第二十一話 女神の暴力

色褪いろあせた朱色の立派な鳥居が時代の経過、おもむきのようなものを感じさせる。俺は尼宮市にあるとある神社に来ている。なんでもカラースプレーで神社の外壁に落書きがされ、さらには油のような物がまかれた事件がここで発生したらしい。落書きは特に意味のない模様で、油がかけられたであろう所は木材が変色している。


現場を見て俺は確信した。この犯人は子供の悪戯ではない。


スプレーで落書きというのは何かメッセージやアピール願望からもたらせられる行動であり、普通は幼稚な者の悪戯だと思うがこの落書きは何か違う。そう木を隠すなら森の中という言葉があるが、このは何か違和感がある何か…


犯罪心理学の研究で有名なブロークン・ウィンドウ、割れ窓理論というものがある。これは割れた窓など些細な乱れを放置していると軽微な悪戯のような犯罪が助長され、さらには重犯罪を引き起こすという理論だ。もともとアメリカで提唱され、実際に些細な街の乱れを改善すると犯罪率が低下し実証を得ている。日本でも2000年代に北海道警が導入し犯罪件数の低減の効果があったらしい。


神社の石段を下り周囲の街並みを見渡すが辺りは特に異常の無い、いたって普通の住宅街でとても悪戯が助長される環境ではない。やはり悪戯というよりか何か別の目的、それも作為的な印象をうける。


だとしたら誰が何のために…


俺はバイクにまたがり右耳のイヤホンのスイッチを押し、ヘルメットを被りバイクのエンジンをかけた。

「妃さん聞こえますか?一件目の調査終わりました」


“ええ、よく聞こえてるは何か見つけた?”


「いえ、どうも見た感じはただの悪戯に見えるんですが、何か気になるというか…このまま次に近い現場を教えてください」


“分かったわ、今送る”

バイクのハンドル部分にマウントされたスマホ画面に、次の目的地までのナビが表示された。そのナビの指示に従いバイクを走らせる。


“次の現場は5km先の町工場よ。外に積載していた金属材料が何者かに荒らされ油を撒かれたって事件みたい”


「また油ですか。資材は盗難されてないんですよね?」


“そうね、盗難の被害は出ていないみたい”

いろいろな事を考えながらバイクを走らせた。多発する軽微ないたずら、それもここ最近に短い間隔で起きているそれらが意味するものは何なのか…


手前の信号が赤に変わりブレーキをかけ停車した。

「そろそろ目的地みたいです、着いたらまたいったん通話を切りますね」


“分かったわ、終わり次第また…まって”


「どうかしました?」


“その近くの銀行で緊急事態が起きているみたいだわ”


「銀行?ですか?」


“ええ、ほとんどの銀行の防犯システムは松澤製の物を導入しているの。警察だけじゃなく、もしもの時のために製造元である松澤の早期警戒システムにも緊急の知らせが入るようになってるの”


「それで銀行が銀行強盗にでもあってると?」


“いえ、それは無いわ。今は現金の時代じゃないのよ?お金は電子上のやり取りで、街のメガバンクでも現金は多くあっても1000万前後。このご時世に銀行強盗なんて馬鹿げてるわ”


「そうなんですか?確かに厳重な警備とリスクの割に数千万じゃ割に合わないですよね」


“おそらく従業員のミスか何かで誤報でしょうね”


「そうですか、でも俺の位置から近いんですよね?」


“ええ、すぐそこだわ”


「じゃあ一応寄って見ますよ。俺も松澤の社員なんだし様子だけ確認するんでナビ情報お願いします」


“あなたが良いなら別にいいけど。様子を見るだけにしてよね!本来社員が駆け付けるものじゃないんだから”


「承知しました」

サラリーマンというのは何に関しても新しい前例という物には敏感だ。前例を作る当事者になると責任が生まれ、それらは大概良い結果にならないという事を皆肌で感じ知っているからである。


ナビ情報が更新され俺は銀行の方へと向かった。


しばらく走ると目的地の銀行が見えてきたがその異変はすぐに理解できた。銀行の入り口に車がめり込んで突っ込んだ状態だったからだ。周囲に救急車や警察官の姿は見当たらない俺の方が早く到着したようだ。銀行の少し先にバイクを止めて銀行の様子を見るために向かう。


走りながらイヤホンのスイッチを押して連絡した。

「妃さん大変です、どうも銀行に車が乗り上げて店内に追突したみたいです」


“あー、事故ね。それで職員が焦って警報装置を押したのかも。最近はアクセルとブレーキの踏み間違いの事故が多いわね”


「中の様子を見てきます」

銀行の中に入ろうとするが、入り口は車でふさがれていてとても入れそうにない。そしてそのあまりにも異様な光景に危険を感じてか誰も入り口に近寄ろうとはせず離れた所からただ様子をうかがっているだけのようだ。


俺はどこか別に入り口がないか駐車場の方に回って裏口を探す事にした。何台か車が駐車されているが、あれだけの事故にもかかわらず周囲が静かなのが不思議だった。銀行の壁つたいに歩くと少し先に扉があるのが見え、扉に向かいドアノブを回してみたが、鍵がかかっていた。


「まぁ、そりゃ鍵かかってるよな」

さてどうやって中に入るか建物の全体を眺めた時それは聞こえた。


パァッン!パァッン!


