【書籍試し読み】今日勇者を首になった

もりし/DRAGON NOVELS

第1話 異世界召喚

「別れたいの」

 西山アラタを喫茶店に呼び出した安藤琴子はそう告げた。

 付き合って二年。アラタにとって琴子はかけがえのない存在なのだから、こんな日が来るとは思わなかった。賑やかな店内の喧騒が一瞬でかき消される。

「と、突然どうしたんだ!?」

 一旦落ち着こうと、コーヒーカップに口を付ける。アラタはブラック。琴子は砂糖をたっぷり入れたミルクティー。

 味は全くしなかった。カップを持つ手がカタカタ震えた。

「はは……何を言ってんだ」

 冗談なら早くネタばらししてくれ、と思う。軽いノリを演出するために笑おうとしたが、上手く笑えない。

「好きな人が出来たの」

 ホントにどうしようもなく、つまらないありきたりな理由だ。こんな脚本のドラマでは視聴率は低いだろう。だが、それは見る側の話で、当事者はそうはいかない。そんなありきたりな理由で脳天をつくほどの衝撃を受けている。カップを持つ手の震えは止まらず、脂汗も出てきた。

「今その人が来てるの」

「はぁ?!」

 隣のテーブル席に座っていた見知らぬ男が立ち上がって琴子の隣に座った。ガッチリとした体格で日に焼けたスポーツマンタイプの男だ。文化系のアラタとは真逆のタイプである。髪も金髪に染めたツンツン頭。アラタの無造作な黒髪とは違う。

「そういう事ですんで……」

 男は気まずそうに言う。脚本家は琴子なんだろう。こいつはこういう演出をするタイプの女だ。

 呆然と二人を眺めるアラタ。

 男は田中アツシと名乗った。


 そのあと三人で何を話していたか記憶にない。「はぁ、……そうか、はぁ……」と返事をするだけで上の空。何も考えられないし答えられなかった。

 ただ琴子を失った事だけはハッキリ分かった。それは琴子の表情からも窺える。

 いつもの屈託のない可愛らしい笑顔が今日に限って見られなかった。琴子が全くの赤の他人になったような感覚になる。

 納得は全く出来なかったし、別れたくなかった。

 だが、男がいる手前そんな事は口に出せなかった。

 奥のテーブル席では高校生のグループが楽しげに騒いでいる。こちらの世界とあちらではまるで別物の世界に感じた。


「ありがとうございましたー」

 店員のはつらつとした声を背に喫茶店を出る。

 仲良く並ぶ二人の後ろをとぼとぼ歩くアラタである。泣きたいが泣くわけにもいかなかった。冬の日中の太陽の光が路面を照らしているが、一際暗く感じるのは気のせいではあるまい。視覚も聴覚もどこか膜を貼ったようにぼやけていた。

「じゃあ、ここで失礼します」

 琴子の新しい男アツシに言葉をかけられたが、とてもじゃないが返事できる精神状態ではない。口だけがモゴモゴと動いた。

「もうアラタと会う事はないと思うわ。元気でね」

 琴子がアラタに別れの言葉をかけた。

(会う事はない……か)

 確かに別れれば二度と会う事はないのだろうが、アラタにしてみればこんな冷たい台詞もない。だが別れを告げる女とはこんな感じなのだろう。

 あんなに楽しい時間を過ごした二人の関係が、終わりを告げた。

「あぁ……」とようやく声らしきものが、自分の口から漏れた。

 いつの間に琴子は新しい男を見つけたのか。琴子は社交的だし大学生であるから異性との出会いもあっただろう。だがアラタはそんな琴子を信じていた。

(不満があったんなら言ってくれれば、俺だって……いや、自分が鈍感だっただけなんだろう)

 アラタは自分を責める事しかできない。


 同じ喫茶店にいた高校生のグループが先に会計を済ませ、前を歩いていた。有名な私立大学付属の高校の制服である。

 高校生達と、琴子とアツシは赤信号で立ち止まる。

 このままついていくのも気まずいので、別ルートで帰路に就こうと踵を返した瞬間―

「わぁ?!」「な、なに?」「きゃあ!!」と高校生達が騒いでいる。

 その騒ぎようにアラタが思わず振り返ると、高校生達の足元が黄金色に光っていた。

 黄金色のまばゆい光は更に琴子と新しい彼氏のアツシ、その後ろのアラタにまで及んだ。逃げる間もなく、それは光の筒になり皆を閉じ込めた。

「な、何だよ、これ!」

「出れない!?」

「くそっ! 出してくれ!」

 光の筒を叩く者もいたが、びくともしない。

 三者三様に皆が騒ぐ中、アラタはそんな超常現象の中、ただそれを眺めているだけであった。この状況に驚きはあったが、先程の琴子との一件で世の中に絶望していたので、皆が騒ぐ中、茫然と立っているのがやっとである。展開についていけなかった。

