第三十四話 芽吹き

「48…、49、……50!」


「くっ、はぁ…、はぁ……」


汗だくになり全身の筋肉が、限界の悲鳴を上げている。仰向けに寝転ぶ空には真っ白な壁とその空間を演出する照明だ。


こんな事をやって何になるのか?昔と同じ、あの時も何をすれば良いか分からず格闘技や武道を我流で研究し取り敢えず体を動かしてたっけな。そして今回も毎日自問自答しているが、何かをやらなければならないと分かっていながら、何をすれば良いのかわからない。分からないから何かをやって正解が分かるまでやり続けなければならない…


迷路の中をただ俺はさまよい続けている。


仰向けのまま横を向くと無残にもボロボロに破けたタイヤを履くバイクの前輪、その周辺にはオレンジ色の油が滴り落ちていた。愛車の痛々しい姿を見て、無力感のようでもあり、悲しみでもあるぐちゃぐちゃした感情が心を支配する。


銃撃を受けたあの日から、数カ月が過ぎようとしていた。


ガチャ。

扉が開けられ入ってきたのは妃さんだった。


「あら、今日もトレーニング?筋肉ムキムキのモグラでも目指してるのかしら?」

そう言われ、上体を起こして返答する。


「ええ、これでメスのモグラを口説こうかと」


「はぁ…、あなたいつまで地下に引きこもってるつもり?」

妃さんは手を差し出し、それにつかまり俺は立ち上がる。


「そっちで何か情報は見つかりました?」


「ええ、そうね…」


俺が今いる場所は地下にある研究室で俺と妃さん、植木さん三人しか知らない秘密の場所だ。50帖ほどある一室の中心に数台のパソコンと壊れたバイクが一台あるのみで、他は資料や本が散らばっているだけの空間。ここは尼宮港近くに位置し、元々は松澤の研究室用サーバールームになる予定だったが計画は中止され、売却されるはずの土地だったものを植木さんが買い取った場所だ。


あの銃撃、川島詩子の件を受けてこれ以上能力者の捜査を会社で続けるのはリスクが高く、もし万が一情報が洩れて、会社に迷惑がかかってしまうのを避けるため、その措置として能力者捜査専用の研究所として植木さんが提供してくれたのだ。


そしてこの地下で毎日俺は、川島詩子の手がかりを探している…


「はい、でこれがコンサート場周辺での松澤製監視カメラのデータよ」


「ありがとうございます」

俺は椅子に掛け、受け取った外部メモリーをパソコンに差し情報を読み取る。


「よくこんな何もない所で我慢できるわね」


「何もなくなんかありませんよ。例えばこのパソコン、植木さんのお陰で警察の情報システムのランチャーにアクセスして情報を一部共有できるようにしてくれました。これだけでもかなり能力者の捜索に役立ちます」

そして、読み取った情報とそれらソフトを駆使して、俺は手がかりを探し始める。


「それを出来るように先生がどれだけ苦労したと思ってるの?先生に感謝しなさい」


「ええ、感謝してますよ。しきれないぐらいです…」

そう答える俺は、妃さんの顔も見ずディスプレイだけに集中していた。


「・・・」


「ねぇ、たまには本社にも顔をだしたら?」


「ええ、そうですねまた今度…」


「・・・」


「ねえ、あなたのせいじゃない…」

その妃さんの言葉に反応して、手が止まる。


「私達は精一杯やったわよ…特に亮は…」


「だからって詩子を諦めるんですか!?」


「そんな事言ってない!私も助けたいわよ!でも今の亮を見ていると…」


「・・・」


「俺は…、詩子と約束したんです…」


「必ず守ると約束したんですよ!!」

机に握った拳を叩きつける。


「・・・」

両者とも、うつむき言葉を交わそうとしない。こんな時に交わす言葉は世界に存在しないかのような、沈黙の時が流れた。


「すみません、妃さん…」


「いいのよ…それじゃあ私は戻るわね」


「ああ、それとこの書類、能力者には関係ないけど先生から渡してくれって頼まれたの。ここに置いとくから必ず目を通しなさいよ」

妃さんは茶封筒をデスクに置いた。


「はい…」


妃さんが部屋から出ていくと、目の前のパソコンをシャットダウンさせ肘をついて頭を抱えた。俺は何をやっている?妃さんが詩子の事を諦めるなんて思うはずないのに、なぜあんな事を…。そうだ、これはただの八つ当たりだ。研究所の三人は皆、あの時に出来るベストを尽くした。


そうだ!尽くしたんだ!


