第九章 ③

 荘厳であり、苛烈であり、綺麗だった。光と音が乱舞し、誰もが熱狂している。ラバエル祭のナイトパレードは、今年も大盛り上がりだった。

「凄い……」

 感極まったフレンジュの一言に、ゼルは得意気に胸を張る。

「街の中央にある大通りを、何百人って連中が練り歩く。蒸気機関を応用した移動する舞台に乗ってな。まさに、動く劇団であり音楽隊だ。あるいは最新式のオペラってたとえるべきだろうな」

 今宵のテーマは、帝国の子供なら誰でも知っている御伽噺〝花妖精の行進〟だ。当然、ゼルも知っている。

「悪竜が奪った太陽を勇者が奪い返す。そして、妖精や動物達がお礼だと地上全ての花を携えて勇者の帰り道を照らす。なかなか洒落ているな」

 ビルの屋上に、ゼルとフレンジュは二人きりだった。

機導式を使い、地面から直接テーブルを生やしている。上に乗っているのは、近くの屋台で買った軽食と飲み物だ。

「私、きっと、今日の光景を一生忘れません」

「胸に響いてくれたのなら、幸いだ」

 騒がしくとも、静かな時間だった。

 祭りの佳境は不思議な充足感と寂しさが胸を甘く締め付ける。ああ、こんなに楽しい時間も、そろそろ終わりなのか、と。

「フレンジュ、あのさ」

「……分かっています」

 フレンジュがパレードからゼルへと視線を移した。地上の星々に照らされたフレンジュの表情は、奇妙なほどに冷静だった。

「どこから、話すべきでしょうか」

「その前に、敬語をやめてくれるか?」

 ゼルはテーブルへと手を伸ばし、アーモンドを一つ摘まんだ。カラメルでコーティングされた菓子を口へと放り込む。少し舐め、豪快に噛み砕く。甘さと香ばしさが口一杯に広がり、遅れて苦味が鼻孔をくすぐる。

「慣れた口調の方が、言いやすいだろう?」

「……そうね。じゃあ、お言葉に甘えようかしら」

「うん。やっぱり、そっちの方が合っている」

 フレンジュが、転落防止柵へと背中を預けた。

「辛いとは想うけど、あなたが最愛の人を、クローゼルを失ったことから話した方が分かりやすいの。ゼルさんは、傷口に塩を擦り込まれることに慣れているかしら?」

「たとえそれが、岩塩を削った槍だとしても耐えられるさ。変に隠すより、ずっとマシだよ」

 遠慮されるよりも、腫れ物を触るような扱いの方が面倒だし、困る。フレンジュも、深く追求はせずに黙って頷いた。空を見上げ、ゆっくりと目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、いつの光景なのだろうか。

「《九音の鐘》に在籍していたあなたは、まさに最強だった。《墓標の黒金》《唯一冷酷たる悪鬼》《殲滅公主》《リービリオンの悪夢》。あなたを〝祟る〟言葉は数知れない」

「そりゃあ、一度勝ったら次々と面倒な仕事を押し付けられたからな。迷惑な話だよ」

「そして、当時は他者をほとんど近付けなかったとか。孤独を好んでいたんですよね?」

「嫌われて当然の仕事だったからな。それに、あのときの俺に近付く人間なんて、ろくな奴がいなかったよ」

 ゼルはもう一つアーモンドを摘まんだ。

 フレンジュが後ろ髪を軽く撫でた。

「けれど、そんなあなたもクローゼルだけは拒絶しなかった。結局、あなたも男だったということですね」

「……向こうが、勝手に近付いて来たんだよ」

 今にして想えば、なんでクローゼルは俺なんかに。

 ゼルの返答にフレンジュが小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「拒絶しなかったのは事実でしょう。あなたとクローゼルは恋仲になり、愛し合った。辛く暗い世界の中でも、二人の愛だけは本物だった。……けれど」

 物語は、そこまで都合良くはなかった。

「ある仕事にゼルさんとクローゼルが選ばれた。その際、あなた達は」

「クローゼルは、俺を庇って死んだ」

 喉奥を詰まらせたフレンジュの言葉を、ゼルが奪った。よくある話だと割り切るには、失った存在があまりにも大きすぎた。

「クローゼルが死んで、俺の胸にはぽっかりと穴が開いたのさ。林檎でも押し込めるようなサイズの穴がよ。それで『なんで俺はこんなところにいるんだろう』って想って、組織を抜けた。ただ、それだけのことだ。当時は反対されたが、組織の機密情報を外部に漏らさないことを条件に許されたはずだ。どうして、今頃になって。バグルから、なんて聞かされたんだ?」

