第二十九話 彷徨う音色の刃

波打つ鼓動を感じながらも、静かに深呼吸をして目の前の空間に集中した。俺は今旧校舎の二階と三階の間の踊り場にいる。


目の前の階段をゆっくり上り息を殺した。前方に広がる暗闇が昨日の悪夢を思い出させる。とてもリアルで、いや現実でしかないあの体験を振り返り鳥肌が立つ。昨日と同じく歩みを進めるが、音楽が聞こえてくる事はなく、そして金属のあの錆びれた大きな扉は見当たらない。


昨日見た幻覚は何だったのだろうか?廊下を進むと同時に思考を巡らせた。人は誰しも寝ている時夢を見る、その夢は頭の中の深層心理に深く関係しているというのが通説だが、昨日の幻覚もそういった要因が関係しているのだろうか。なぜこのように考えるかと言うと、思い当たる節があるからだが、あの時あのロープの下で崩れ落ちた時だ…


あの瞬間俺はうつむいて地面を見ていた、黒いアスファルトに散る小さな砂粒までも覚えている、俺は過去のトラウマを思い出しそこから先に起こるであろう事を勝手に想像した、そして顔を上げるとその想像通りの事が現実となったからだ。あの時あの光景は俺の頭の中にしか存在しないはずなのだ…


妃さんのように記憶を読み取り見せているのか、いや意識を取り戻した時の位置は確かに移動していた。悪夢の中で歩いた分、廊下を歩いて移動していたように思える…


“どう大丈夫?”


「ええ、昨日とは違い三階の先へと進めているようです」


“そう、油断しないでね”


「はい」


三階校舎の真ん中ぐらいまでゆっくり慎重に歩いてきたがここで一旦止まる。スマホで地図を見て、この先は幾つかの教室と最後に階段しかないことを確認する。この時、心の奥底でほんの少し、このまま何も起こらなければと淡い期待をしてしまった。


――――――――が、まるで考えを読まれ否定されるかのように。


とても力強い音が校内に響いた。それは2拍ほどの長さだろうか。雷が落ちるが如くの衝撃でバイオリン特有の七の和音の音色だった。


心の隙、淡い期待はすぐに払拭され、音が響いた根源の方向へとライトを消して歩みを進める事となる。そしてとある教室の前で俺は部屋の壁を背にしてしゃがみ込んだ、今まで見てきた教室と比べ何も変わりないその部屋の扉だけは、開かれていたからだ。俺は覚悟を決めた。この先何が待ち受けていようと強い心で自分を保ち続けなければならない。


立ち上がり教室の中へと飛び込む――――――――


窓から差し込む月明りに照らされて、暗闇にたたずむその人物は川島詩子だった。


左手にはバイオリン、右手に弓を持った彼女の視線は俺の足元から顔へと上げられる。予想はしていたがマスクの下で眉間にシワを寄せているのが自分でもわかる。


「その顔、あなたは昨日の…」

詩子はそう呟くと、バイオリンを弾く構えをした。


「まて!俺は話を、」


彼女は聞く耳を持たず、華麗な音色を流れるようにつむぎ出した。その瞬間彼女の頭から二本の角が伸び、演奏する詩子の顔は見た事のない悲壮感が漂う表情をしていた。


すると、教室の外壁と床がボロボロにひび割れ、剥がれ、赤黒い金属のようなものへと様相を変え、角の生えた詩子は宙に浮き、突風が吹き荒れた。教室内部で詩子を中心として巻き起こる風により校舎の天井は吹き飛び、そこから見える夜空には暗闇と真っ赤な月がとてつもない近さと大きさで部屋を照らしているのだった。


そして、演奏する詩子のバイオリンは黒馬へと姿を変え、その馬にまたがる詩子は首のない中世の騎士へと変化してゆく。宙に浮き緑色のマントをたなびかせながら首無し騎士は俺に向かって走り出し、目の前で止まると馬は前足を挙げて大きな鳴き声をあげ、まさにファンタジーの世界が目の前に具現化された。


首無し騎士は鏡のような大きな斧を空に向けて振り上げた。すると全体を吹き荒れていた風は俺へと方向を変えて吹きはじめ、俺は両手を前に出しその吹き付ける風を防ごうとする。何かが腕に当たり鋭い痛みを感じる、見ると何かに切られたように血が流れていた。周囲にキラキラした物が風と一緒に舞っている、それは鏡の破片なのが見てとれた。


