第七章 ②
冷たいシャワーを頭から被り、ゼルは固く目を閉じた。身が切れるような冷たさも、今は焼石を相手にしているようなものだった。
岩か樹木のごとく鍛えられた筋肉に水滴が滴り落ちる。どこもかしこも傷だらけだった。刃の傷、銃弾の傷、火傷、毒による変色の後遺症、全て合わせれば十回分は楽に死ねる。
だが、死んでいない。
まだ、死んでいない。
人間は、とても脆い。ちょっと頭を打っただけでも死ぬ。果物ナイフがあれば、喉を掻き切れる。
「……それでも、俺は生きている」
シャワーを止め、額に張り付いた前髪を掻き上げる。
ゼルの家の風呂場には、大きな鏡が設置されている。
だから、自分と目が合った。
「なにか理由があるとすれば、それは今が正解なんじゃねえのか?」
騎士団を抜けて、五年が経った。
今回の一件は、これまでと次元が違う。
恐怖、いや違う。
これはきっと、
「まいったな」
なんか、身体を拭く用のタオル忘れた。ゼルは仕方なく、全裸のまま脱衣所を出る。ただ、すっかり忘れていた。
「きゃああああっ!?」
フレンジュが悲鳴を上げた。
「ぎゃぁあああっ!?」
ゼルも悲鳴を上げた。
しまった、今はフレンジュがいるんだった。ゼルは両手で股間を隠し、どこかに隠れようとするも場所が見付からない。
「すまん! タオルを忘れてだな、けっして、その、変な意味じゃなくて――」
――硬い風。
「シッ!」
ゼルの背後、風呂場の壁に貼られたタイルに短剣が突き刺さった。避けなければ、左胸に突き刺さっていただろう。
眼前に、二本目の刃が迫る。それも、三本目がすでに投擲されていた。こっちの狙いは腹部だ。狭すぎて横には跳べない。ゼルは前方、斜め右へと跳ぶ。水滴を孕んだ髪を数本、刃が削る。
ゼルは壁に肩を叩き付けながら急停止、前に倒れかける力を利用して床を蹴る。廊下の曲がり角へと逃げて半秒、乾いた銃声が押し寄せた。
壁にめり込んだ鉛玉、鼻孔に届く硝煙の臭いに、あれだけ茹っていた脳が瞬時に冷たくなっていく。
「なんか、こういうの久しぶりだな」
妙な懐かしさを感じつつ、ゼルは一番奥にある部屋へと跳び込んだ。足音が猟犬のごとく迫る。
「……よりにもよってだな」
クローゼットが壁を生める部屋だった。
ゼルのお洒落専用ルームである。当然、武器の類はない。あるのはネクタイにスーツ、ズボン、櫛などだ。向こうは最低でも短剣と銃で武装しているというのに。せめて、服を着るべきか? いやいや、そんな隙を見せれば部屋に跳び込まれてお終いだ。
どうやら、向こうは扉の前で立ち止まり、こちらの様子をうかがおうとしているらしい。すぐに入って来ないところを見ると、なかなかの用心深さだ。
外に逃げるか? 駄目だ。窓から下は地上へと一直線、打撲程度で済むわけがない。それも全裸だ。目立つことこの上ない。外に仲間がいれば、それこそ格好の的だ。
「今度から、風呂に入るときは鎧を着るべきだな」
特注のクローゼットを注文しておこう。百貨店になら置いてあるだろう、多分。
多少の現実逃避を経て、ゼルは息を吸い直した。
「交渉をするつもりはないのか?」
返事はない。
「……まあ、そうだろうな。テーブルについて酒を一杯傾けるなんて、無理だろうな。ただ、こういうのは確認が必要だ。万が一ってこともあるからな。血を流さずに物事が済むのなら、それに越したことはねえよ」
銃声が一発。
「長い話は嫌いかい?」
ゼルは苦く笑い。拳と拳を叩き合わせる。
「いいぜ、来な。あんたの相手は、拳があれば十分だ」
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