「それが、組織を裏切った者を許さないとだけ」

「……裏切った、ね。俺が放棄した権利も合わせれば、十分な黒字のはずなんだけどな。それに、あいつは俺が次期隊長候補って呼ばれていたのが気に食わなかった。むしろ、俺が抜けたのはバグルにとって好都合なんだけどな。いや、俺を狙うこと自体は構わない。気になるのは、フレンジュが刺客に選ばれたことだ」

 殺すだけなら、オデイルのような連中を雇うような戦法の方が簡単だ。ゼルを恨んでいる連中など、山ほどいる。

 フレンジュが選ばれた理由が分からなかった。

「想い出させるためなんじゃないかしら。かつて、あなたは恋人を護れなかった。その負い目が、機操剣を握る手を迷わせると」

「あいつらしいと言えば、あいつらしい姑息で小汚い手だな。それで、フレンジュはどうして仕事を受けたんだ? 金か? 俺に恨みか? それとも、上の命令だからと逆らえなかったのか?」

 ゼルはベーコンとチーズが挟まったパンを掴み取った。冷えて硬くなったそれを、強引に齧る。犬歯を立てて、線維を千切りながら。

 フレンジュの苦悩は、沈鬱な表情だけで読み取れない。

 きっと、胸の奥は激しい痛みに苛まされているはずだ。

 これから首を紐でくくられる死刑囚だって、もう少しは穏やかな表情でいられるだろう。

「私は、クローゼルが羨ましかった」

 ゼルが目を点にする。

 フレンジュが、なにを言いたいのかイマイチ掴めない。

「私には、彼女のような出会いはなかった。この手は血で染まっている。誰かを愛することへの負い目があった。いや、自分から誰かを愛そうとしなかった。だから、あなたとクローゼルの関係が羨ましかった」

 フレンジュの声が、段々と濁っていく。まるで、透明な海の中に沈んでいくかのように。溢れる感情を抑えきれなかった。

「だから、嘘でもいいから私は……あなたに」

「分かった」

 ゼルが遮った。

 遮らないといけなかった。

「ゼルさん、私は!」

「なにも言うな。俺はフレンジュを恨みもしないし、軽蔑もしない。……どんな理由を並べるのも、意味がない」

 パンの最後の一欠けらを口へ押し込み、ゼルは両手を叩くようにしてパン屑を払った。その程度の話だから、大丈夫だと。

「フレンジュの任務は失敗した。バグルはきっと、最終処理を施すだろう。俺が君を護る。そして、この不幸な連鎖を終らせよう。これは俺の責任だ。抜ければ終わりなんて甘い考えだった俺の罪だ」

「ゼルさん……」

 これ以上の、言葉はなかった。

 フレンジュが、ゼルの胸に飛び込んだ。声を押し殺し、必死に泣くのをこらえる。涙さえ卑怯だと、強く喉奥を震わせていた。彼女から伝わる温もりと儚さ、人としての弱さが胸の奥に沁みていく。理屈ではなかった。だから、泣いても許されるのだとそっと抱き締める。たった一人で背負う必要なんてないと。

 誰がフレンジュを否定出来るか。少なくとも、ゼルは彼女を受け入れた。同情でも諦念でもない。

 帝国領第十三試験的機械化構築経済都市は民が国外に出ることを禁じている。情報や科学技術の漏洩を防ぐためだ。加え、無理に発展させた弊害として瀟洒会同盟や銀行領などの闇も抱えてしまった。

 ダルメルのように曾孫に囲まれて老後をすごせることがどれだけ貴重か。だからこそ、ゼルは頼りになる男を戦いに巻き込まなかった。

 欲しいモノが簡単に手に入るわけがない。諦めるか、別のなにかで我慢するか。

 迷いや後悔があって当然だ。

「これからのことは、面倒事が終わってから考えよう。……心配するな、フレンジュ。案外、簡単に済むかもしれないぞ」

「……本当に?」

 フレンジュが顔を上げた。目が、すっかり赤くなっている。

 だから、ゼルは努めて優しい顔をつくる。

「ああ、本当だ。俺が保証する」

 根拠なんてなにもなかった。ただ、今はフレンジュを少しでも安心させたかった。泣いている美女を見たくはない。

「ゼルさん、そうやって誰にでも優しいから困るのよ、私。勘違いしそうで、とても怖い」

「こればっかりは性分だ。川が流れるように雨が降るように、それが当たり前だと理解してもらえると助かる」

 フレンジュが、涙と一緒に脆い笑みを浮かべた。

「俺は絶対に負けないよ」

「本当に?」

「ああ。美女の前で俺は嘘をつかない」

「そういう言葉、あまり信用したくないわね」

 フレンジュがいつもの様子を取り戻す。

 ゼルは、そっとフレンジュから手を離した。

 まだ、ナイトパレードは続く。今日、この街は夜を忘れる。眠らない星々が煌めく。たとえ、どんなことがあろうとも。

 だから、祭りはまだ終わらない。

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