如月のミイラ

赤城ハル

第1話

 あれは梅の花が咲いた2月の頃である。

 我が家にオランダから学芸員二人と通訳者一人という計三人が訪れてきた。一人は初老の男性、もう一人は三十代後半の男性。この二人は学芸員で高そうなスーツを着ていた。そして最後の一人が通訳者で女性だった。この通訳者が日本人でかつ二十代そこそこの美しい女性だった。てっきりオランダ人三人と思っていたので相対したときは驚いた。しかも日系オランダ人ではなく生粋の日本人であった。

 なんでも博物館の保管庫に長年保管されていたについての件で彼らは訪れてきたようだった。そのミイラは江戸後期に我が家からオランダへの商人へと移ったものらしい。そのミイラというのが、人魚のミイラであった。当時、海外では日本からの奇天烈な作品が一部では流行っていて多くの妖怪等のミイラが輸出されていた。

 それから時が経ち、この外国の客人達はミイラが本物か偽物さくひんか、そして出自についての説明を求めて訪日してきた。

 実はこういうことは初めてではない。

 父の世代くらいからか不定期的にこういう話でたびたび我が家を訪れてくる外国人は少なくはなかった。

 ただ、ここ最近はばったりと冷え込み、もうそのような作品はなくなったものと考えていたら、十年ぶりにオランダからのコンタクトがきた。

 父は入院中であったため私が対応することになった。元々、私自身も学芸員でもあったことも関係しているだろう。てい良く面倒ごとの引き継ぎのような形で私は彼らに対応することになった。

 さて本物かどうかと気になられるだろうが、残念なことにそのような人魚のミイラは全て現代技術において猫と魚の骨を混ぜて作られたものであると判明されている。

 彼らもすでに本物かどうかをすでに現代技術によって解明しているのであろう。

 つまり、ここにくるのは裏をとりにきたのだ。

 オランダ人の学芸員はミイラの写真を私に見せ、その後で現代技術であるDNAや炭素による調査によって得られた情報をプリントアウトしたものを差し出した。

 通訳者はそこに何が書かれているかを説明してくれた。

 どうせ偽物だろう──そうたかを括っていた。

 けれど私はプリントと通訳者の説明を聞いて驚いた。

 どうやら猫や猿、魚で出来たものではなく、それらは全くもって不明とされた。信じられないことだが現代の科学技術でさえもその全容が解明されなかったのだ。

 では写真のミイラは一体何なのか。本当に人魚であると?

 彼らは私にこのミイラについての資料となる書物を見せてくれと頼んできた。その件については前もって連絡を受けていたので用意した資料を私はテーブルの上に置いた。

 彼らは手袋を嵌めて、私からの断りを得た後に書物を紐解いた。

 江戸後期の資料を大正期に模写、及び注釈が書かれている。

 彼らは私からの説明でなく、通訳者に書物の翻訳を直接頼んでいる。

 確かに私が中身を説明しても日本語であるので通訳者がオランダ語で彼らに通訳しなくてはならない。

 時間にして十数分ほど彼らは私抜きで話し合っていた。


  ◯


「ふう」

 私はソファに座り、息を吐く。そして肩の力を抜いた。

「お疲れ様です。お話は終わりましたの?」

 妻がコップとビールをテーブルに置く。私がコップを掴むと妻がお酌をしてくれた。

「……まあ、終わったというべきかな?」

「歯切れが悪いですわね」

 ビールを一口飲み、

「答えはないよ。わからんままだ」

「ああいうのって、猫と魚の骨で出来たものでしょ?」

「そうだと思ったんだが……」

「違うんですか?」

「どうも猫や魚の骨をつなぎ足したものではないらしい」

「まあ、では本物?」

 妻が驚きと喜びのこもった声を出す。

「まさか」

 と、私は否定する。

 けれど……だとしたら、あのミイラはなんだというのか。

 本当に本物の人魚のミイラなのか?


