、彼女の使命である。彼女の根底にあるのは、「人であれ」という創造主からの命令だ。


 一方で、ヒスイはロボットであることに矜持を覚えている節がある。英士がロボットを貶めることを彼女は否定したし、ロボットの身を庇うこともした。今のように、「自分でもよくわからない行動」を原則に当てはめ、ロボットとしての体裁を整えようという考えも垣間見える。


 人になりたいのか。人らしいロボットになりたいのか。その違いは大きいと英士は思う。


 碧はきっと、人になりたいと思っていた。


「私は……」


 ヒスイが言い淀んでいた時間は、実際はほんの数秒のことだろう。しかし、英士にはそれが永遠にも感じられた。


「私は、ロボットだ。どこまでいってもロボットであり、それこそが私なのだ」


 ああ。


 英士は、安堵と虚無の入り混じった、言い知れない心境を感じていた。ただ、それは酷く穏やかなものだった。


「人間は不完全だ。私は人に寄り添い、それを補完することを使命とする。ロボットである私は、人の一生では不可能なほどの働きが可能だ。人には困難な環境でも、ロボットならば活動できるだろう。そういったことに、私は己の意義を見出すのだ」


 ヒスイにとって、英士は通過点でしかない。


 碧に比べ――たった一人の人間の愛を勝ち取るため、人として奔走しようとした姉に比べ、その思考回路は残酷なほどに論理的だった。いっそ清々しいと英士は感じた。


 はぁぁ、と大きくため息をつく。身体の中に沈殿する重たい泥を、思い切り吐き出す。

 英士は立ち上がり、部屋の扉を開けた。


「やめた。もう、いいや」


 扉に身を預けていたはずのヒスイは、特にバランスを崩した様子もない。体育座りの格好で、いつもの無感動な表情を貼り付けて、英士を見上げていた。


「元々、おまえに落ち度は一つもないしな。おまえを避けるのは筋違いだ」


「エージ」


「母さんには、まだ顔を見せに行きたくないけど」


「私はそういったことを強要しに来たのではない」


「そうだよな。おまえはそういう奴だ」


 ヒスイも立ち上がり、英士を真正面から見据える。

 銀髪碧眼の浮世離れした容姿は、今となっては、碧を思わせる要素など何一つないような気がした。


「ヒスイ、最後にもう一つ聞かせてくれ」


 扉越しではなく、今度は面と向かって英士は口を開く。


「いくらでも聞くといい」


 何とも頼り甲斐のある台詞を吐いてみせるものである。

 英士はこの時ほど、彼女の成長を実感した時はなかった。


「殿羽碧は、俺一人の機嫌を取るために無茶をした。身の丈に合わないことをしようとして、行かなくてもいいところに行って、遭わなくてもいい事故に遭った。これはやっぱり、馬鹿らしいことなのかな」


 一個のチャイルドケア・ヒューマノイドとして、碧は英士以外の大勢の子供を育んでいく未来もあった。

 しかし、彼女は英士の姉として奔走した。最初から最後まで、英士の家族であろうとした。


 それは、愚かしいことなのだろうか。


 英士はその答えを、ヒスイの口から聞きたかった。


「私の方針とは異なる。しかし、理屈に合わないことではない」


 ヒスイの発言には飾りも誇張も裏も表もない。

 彼女は、本音しか語らない。


「殿羽碧のそれは、愛の発現に他ならないのだから」


 だから、彼女のその言葉で十分だった。


 結局英士は、不安で仕方なかっただけなのだ。

 英士は碧が好きだった。小さい頃からずっと後をついて回り、いなくなってもなお十年も固執し続けるくらいに好きだった。碧も、自分のことを好きでいてくれていると思っていた。

 それが揺らいだようで、怖かったのだ。


 けれど、違うのだろう。

 ロボットは人工物で、人間では決してない。それでも、その間には信頼も生まれれば友情も生まれる。愛だってそうなのだ。

 ロボットだったから家族じゃなかった、のではない。ロボットであり、家族だった。


 殿羽碧は正真正銘、英士の好きな「ねーちゃん」なのだ。


 それでいい。それだけで、いい。


「ありがとう、ヒスイ」


 声が震えているのが、少しばかりかっこ悪い。

 しかし、ヒスイは静かに首を振ると、満足げな声音で返した。


「人の役に立つことが、私の本懐だ」

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