第7話 斉藤先輩

「ナイトレイド?」


 春休みが明けたばかり。

 まだほとんど講義も始まっておらず、がらんとした学生食堂の一角で、彼女はぽかんとした顔で聞き返してきた。


「うん。トモも初心者ビギナー向けのレースはまあまあ慣れてきたし、そろそろ、ちょっと大きなレースに参加してみない?」


 金曜日の夕刻にスタートし、日曜日の朝にゴールというかなり過酷なイベントだ。

 レイド特有のコマ地図と呼ばれる案内図だけを頼りに、二日間、ほとんどの区間が夜間走行になる。昼間のレースとは勝手が違い、同じコースでも難易度はかなり上がる。


「やだなあ。お化けとか、出ない?」


 てっきり「キツいからイヤだ」と言うと思ったら、反応は予想外の角度から来た。


「お化け“は”、出ない」

「何? その含みのある言い方」

「毎年、何かしら怪現象が起こる」


 噂だが、コマ地図通りに走ったらスタート地点に逆戻りしたり、いくら走ってもガソリンが減らないといった怪現象がこれまで何度かあったらしい。

 それを聞いて、彼女はますますおびえた表情になる。度外れた負けず嫌いのくせに、こんなところに弱点があった。覚えておこう。


「うぅ。参加は二人で? あの子は来週、関西だから……」


 その話は俺も聞いている。バイクショップにトランポを借りられないかたずねたところ、今回はトモの友人のサポートで鈴鹿に向かうらしい。


「いや、サポートも入れて三人。今から頼みに行くんだけど、一緒に来ない?」


 しばらく悩んだ末、それでも彼女は首を縦に振る。怖さより好奇心が勝ったらしい。


「金剛寺研究室の博士課程に斉藤先輩って人がいる。俺のバイクの師匠みたいな人」

「へえ、ナオにも師匠なんていたんだ」

「うん、中学の時に知り合った」

「へえ、何がきっかけ?」

「……ああ」


 一瞬返事に詰まった。確かに、中学生と大学生が知り合いになるきっかけなんてそうはないだろう。


「旅行先でね。話すと長くなる」

「あー、それって一体――」


 そこまで言いかけ、彼女は何かに気づいたように黙り込んだ。


「……まあいいや。じゃあ、行こうか!」


 勢いよく立ち上がると、少し茶色っぽいショートカットの髪が揺れる。

 俺の背中をポンと叩くと、彼女は前に立って大股で歩き出した。

 トモは服装も身のこなしも、まるで少年のようにしか見えないのに、こういう繊細な気の回し方はやっぱり女の子だ。俺には到底真似できない。

 どうしてこんないい子が俺に惚れてくれているのか。いまだによくわからない。

 告白された後、理由を聞いてみた。

「ナオはいつも私のことを守ってくれるし、私のために怒ってくれたし……」

 そう、照れくさそうにうつむいてごにょごにょ言うと、

「でも、はっきり好きだって確信したのはついさっき」

 不意に顔を上げ、潤んだ瞳でじっと見つめられてドキリとした。 

「私は、あなたがいつも身につけている物が欲しかった。何でも良かったの。この時計、本当は大事な物だったんでしょ?」

「……ああ、まあね」

「でも、ナオはこれを私に託してくれた。ああ、私はこの人にそれだけ信頼されているんだって思ったら、その瞬間、自然に言葉が出てた」

「……そう、なんだ」

 言われて、自分の顔も彼女と同じくらい赤く染まった。




「相変わらずエアコン効いてませんね。ここは」

「おお、浜崎君か、そろそろウチに来る気になったかい?」


 研究室の主、金剛寺教授がロフトの上から声をかけてきた。


「だから、新人配属は三回生からでしょう?」

「そんなことはない。優秀な学生はいつでも大歓迎だよ」

「……まあ、考えておきます。それより斉藤先輩はいらっしゃいますか?」

「ああ。上がっておいで」


 手招きされて、縞鋼板のらせん階段を昇る。彼女も後からついてきた。


「うわ、なんですか、これ?」

「やっぱり驚くよな。俺も最初見た時どうかしてると思った」


 彼女が目を疑ったのは、正面の壁一面、天井に届く高さに組まれたメタルラックと、そこにびっしりと埋め込まれた電子基板の群れだ。

 なんとかいう、焼き菓子っぽい名前の格安小型コンピュータを千台以上束ねた手作りのスーパーコンピュータ。

 閃くLEDの光とのたうち回るLANケーブル。確かに見た目はジャンクっぽいけど、一昔前のスーパーコンピュータの百分の一以下のコストで、性能ははるかに上を行くらしい。


「よう、なお、進級おめでとう。ついにウチに入る気に――」

「先輩、このやりとり、もう何十回もやってますよね。そろそろ飽きません?」

「いや、いつも気持ちはフレッシュだな。ところでその子は?」


 どこかの廃業したソフト会社から引き取ってきたジャンクなワークステーションの群れを背に、斉藤先輩は電子タバコをくわえたままにんまりと笑う。

 さすがの傍若無人も、研究室内では多少自制しているらしい。


「えーと、この子は――」

「野上智子です。ナオと同じ機械制御工学の二回生です」

「おう、この子もウチに?」

「先輩の餌食にはしませんからね。一応俺の彼女です。って、いきなり何ですか!」


 くわえた電子タバコをポロリと取り落とすと、床にめり込む勢いでバシバシ肩を叩かれる。


「おーっ! この世捨て人がようやく人並みに彼女なんて作るようになったか! お姉さんは嬉しい!」

「世捨て人って先輩、人聞きが悪いです!」

「智子君って言ったねっ!」


 かと思うと、今度は飛びかかる勢いでがしっとトモの肩をつかむ。


「直をよろしく頼む。こいつ無愛想なくせにけっこう寂しがり屋だから、ちゃんと構ってあげてくれよ」

「ちょ! 突然何を!」

「ところで、智子君もバイクは乗るのかい?」

「はい。ナオの特訓を受けてます」

「ふーむ。これは好都合」

「だから、俺を無視して勝手に話を進めないで下さいって!」


 いくら言っても聞きゃしない。とがった顎をこすり、俺とトモを値踏みするように等分に見やると、


「教授、これは、いけるかも知れませんよ!」


 と、満面の笑みで意味不明な言葉を吐く。


「そうだね。これで例の新人君が来れば、最低限のメンバーが揃う」


 答える金剛寺教授も心なしか嬉しそうだ。


「だから、何ですか一体!」


 暴走する斉藤先輩を押しとどめ、テーブルに転がった電子タバコを無理やりくわえさせるとようやくおとなしくなった。


「そういえば直、君はここに何をしに来たんだ?」

「ようやくそこですか!」


 ほんの数分でどっと疲れた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る