だが、それでも詩子を失った。


詩子の能力を悪用しようとした本物の『悪』が存在する。それも近くに、この雨宮市にだ。俺はそれを許さない、必ず詩子を探し出す!絶対にだ…。


電源が切られ真っ暗なディスプレイに映るその顔は、復讐に燃える鬼の形相であった。


「はぁ…」


深くため息をつき気ばらしにでもと、妃さんが置いて行った書類に手を伸ばし封を開ける。中からは企画書のような書類が出てきた。


『松澤エレクトロニクス、自動二輪開発プロジェクトについて…』


それは、とある新規プロジェクトに関する資料と最後には、植木さんのメモが入っていた。そしてその内容に俺は釘付けになった。



翌日――――――――――――



「おはようございます」


朝一番で今日は本社の研究室に出勤する。たった数か月ほどしか経っていないが、植木さんと妃さんがいるいつも通りの風景を見て、懐かしさを感じてしまった。


「あら、モグラがやっと出てきたわね」


「おはよう、病葉君。君ならきっと来ると思ったよ」


「ええ、まぁ。この企画書を見たんですが俺に出来る事があればと…」


「ああ、もちろん参加して欲しい、けどプロジェクトリーダーは私じゃないんだ」


「そうなんですか?」


「病葉君なら必ず来てくれると思ってたから、先方にはもう話を通してある」


「ええと、確か…。そうだ開発三部二課だから第七研究室に行ってきてくれないかな。そこで詳しい事を聞いてみて」


「分かりました。それじゃあさっそく行ってみます」


「ああ、それとその…。プロジェクトリーダーはかなり変わった人だから頑張ってね、病葉君…」


「かなりのね…」


研究室を出ようとした時の二人の言葉に気がかりを感じたが、まぁ会社には一人や二人変な人は必ずいる。前の会社でもそうだったように、俺は誰とでも仕事が出来るタイプなのであまり気にしない。それに自分で言うのもなんだが俺自身も変人な部類だという自覚があるので、それも一つの気にしない理由だ。そんな風に考えながら俺は研究室を出た。


「先生の考えが上手くいったようですね」


「だといいね。きっと今の病葉君はやりきれない気持ちでいっぱいだろう。そんな時は何でもいい、何かに熱中する事だ。そうすれば道は開けてくるもんさ」


「それに武装した組織に、人の姿に変身する能力者…あまりにも危険だ。冷静さを失って捜査するにはあまりにも。少し距離を置いた方がいい」


「私もそれが一番いいと思います」


俺は長い廊下を歩き研究室を探す。さすが世界に誇る大企業で大規模工場も隣接しているだけあって、馬鹿みたいに松澤は広い。今までほとんど植木さんの研究室しか出入りしていなかったので、広いと分かっていたがまさかここまでとは…


「第七、第七…」

「あった、ここが第七研究室か」

IDカードをかざして扉のロックを開錠して、中へと入る。


するとそこは二十畳ほどの研究室だった。何台かのパソコンと金属加工機材がぎっしりと並べられていた。


「すいませーん…」

俺は声を出してみるが、返事はない。


部屋の奥に向かうと、もう一つ扉が現れた。社員はこの先にいるのか?またIDカードをかざして扉を開ける。すると目の前には、さっきまでの物に溢れた狭い研究室、いや工場とは打って変わって黒い路面に覆われた、まるでサーキット場のような景色が広がっていた。松澤の中にまさかこんなにも広い実験場があったなんて思いもしなかった。


あっけにとられていたが、遠くの方から何かが近づいてくるのが見えた。


それが近づくにつれ、バイクのようなモノだというのが分かったが、分かったのは良いがスピード早すぎないか?しかも乗っているのはかなり小柄な人だ、いやむしろあれは子供なのでは…?


そうこう考えている内に目の前まで、バイクは迫るとその主はバイクから勢いよくジャンプしてなぜか俺に飛び掛かった。俺はパニックになりながらもとっさにを両手でキャッチして地面に尻餅をついて倒れた。


主を失ったバイクは、当然壁に激突して部品やオイルがあたりに飛び散った。


そんな中、両腕に抱えているのは一人の少女である事に気づく。ヘルメットもかぶらず頬には黒い油の跡をつけている。そして同時に彼女の第一声が耳に入った。


「おお、ナイスキャッチ!」



次回 【第三十五話 モーターロリポップ】



関連情報紹介

ランチャー:特定のソフトやファイルを登録して管理、操作するパソコンツールのようなもの。多くはIDとパスワードで管理されており、アクセスできる者も管理しやすいので大企業や公的機関で専用ランチャーが使われている。しかし逆に効率のよい情報の集積がされているのでアクセスさえすれば多くの情報を閲覧出来る。

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