  ◯


 後日、オランダの学芸員二人が亡くなったことを警察から聞かされた。

 双方謎の不審死で、三十代の男がまずホテルで亡くなり、初老の男は逃げるようにホテルを出て、2日後に山の中で落雷に遭って亡くなった。

 私は女性通訳者について警察に尋ねるが、その女性通訳者は行方不明であった。いや、正体不明というべきであろう。

 私に語った名前などは偽名で、本名すら警察も分からないらしい。


  ◯


 それからすぐ私は女に再会した。

 あれは雨の日だった。

 空は鼠色で陽が差し込まないため、昼であっても夕方のような翳り。さらには雨飛沫でけぶり、そこへ雨音も聞いているだけでまるで世界と切り離されている感じだ。

 そんな日に女が傘をさして、我が家に訪れてきた。

 妻がタオルを貸して、女はまず髪を拭く。その仕草が妙に艶めかしく、つい見惚れてしまった。女と目が合うとまるで盗み見したことを咎められた子供のような気分になり、私は年甲斐なく目を逸らした。

 視線を逸らした先はガラス戸で、雨露で曇っていた。雨でないならうちの庭が見えていただろう。

 雨音が静寂を際立たさせている。

「お二人方がお亡くなりになられたようですが」

 私は機を見て、女に尋ねた。

「はい。とても恐ろしいことです」

「恐ろしい?」

 女は私の問いを無視して、紫色の包みをテーブルに置く。そして包みを開き、中の木箱の蓋を取る。箱の中には石灰色の──。

「人魚のミイラをお返しします」

「日本に持ってきていたのですか?」

「これはここにあるのが1番かと」

「どうして?」

 女は箱の蓋を閉じて、紫色の包みで覆う。

「質問に──」

「良い池をお持ちですわね」

 女は私から視線を外して、庭の方を見る。

 ガラス戸は白い。雨音が強くなったようだ。

「ただの窪みですよ」

 昔は池があったらしい。

 らしいというのも私が生まれる前には池として機能はしていなかった。

 そして危ないからと土を被せられた。

 今では名残として少し窪みがある程度。

「ほら」

 女が言う。

 何が「ほら」なのか。

 雨音が──いや、何か波のような。

 いや、波でも違う。何かが──水の中で跳ねているような。

「これはここに」

 女は立ち上がった。

 そして部屋を出ようとする。

 私は待ったをかけようと立ち上がった。

 そこへ、大きな水音を聞いた。

 私はまずガラス戸へ近づく、そして袖でガラス戸を拭く。しかし、内からだけでなく、外からの飛沫でガラス戸が白い。

 私は雨など気にせず、ガラス戸を開ける。

 庭に池があり、そこに──人魚がいた。

 濡れた漆黒の髪、艶やかにぬめるふくよかな体。

 下半身はエメラルドに瞬く鱗を持つ魚の体。

 人魚が水面から踊り出た。大きく宙へ跳ね、体を捻って、池へと堕ちる。

 堕ちる時、私は人魚と目が合った。

「アナタ! 何してるの!」

 妻の声で私は我に返る。

「いや、人魚が!」

「何言ってるの!?」

 私は庭へ視線を戻す。しかし、そこには池はなかった。あるのは窪み。

「何寝ぼけたことを言ってるのよ」

 妻は私を退かせて、ガラス戸を閉める。

「あの人は?」

 妻が客人のことを聞く。

 けど、私にはもうその客人はいないと感じていた。

「帰ったんだろう」

 あの時のあの人魚を思い出す。

 あれは女だった。

「アナタ、びしょびしょよ。着替えになって」


  ◯


 目を覚ますと私は年甲斐なく夢精していた。

 どうやらあれは全て夢だったようだ。

 私は下着を替えて、ふと応接室に向かう。

 テーブルに紫色の包みが一つ。

 包みをほどいて、木箱の蓋を開ける。

 何もなかった。

「あなた、どうしたのこんな時間に?」

 妻が廊下から応接室を除いて、私に尋ねる。

「この包みを知ってるか?」

「いいえ。なんの包みでしょう?」

 私は木箱の蓋を閉じて、紫色の包みを覆う。

「あら、雨ですか?」

「そうらしいね」

 ガラス戸は曇っていて外の景色が分からない。

 そこへ大きな水音が応接室に轟く。

「ひゃっ! なんです? 今の?」

 妻が肩を上げて、悲鳴を上げる。

「池の何かが跳ねたんだろ」

「い、池?」

 ガラス戸の向こうには庭があり、かつて池があった。今は窪み程度だが。

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