哀しい夢の終わりは(2)


 すると、梨奈は安心したのか、再び話し始めた。



「うん……それから、

 お金を集られるようになったんだ。

 でも、お金は少しずつ

 振り込まれるようになってたから、

 どうしようもなくて。

 それでも、色んな人から

 お金を集られることは減らなくて、

 なんだか、寂しかった。

 私に構ってくれるのは、全部、

 お金のためなのかなって、思うようになり始めた」


「本当の自分を見てほしかったんだよね」



 梨奈は小さく頷き、

 心の闇を少しずつ明かしていく。



「お金なんて、ない方が良かった。

 前の方が、私は幸せだった。

 みんなも優しかった。昔に戻りたいよ……」



 その言葉は耳障りが悪くて、耳を塞ぎたくなった。



「でも、時は――」



 僕が言いかけた否定の言葉を梨奈は妨げて、

 自らの口から告げた。

 誰かに言われるくらいなら、

 自分で言い捨ててしまった方が

 いっそ、楽なのかもしれない。



「分かってる!

 ……だから、苦しくてたまらないの。

 毎日を生きるのが辛い、学校に行くのが辛い、

 私の居場所が感じられないのが、

 どうしようもなく辛い――もう、死にたいよ。

 でも、お金を集ってくるような人たちの

 思うようにさせたくない、

 このお金はあの人たちの手だけには渡らせたくない。

 みんな、みんな、不幸になっちゃえばいいのに」



 そのとき、梨奈の瞳を見て分かった。

 梨奈はおそらく、精神病を患っている。

 それも、取り返しのつかないところまで

 来てしまった重度のものだろう。



『たとえ、それがどんな願いだとしても、叶えるべきだ』



 夢籠が言っていた言葉の意味が解る気がする。


 きっと、彼女の周囲の人間は恐ろしく金に貪欲で、

 薄汚れている。

 そして彼女が死んでもなお、

 その罪の重さには気づけやしないのだろう。

 贖罪に、自らが不幸に陥るまで、ずっと。



 「掃き溜めに鶴」とは言うけれど、

 ずっと掃き溜めにいては、

 どんなに美しい鶴でもいつかは汚れて、堕ちていく。

 梨奈のように。



 ならばその前に汚れを受け入れる前に、

 解放を望む彼女の願いを、

 誰が止められると言うのだろうか、いや、できない。

 否定することすら、憚られる。



「梨奈ちゃんのしたいように、

 したらいいんじゃないかな」



 僕は彼女の背中を押す。

 僕と彼女の願いのため、両極的な理由から。



「君って、変なの。

 普通は死んだらダメ、とか、

 人の不幸を願ったらダメ、

 とか言うと思うんだけどなー」


「そりゃあ、普通ならね。

 でも、梨奈ちゃんの事情を聴いた後だし、

 簡単に死んじゃダメなんて、

 無責任なこと言えないよ。

 それに、

 僕にはそんなことを言う資格もないしね」



 困った心を隠すため僕は、

 はにかんだように笑ってみせる。

 するとなぜか、梨奈はきょとんとした表情で、

 僕の顔を見つめてきた。



「さっきから思ってたけど、君っていくつなの?

 見た目通りだと、

 十三、四歳ってところだけど、

 話してる限り、そうは見えないから」



 これはいい機会かもしれない。

 このタイミングなら自然に、

 願いを叶える話ができる。


 僕は営業スマイルを浮かべて、

 自己紹介にそれを挿入する。



「そういや、自己紹介が遅れたね。

 僕は夢飼い。年は一応、二十四歳かな。

 こんな容姿なのは訳があってね――

 僕なら、君のその願い叶えてあげられるよ。

 僕の幼い容姿は誰かの願いを叶えるためなんだ」



 突拍子もない話だったはずなのに、

 梨奈はすぐに食らいついてきた。



「本当!?」



 それだけ、切羽詰まっているということだ。

 あの日記や枕ダイブを見ている僕には、

 分かり切ったことだけれど。



「もちろん。でもその代わりに、

 きちんと代償はもらうから。

 それはね――君の残りの寿命だよ。

 それでも、叶えたい?」



 間髪空けず、彼女は即答した。



「うん、もちろん。

 この頃ずっと、死にたいと思ってたから。

 それで願いが叶うならいいよ、

 私の残りの命、あげる。

 だから、早く殺して、楽にしてよ」



 あまりにも潔い死を要望する言葉に、

 僕はおののきそうになった。

 まだ、十七、八歳の女の子が

 こんなことを口にしてしまうなんて、

 信じ難い、いや、信じたくない。


 そんな主観的な感情には蓋をして、

 願いの受理を進める。


 内心震えが止まらないのに。

 外面はどうしてこうも、取り繕えるのだろう。



「じゃあ――」



 契約成立。

 そう言いかけて、言葉に詰まった。

 本当にこれでいいのだろうか。


 うら若き乙女が願い、

 寿命を引き渡してまで叶えたいと欲するものが、

 こんな残忍さに満ちていていいのだろうか

 ……そうは思えない。


 夢籠は「どんな願いだとしても」そう言った。

 僕にも、その理由は理解できた。

 だけど、それでも、

 胸のわだかまりが熔けてなくならない。



『後悔したくないなら、全力でやり通すことだよ。

 今自分にできる最良の手を尽くすの。

 それなら、「もしも~だったら」なんて、

 思わないでしょ』



 それは、自分の不甲斐なさに

 落ち込んでいた僕に、縁が掛けてくれた言葉だ。


 正しいか、否かについての判別は曖昧だが、

 僕にとっては光のような台詞だったから。

 もちろん、

 それで劇的に何が変わったということはないけれど、

 気の沈むことが減った気がする。

 今の僕は、怖がるばかりで、

 ただ見ているだけの臆病者だ。


 善人にも、悪人にも成りきれていない、 

 半端者でさえある。



『今自分にできる最良の手』



 それは一体何か。 



「どうしたの?」



 僕の顔を不安げな眼で覗き込む。


 後悔って、やっぱり残さない方がいいと思う。

 僕の答えはきっと、これなんだろうな。



「梨奈ちゃんはさ、本当にそれでいいの?」


「え……どういうこと」



 みるみるうちに、梨奈の顔が曇っていく。

 口にした言葉は取り戻せない。言葉を紐解いていく。



「もっと素直に言うね。

 梨奈ちゃんの大事な願いは、

 もっと他にあるんじゃないの?」


「…………」



 梨奈は僕から目線を逸らして、

 自分の腕を掴み、自衛体勢に入っていた。



「それに、さっき梨奈ちゃんが言ってくれた願いなら、

 僕が何かせずとも叶うと思うんだ。

 もちろん、お金は渡らないように配慮するよ。

 でも、僕が言っているのはもっと先の話」


「……うん」



 彼女は一度、

 僕の顔を見上げたがすぐに視線を戻した。


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