ひと夏の妖島(バケじま)

渡貫とゐち

第1話


 夏休みに入ってから――慌ただしい初日を終えて、翌日だった。

 昨日の疲れがまだ取れないまま目を開ければ、見慣れない天井があった。


 小さな豆電球。そして紐がある。引くと電気が点く、とのことだった。

 スイッチでオンオフをする都会とは違うなあ。


 体を起こす。

 ぎしぎし痛む背中を伸ばす。骨がぼきぼきと鳴った。一応、敷布団は敷いているけど普段がふかふかベッドだからか、体には負担がかかっていたみたいだ。

 いずれ慣れるだろう……慣れてくれないと困る。

 これからおれは夏休みまるまる、ここで暮らすのだから。


 田舎の島だ。

 マジで周りは海しかねえ。


「…………あっつー」


 とは言ったが、風が抜けて気持ちいい。湿気がない分、東京の暑さとは違うのが救いだった。

 からっとした暑さで嫌ではなかった。気温は高いけど東京よりも涼しいくらいである。


 シャツを脱ぎ、持ち込んだボディシートで体を拭く。この家に居候として住まわせてもらうのだから、相手を不快にさせない配慮はするべきだ。


「うわ、太ももまで汗が……シャワーを……いやでも、女子が使ってるよなあ……」


 おれでこうなのだから女子たちも気にしてシャワーに入るだろう。普段は使っていないかもしれないが、おれという異物が混ざれば気にするかもしれない。

 別に、おれに色目を使う理由でなくても、異性にクサイと言われたくない気持ちはおれだって分かる。


 こうして汗を気にしてボディシートで拭くくらいには、おれも気にしてるのだから。

 ……やっぱり、女子ばかりのいとこの家に泊まるのはダメだったんじゃないか? まあ、親の仕事の都合で海外出張、と言われたら、家におれひとりは心配だって分かるけどさ……。

 父方の祖父の家――になった理由は分からないけど、大人の事情があったのだろう。


 まだまだガキのおれが文句を言っても予定は変わらない。ここはがまんして、夏休みをこの家で過ごすしかない。……前向きに考えよう。


 田舎だ。小さい頃に一回きたことがある、ってだけで記憶はほとんどなかった。だから初めてに近い。

 都会育ちのおれからすれば家の裏手にすぐに山があるのが驚きだった。同時にわくわくもする――カブトムシとかいるんじゃないか?


 虫網を担いで――をするには、さすがにそこまでガキじゃないけどな。



 縁側とは逆側、襖を開けると、どん、とぶつかった。

 おれの胸に額をぶつけたのは、二歳下のいとこの女の子――舞衣(まい)だ。


 肩で揃えられた、海のような青髪(海を潜った時のグラデーションと一致する)――右目の目尻には色っぽい泣きぼくろ。


 華奢だが出るとこ出ているスタイルの良さで――部活をしているから引き締まった体だった。小麦色の肌は、確かビーチバレー部……だっけ?

 だからか、肩にはくっきりと日焼け痕があった。日焼け痕よりも細いノースリーブを着ているので、肌の色の差がはっきりと見える。……なんか、その……、目に毒だよな。


「いたっ」

「あ、ごめん。……おはよう、舞衣」


「おはよう、(さとる)


 挨拶を交わした後、舞衣はすぐにすっと目を細めた。昨日の初顔合わせからおれへの態度は強めだ。敵意って言うと違うのだろうけど、住むことをまだ認めていない、みたいな反発がある。