 光の筒は中全体を神々しく照らし、目の前が真っ白になるほど光を発する。アラタは光の圧に意識を刈り取られていった。


 ◆◆◆


 どれ程そうしていたのだろうか。気がつくと地面のひんやりとした感触が頬に伝わってくる。

 アラタが目を開けるとそこは荘厳華麗という言葉が似合う大聖堂。

 身体を起こすと目の前には美しいドレスを着た女性が立っていた。

 中世の西洋絵画に描かれているような金髪の美女である。その瞳は大聖堂のステンドグラスに負けず劣らず美しく輝き、鼻筋は通っていて、唇は潤いを見せている。それらはバランス良く配置されていて一分の隙もないように思えた。大人然とした佇まいであるが、その中に少女のような純粋さも感じ取れる。相当な美人である事は間違いない。一言でいうなら可憐な女性。

 アラタはその美しさに息を呑んだ。それほど現実離れした美しい女性である。

 彼女と目が合う。それだけで心臓が高鳴るのはアラタも男である証拠だ。

 周りには騎士や魔法使いといった洋装の人達が控えていた。まるでおとぎ話の世界に迷いこんだのかと思ったのだが、夢というワケでもなさそうである。


「うぅ……」

 光に巻き込まれた他の皆が、目を覚ましたようだ。

 床には魔法陣が描かれている。全員が周りを見渡し、そして目の前の美しい女性に注目した。注目に値する美しさなのだから、そうなるのは自然の成りゆきである。

 その美しい女性はこう言ったのだ。

「ようこそ、アルフスナーダ国へ、勇者様方。私はアルフスナーダ国の王女。ソフィア・メリル・アルフスナーダです。皆様、魔王よりこの世界をお救い下さい」

 何とも信じられない事態ではあったが、この展開はアニメやライトノベルなどでは、ありきたりな展開だった。

 つまり―「異世界召喚か!?」高校生の眼鏡男子が叫んだ。

「はい、召喚させていただきました」と、ソフィアと名乗る王女が頷く。

「え? うそー! そんな事ホントにあるんだ」

 利発そうな女子高生が言う。胸躍る大冒険の始まりといった感じなのだろうか。高校生やアツシがはしゃいでいる。

 なぜ、はしゃぐのか良く分からない。こういう事を勝手にされたら普通は怒りそうなものだ。

 全員がはしゃいでいる訳ではないが、アラタは濁った灰色の瞳でそれらを眺めていた。とはいえアラタは怒りを顕にするわけではない。異世界召喚という異質な状況に静観せざるをえなかった。


「コホン、まず皆様にやっていただきたい事があります」

 ソフィア王女は凛とした声を発した。

「ステータスオープンと唱えて下さい」

 また、皆が色めきたった。

「出たー、異世界テンプレ」

 口々に「ステータスオープン」と唱える。

「宜しいですか? あなた方は勇者です。その為初めから膨大な経験値が与えられているのです。経験値の数字をタップして下さい」

 お互い、相手のステータス画面は見る事が出来ない。傍から見ると見えないスマホを弄っているように、皆が操作している。パントマイムでもやっている様だ。

「そうしたら、自分のレベルの横のバーをグィーっと伸ばして下さい」

 経験値をそこに放り込む事でレベルアップするようだ。

「お、スゲーいきなりレベル23になったぞ」

「チートじゃん」

 個人差はあるが大体レベル20から23位に皆レベルアップした様だ。この世界で20レベルに達する人たちは、A級冒険者と呼ばれる実力者がほとんどだという。

 どういう理屈なのか異世界召喚された人は魔力と経験値が多大に付与されるそうだ。


 ソフィア王女の説明によると、職業は肩書きでしかなく、単に魔法使いや戦士などは、本人が名乗っているだけの事である。

 だが、勇者を勝手に名乗る事は出来ない。勇者は国から許可が下りないと名乗る事が許されないのだ。肩書きでしかないが、特別な存在なのだという。


 皆がソフィア王女の勧めに従ってレベルアップしている中、アラタは、微動だにせず突っ立っていた。いきなりの展開に付いていけないという事もあったが、異世界なんてどうでもよかった。勇者とか言われても興味がない。それらは自分とは何の関わりもない事のように思えたし、この状況がひどく他人事に思えて仕方ない。

 とにかく一人になりたかった。


 仲むつまじそうに会話をしている二人が目に入る。

 琴子とアツシが目障りだった。

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