これ以上悪夢の中にいてはどうなるか分からない、ノイズキャンセリングのスイッチを入れようとマスクの耳の部分に手をもっていくが…


その時、目の前で大斧を振り回し緑のマントをたなびかせ首無し騎士は走りはじめた。その姿を見て俺は思い出した、それはまるで子供の頃に読んで想像した、アーサー王伝説に登場する緑の騎士の姿そのものだったからだ。そこで、なぜか俺は確信した。これは俺の記憶だ。そして今起きている悪夢は自分の心そのものではないかと…


そう考えた時俺は、全てを悟った――――――


病院、ロープ、割れたガラスや鏡の破片、考えまいとしてきたが全てに意味がある。俺は知っている。それらが意味する事を…耳元の手を下ろした。


目を瞑り、目の前に存在する首無し騎士に意識を集中し、心の目で見るのである。確か、緑の騎士とは円卓の騎士であるガウェインが戦った相手、『ベルシラック』だ。ガウェインと戦い敗北し、首を切り落とされてなお生き続け、次はガウェインの首を切り落とすとベルシラックは宣告する。その宣告を受けて騎士ガウェインはどうしたのか…


そう、彼は恐れずただ誠実であり続けた。嘘をつかず自分を見失なったりしない。そして死の宣告を受けたにもかかわらずもう一度自らベルシラックに対峙する。


目を瞑っている間も、風に舞い上がった破片が顔の頬や腕に当たり切り裂かれているのを痛みで感じる。そんな中で一つの答えにたどり着いた。


黒馬にまたがり駆けまわる首無し騎士は、俺がレーサー時代に目の前で転倒し、死んだライダーだ。彼のすぐ後ろを走っていた俺は、人間が吹き飛び、跳ね上がる車体から舞い散る破片にさらされながらも、彼の最後の表情をヘルメットのシールド越しにもかかわらず鮮明に覚えている。俺の心の奥底にしまい込んだ、レーサーを辞めるきっかけにもなった思い出したくない顔…


その顔を今、はっきりと思い出し俺は目を開けると同時に、ノイズキャンセリングのスイッチを入れた。


目の前の首無し騎士は砂でできていたかのように崩れ去り、吹き荒れる風に飛ばされはじめた。その内部からバイオリンを演奏する詩子の姿が現れた。詩子は涙を流しながら、そして悲痛な演奏をしていた。


俺はすぐに駆け寄り、詩子の右手を掴んで演奏を止めた。

「そんな風に演奏しちゃダメだ!」


腕を掴まれ、こちらを振り向く詩子の涙が宙を舞う。その瞬間辺りはただの教室へと元に戻った。


絶対に力を入れ過ぎてはいけない、掴んだ手から感じる、とても細く、弱く繊細な腕。そんな細い腕にもかかわらず詩子は「離してっ!」と大きく振りほどいた。


「君はなぜそんな悲しそうに演奏する、こんな、人を傷つける音楽をしちゃダメだ!」

マスクをしている以上、詩子からすれば対峙しているは得体のしれない人間だ、どう話せば良いのか…


「うるさい!私に近寄らないで!」


「これが私の才能なの!これが本当の私なのよ!」


「違う、詩子、そんなのは音楽じゃない!」


「私の事何もしらないくせにっ!私の音楽は人の心の闇を膨らませる、この悪魔のような姿こそ私の本当の音楽!もう裏に閉じ込めておかなくて良いの、そう!私は救われたのよ…!」


「詩子…」

俺はマスクを取り外した。そうするしかないと思ったからだ。


「あなたは、そんな…病葉さ…んっ」


「いいか詩子、俺も能力者だ。他にも仲間がいる、一人じゃないんだ!だから楽器を置いて話そう」


「なんで、よ。病葉さんは敵なんだ…」


「詩子?」


「私には、私を必要としてくれる人がいるの、私を外の世界に連れてってくれる人がいるのよ!」

詩子は再びバイオリンを構える。


「わかった!わかったから俺の話を聞いてくれ!」


「いいえ、あなたは敵よ。次は私の地獄を見せてあげる!」

そして、再び詩子は音楽を奏でた。


角の生えた詩子の姿は暗闇に浸食されるように飲み込まれ、その場から姿を消した。そして詩子が背にしていた教室の窓ガラスの外には何かが飛んでくるのが見えた。最初は鳥のように見えたが、近づくにつれそれは猛スピードで突っ込んでくる飛行機だとわかった。俺は急いでマスクをつけようとするが、その瞬間教室の地面から糸のような物が伸び、俺の腕に絡みつくと地面に引っ張られマスクを落とした。