 昔、舞衣とも会っている、とは言われたんだけど……当時は、舞衣が物心ついて間もなかったし、おれはともかく舞衣は覚えていなくても仕方ない。

 だから、昔は関係なく、単純に異性が混じることへの嫌悪感だろうな。


 仕方ないだろ……こればかりは親に言ってほしい文句だ。おれだってできることなら家でひとり夏休みを謳歌したかった……だけどどうしようもなかったんだ、がまんしてくれ。

 その想いが届いたのか、舞衣は態度をややあらためてくれて、


「ねえ、居候……手伝ってよ」

「居候だから手伝うけど……なにするんだ?」


「にまっ。――大掃除よ!」

「それ、夏休みに入ってすることか? 普通年末とかにさ……」


 こんな中途半端な時期に……と思ったけど半年と思えばきりがいい? いや七月だから正確には半年と少しだけど。


「いいから、手伝うのっ。朝ごはん食べてからね!」

「はいはい……」


 ――広い家だった。そもそも島に民家が少ないと思えば、一軒一軒の家の敷地が広いのは普通なのかもしれない。

 ……神内(じんない)家。庭もあって部屋数もかなり多く、二日目のおれはすぐに迷いそうだ。未だにトイレの場所が分からないし……。


 家族が集まる居間を基準にしないとどこにもいけない。



「倉庫の掃除? ……舞衣ちゃん、それ、ずっと前におじいちゃんに言われてもやってこなかった仕事でしょ。悟くんがいるからって重い腰を上げて……。彼を都合よく使っちゃいけません」


「いいじゃん。勝手にきた居候なんだからこき使ってなにが悪いの? 住まわせてあげるんだからこれくらい手伝わせた方がいいって。この家での上下関係をちゃんと覚えさせるの。女の園に男が入ってきたことを後悔させてやるんだから――。ひっひっひっー、逃げ出したければ勝手にすればー? 海を渡って家まで帰れるんならね!!」


 朝食を作ってくれている長女の(ひな)さんの後ろで、料理を待ちながら。

 舞衣は胸を張って威張っていた。かわいいやつだなー、小ばかにした意味で。


「すっげえ噛ませ犬……。いいよ、手伝うよ、雛さん。確かに居候として住むならそれくらいはしないと。雛さんも、おれを頼ってくれていいですから」


「そう? じゃあ頼っちゃおうかなっ。とりあえず、今日は舞衣ちゃんと遊んであげて」

「分かりました」


 すると、ちょっと待て! と舞衣から『異議あり!』と挙手があった。


「誰が遊ばれるって!? するのは掃除だよ、そ・う・じ! あたしと遊ぶためじゃないっての!!」


「分かってるって。倉庫って言ったよな? ってことは奥っぽいけど……案内してくれよ? おれ、絶対に迷うから」


「あはっ、あんたのための立て看板でも作ってあげよっか? にっひっひっ、親切でしょー?」


 素直に立て看板を作るつもりがないってことはすぐに分かった。


「どうせ逆方向を指すだろうから――反対へいけばいいんだろ? 知ってる」

「なんで分かっ――ええっと、そんなことないし!!」


 取り繕っている間に、料理が完成したようで……神内家全員が集まっての朝食だ。



 朝食を終え、一段落をした後――舞衣と一緒に倉庫へ向かう。

 庭の中心には大きな池があった。……池があるんだ……すげーな。


 池の前。いたのは小柄な女の子だ。

 寝癖なのかただの髪の癖なのか、やや膨らんだ黒髪は猫耳にも見えた。


 パーマがかった毛先は鎖骨のあたりでくるんと丸くなっている……。

 彼女は末っ子の……えっと……こより、ちゃんだっけ……?


「こより。鯉に餌あげてんの?」


 振り向いた末っ子のこよりちゃん。よかった、合っていたようだ。こよりちゃんは感情の起伏が少なく、淡々と喋るような口調だった。


「うん、餌あげないと、鯉が怒るからね……おにいさん、やってみる?」

「え? ……じゃあ、やってみようかな……。でもおれ、こよりちゃんのお兄さんじゃないけど……」


「いとこのおにいさん。だから、悟おにいさん……それともおにいちゃんがいい?」

「そうだな、おにいちゃんがいいかな」


「ちょっと!」


 欲を出したらすぐさま舞衣が手を出してきた。

 軽いチョップだったけど、不意打ちで後頭部にくれば脳が揺れる。


「痛っ。な、なんで舞衣が怒るんだよ……いいじゃん、ひとりっ子なんだからおにいちゃんって呼ばれたい時だってあるんだよ!!」


「ずるい!!」


 は!? ずるいって、なんでだよ!