乾いた破裂音で大きな音が中から聞こえた。その音を聞くと同時、瞬時に妃さんの言っていた馬鹿げた事が脳裏に浮かんだ。


「妃さん今の聞こえました?」


“いえ、何かあったの?会話の声を拾いやすくするために周囲の遠くの音は聞こえない設定よ”


「あー、恐らくなんですが銀行の中から銃声のような音がして、確かめるにも中に入れないんですよね」


“銃声?まさか本当に銀行強盗でも…あ、ちょっと待って…”

通話しながら辺りを見ると、少し開いた窓を見つけた。


あれは、換気用の窓か?近寄って確認するが窓に手は届くがとても中の様子がのぞける高さではなかった。


「くっ、届かないか…」


“亮!今すぐその銀行から離れなさい!”

いつになく強い口調で妃さんの声が耳に響いた。


「どうしたんですか?」


“どうやら本当に銀行強盗みたいだわ!今その犯人と思われる人がネットで中の様子を配信しているって騒ぎになってるの”


「本当ですか!?」

そして、銀行の周囲からパトカーのサイレンの音が聞こえだしてきた事に気づいた。


“すぐそこを離れて!危険よ!”


「ですがこのまま何もできないなんて」


“こんな時に何を言ってるの!”


「でも、何か助けになる事はできないんでしょうか」


“もう、仕方ないわね!なら、GPS発信機を中に投げられる?それを投げ入れたらすぐにその場を離れて!”


妃さんに渡されたあの球体だ、俺はコートのポケットからそれを取り出し少し開いた窓の隙間から投げ入れた。そして言われた通りその場をすぐに離れバイクの元に走った。そしてちょうど入れ違う形で何台かの警察車両が到着し、瞬く間に周囲には規制線が張られ立ち入れなくなってしまった。


「はぁ、はぁ、大変な事になってるな…」


“そっちは大丈夫?”

息を整え返答する。


「ええ、何とか誰にも見つからず戻ってこれました。発信機も中に入れたんですが発信機なんか建物に入れて何か意味があるんですか?」


“あれはただの発信機じゃないわ。スマホの画面を見てみて”

スマホを見てみると、自動に操作されアプリケーションが立ち上がる。いや恐らく妃さんが遠隔操作してくれているのだろう。すると、とある建物内部の3D映像が映し出され内部には人型のグラフィックも映し出された。


“あの発信機はアクティブ・ソナーの機能があって電波領域を形成して反響定位を行えるわ。その情報を今スマホに可視化してるの”


「凄いですね、という事はこれで銀行内部の状況がある程度分かるわけですね」


“まぁ、範囲もまだ狭いし、画面に表示されるには十秒以上のタイムラグが起きるから実用化はまだまだ先ね。とりあえず研究室のパソコンでも見れるから戻ってきなさい”


「分かりました戻ります」

俺は急いで会社に戻る事にした。


会社に戻りテレビを付けると大々的に報道がされていた。銀行の周囲は警察車両で封鎖し、銀行強盗犯が客を人質にとり立てこもり事件として報じているようだ。報道ヘリの空撮映像からかなり大ごとになっているのが見て理解できる。


「まだ誰も怪我人などは出ていないみたいだね」

植木さんは心配そうな表情でテレビを見ている。


「妃さん中の状況は?」

デスクのパソコン画面に目を移す。


「建物一階には人が二人、しゃがみ込んで何か作業中のようね」


「二人だけですか?」


「そうみたい、人質達は二階かしら」


「二階の状況は分からないんですか?」


「探知範囲を広げる事も出来るけど、やってみましょう」

妃さんはキーボードを操作した。


表示されている空間が広がり、二階と思われる各部屋に物体の塊らしきものが映し出される。


「壁や床越しだと電波反響が伝わりにくいから、かなり分かりにくくなるわ。それでもこの塊の反射の仕方は人だと思うわ」


「犯人は人質を各部屋に分けて拘束してるのか…」


「二人とも何か動きがあるみたいだよ」

植木さんにそう言われテレビの方を見てみる。


中継のカメラが車がめり込んだ出入口にズームアップすると。眼鏡をかけた男が運転席で何かしているようだった。すると突然車が動きだし走り出し始めたのだ。それと同時に、その出入口から人質だった客や店員が何十人も店内から一気に外に逃げ出してきた。


中継しているアナウンサーはかなり興奮した様子でその状況をヘリから伝えている。走り出した車は目の前のパトカーにぶつかり止まる、すると男は窓から拳銃を外に向け発砲しだした。何発も何発も放たれ、周囲の車両の窓ガラスが割れる。辺りの警察官達は地面に伏せ、銀行から逃げ出した人たちは悲鳴を上げ、ちりぢりになりながら身を隠す場所を探して走り回っていた。


撃ち尽くしたのだろうか男は再びハンドルを握り、パトカーとパトカーの隙間を無理やり通り抜けようと運転しようとする。しかしそこに機動隊と思われる隊員に開いた窓から腕を掴まれ、ドアを開けられ外に引きずり出されてしまった。


“たった今!犯人と思われる男が警察隊員に拘束され、警察車両に移されるようです!”


アナウンサーは荒い口調で事件の解決を伝える。


「いやー驚きの事件だったね。まさかこんな大事件の現場に病葉君がいたなんてね」


「そうですね、すぐに逃げて巻き込まれず良かったです」


「今時、銀行強盗なんて馬鹿げてるわ。何台監視カメラがあると思ってるのかしら、逃げられるわけないじゃない」


この時、俺たちはまだ知らない。犯人が逮捕される時に叫んだ言葉を…




次回 【第二十二話 世界のことわり

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