そして窓の外いっぱいに飛行機が見えた瞬間、それは教室の内部に壁を突き破り突っ込んだ。凄まじい轟音と煙で視界はなくなり、俺はひざまずいて辺り一面に広がる煙で何度もむせた。徐々に煙が晴れると、俺のすぐ隣は突っ込んだ飛行機の胴体が横たわっていた。ジャンボジェット機だろうか、その巨体は教室の半分以上を破壊し、そしてめり込み内部から火災が発生しているようだ。


さらに火災の炎は勢いを増し、外にまで燃え移り教室全体を燃やそうと広がりはじめた。逃げようとした瞬間、地面から無数の糸のような物がいくつも生え、体のいたる所に巻き付いて地面に引っ張られた。俺は両手、両膝を地面につき、逃れようとするが、その糸がバイオリンの絃である事に気づく。


そうだこれは幻覚なんだ…

ここは教室で詩子は俺のすぐそばにいるはずで、声は伝わるはずだ!


「詩子!聞こえているはずだ、俺は君を傷つけるつもりはない!なぜこんな事をするんだ!」


「俺の知っている川島詩子は華麗な演奏をするバイオリニストで、でも学校ではただ恥ずかしがり屋なだけの普通の女の子だ!」


「違う!それは本当の私じゃない!」

どこから発せられているかは分からないが、近くに存在するようだ。


「ずっと抱えていた、張り裂けそうな思いをずっと我慢していたのよ!」


「けれどそんな事しなくて良いと言ってくれた、裏の気持ちを表に出して良いんだと教えてくれた、汚い部分も恐ろしい一面も全ては表裏一体で自分自身なんだって!」


「誰も私の事なんて知らない、知ろうとしない。争う事ばかりさせる…」


「そんなに争いたいなら、争いたい人だけでやればいいのよ!今度は私がみんなを戦わしてあげるの!それが私の願いなの!」


そう語られる詩子の気持ちは、悲痛な叫びそのものであり心に突き刺さる。だが、同時に違和感も感じた。その純粋な叫び、それは十代の女の子の叫びにもかかわらず、わずかに何かの匂いを感じ取ったからだ。若者をさげすみ搾取する事を目的にした、社会に出て働き始めた時感じた反吐へどがでるような間違ったの匂いがした。詩子の言葉だけじゃない!どこの誰だか知らない何者かの言葉が混じっている!


体を引っ張る力はさらに増し、俺は頬を地面にこすりつけられるように完全に拘束された。そして俺の視線の先には、業火に焼かれる機体とそこから燃え広がる炎だった。このままではまずいという事は理解できたが体が全く動かない…


広がる炎はやがて俺の右手に燃え移り、そしてそこからは一瞬で体全体に燃え移った。その熱さはとてつもないもので、痛みの限界を超えると体全体が痺れだした。人間は過度な痛みを感じると、自分を守るため感覚を麻痺させる自己防衛機能があるというが、これがそれなのか…


目を開けているはずなのに視界は黒色に覆われていき、まるでオペラ劇場の終幕かのように全身の痺れだけを感じて俺の意識は闇に消えた。


――――――――――――


―――――――


――――



“亮?返事して!大丈夫!?”


「妃さん、すみません…」


「俺は、無理でした…」

意識を取り戻した俺は、大の字になり静かな教室の天井を眺めていた。


“どういう事?何があったの?”


「すみません…」


俺は長い長い、幻覚の時間からの解放感と何もできなかった自分の無力感に支配され、詩子の涙を思い出し、右腕を目にあてながら又自分も涙を流した。



次回 【第三十話 傷跡は隠さない】




関連情報紹介

*1 アーサー王伝説 ガウェイン卿と緑の騎士

  詳細YouTubeリンク ベルシラック!全身緑色の異形の騎士を解説!

  https://www.youtube.com/watch?v=oMSjdLn0MR8


*2 バイオリン七の和音:4個の音符で奏でられる重音、和音はピアノと違い同時に鳴るのではなく、低音2音から残り高音2音と分けて素早く奏でられる奏法から独特な響きになる。

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