「あたしだって、こよりにはおねえちゃん、って呼ばれてないんだよ!?」

「それは……だって年が近いからじゃないのか? 舞衣はだって、おねえちゃんって感じしないじゃん。雛さんを見てみろよ……あれをお姉ちゃん、と言うんだぜ――?」


「けんか売ってる?」


 がっ、と膝でおれの尻を押してくる。


「あぶねっ!? おまっ、池に落ちたらどうすんだ!」

「落ちろ。そして鯉の餌になっちまえ」

「もし落ちたらお前も一緒に引きずり落とすからな……ッ!」


 そんなやり取りをしていると、横でじっと見つめてくる視線を感じる……。

 舞衣とふたりで横を見ると、じーーーー、と、こよりちゃんが見ていた。


「舞衣ねえ、楽しそうだね」

「どこが! むっかむかなんだけど!!」

「じゃあ、むかむか楽しそう」

「むかむか楽しそうって、なに……?」


「でも、ほんとに楽しいでしょ? だって部活にいかず、おにいさんと一緒にいるんだから……舞衣ねえはいつも部活優先だもんね」


「え、そうだったのか?」


 それは悪いことをした…………って違う、掃除を手伝えと言ったのは舞衣だ。

 別に、部活優先なら優先できたはず……だよな?


「今日は休みだよ。こよりも、変なこと言わないで。まるで、あたしが悟と一緒にいたいから部活を休んだ可愛い妹キャラみたいになっちゃうじゃん」


「なってねえよ」

「あぁん!?」

「こわ!!」


 がんばって背伸びして、額に額を合わせようとしていたみたいだけど無理だった。

 身長差があるとどうしたって舞衣の視線は上に向く……つまりおれの視線は下に――。

 だから、あんまり見ちゃいけないだろう胸が見えるんだよなあ……。


 ひとつの屋根の下で過ごすんだからやめてほしい……。

 それにしても、こいつ中学生なのに、でけえな……それともこれが普通なのか?

 雛さんの血筋なら当然なのかもしれないけど。


「部活は休み、だけど、自主練しないの珍しいよね?」

「それは……、っ、だって掃除だからね!」


「ずっとサボってたのに、今更……? なんで?」

「う……。さすがに、サボり続けるのもそろそろ罪悪感がねー……」

「今更?」


 首を傾げた後にさらに傾げたので、横に倒れそうなこよりちゃんだった。


「こより、そろそろ黙って」

「そうだね、邪魔したら悪いもんね。やっと再会できたおにいさんだも――」


「こより。夜中にトイレ、一緒にいってあげないよ?」

「…………舞衣ねえ」

「困るでしょ?」


 自然な流れで出てきたけど、夜中にトイレ?

 まあ、こよりちゃんならまだ分かる。


「それ、お互いさま、でしょ」


「……え、舞衣も夜にひとりでトイレにいけないの?」


「っ! ちが、い、いけるわよ!! でもっ、たまに! ごくたまにすっごく雰囲気が怖い時があるの! ほんとに!! ……この家、真夜中のトイレまでの道中が、すっごく、すっごく……怖いのよ。ダメ、あれはダメだった……もうやだぁ……」


 思い出したのか、肩を震わせる舞衣。

 動揺の仕方が冗談ではなさそうだったので、こよりちゃんを見ると、


「本当だよ。住み慣れた我が家なのにがらっと雰囲気が変わるの。おにいさんも昨日は分からなかったと思うけど、住むならいつかは体験できると思う。……その時を楽しみにしててね」


「楽しみにはしたくないけどね。……まあ、うん、トイレは先にいくようにするよ」


「逃げるな!!」


 逃げるとか立ち向かうとか、そういう話じゃないだろ!




 …つづく

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