第3話 同郷を装う詐欺師
アランは巨大な湖のほとりにある大きな港町リューンに流れ着いた。
川伝いに来た他国の船も停泊している、様々な人種が行き交う国際色豊かな街だ。
しかし、アランの心は固く閉ざされたままだった。
追放時にガイノスから渡された金は、予想通り雀の涙にも満たなかった。
これまでの蓄えも、リリアへの贈り物やパーティ経費の立て替え(結局返ってこなかったものも多い)で、それほど多くはない。
直ぐに生活に困るということはないにしろ、このままでは、そう遠くない日に路銀が尽きてしまう。
焦燥感に駆られながらも、人間不信に陥ったアランは、誰かに助けを求めることも、仕事を探す気力も失っていた。
安酒場の隅で、水で薄めた一番安いエールをちびちびと舐めながら、アランはぼんやりと天井の染みを眺めていた。
どうすればいい? いや、もう何もかも、どうでもいいのではないか……。そんな虚無感が彼を支配しかけていた、その時。
「あらあら、見ない顔ね。何か困っているのかしら?」
柔らかな声と共に、隣の席に一人の女性が腰を下ろした。
カーミラと名乗るその女は、三十歳くらいで、派手ではないが品の良い服装をし、人当たりの良さそうな笑みを浮かべていた。
アランは警戒し、最初はほとんど口を開かなかった。
だが、カーミラは彼の頑なな態度にも気を悪くした様子を見せず、港町の噂話や自分の仕事などについて、優しく柔らかな調子で語り続ける。
孤独と絶望の中にいたアランにとって、その柔らかな声は、抗いがたい魅力を持っていた。
いつしかアランは、ぽつりぽつりと自分の境遇を話していた。冒険者パーティを追放されたこと、裏切られて悔しい思い、遠い故郷を離れて久しいことなどを。
アランが自分の故郷の地名を口にした瞬間、カーミラの目が驚いたように見開かれた。
「まあ、奇遇だわ! 私もあなたの故郷から北の方にある村の出身なのよ! まさかこんな遠い港町で、同郷の方にお会いできるなんて!」
カーミラは、アランの故郷について懐かしそうに語ってみせた。それはつい直前にアラン自身が語っていた言葉の断片を組み合わせた作り話に過ぎなかったが、酔いと絶望がアランの判断力を完全に失わせていた。
あまりに自然なその口ぶりに、アランの心に深く根差していた疑念の壁が、ガラガラと崩れていく。酔いと、人恋しさと、そして「同郷」という魔法の言葉が、彼の判断力を致命的に狂わせていた。
「困ったときはお互い様じゃない。私にできることがあれば、力になるわ。だって、私たちは同郷なんだもの」
その言葉は、アランの乾ききった心に、温かい雫のように染み込んだ。裏切られたばかりのアランは、最後の藁にもすがる思いで、再びカーミラという出会ったばかりの女性に心を許しかけていた。
カーミラとの奇妙な交流が始まって数日後。
カーミラは、いつになく真剣な、そして悲痛な表情でアランの安宿を訪れた。目には涙を溜め、声は震えている。
「アラン……お願いがあるの。どうしても、あなたにしか頼めないの……」
カーミラは、故郷の母親が急病に倒れ、今すぐに高価な薬と治療費を送らなければ命に関わる、と涙ながらに訴えた。しかし、手持ちのお金がわずかに足りず、送金する良い方法も見つからない、と。
「それで……本当に、本当に、心苦しいのだけど……アランさん。少しの間、お金を貸していただけないかしら? 週明けには売掛金が入ってくるから、必ずお返しできるわ! お願い……母を……」
彼女はアランの前に崩れるように膝をつき、顔を伏せて泣き始めた。
一瞬、目の前で母親の命乞いをするカーミラに心を強くゆすられた。疑念が鎌首をもたげているものの、同郷の女性が目の前で泣いている。
(嘘かもしれない。いや、たぶん嘘だろう。でも、でももし、これが本当だったら? 俺が断ったことで彼女の母親の命が失われてしまったら? もし俺の僅かな金で彼女が助かるというなら……)
アランは逡巡した。頭の中では警鐘が鳴り響いている。
だが、彼の心は、カーミラが差し出した「希望」という名の毒杯に、無意識に手を伸ばしていた。
「……分かりました。俺にあるのは、本当にこれだけですが……」
アランは、当面必要となる生活費を除いた、なけなしの全財産を革袋に入れ、カーミラに手渡した。
「ありがとう、アラン! 本当にありがとう! あなたは母の命の恩人よ! この恩は絶対に忘れないわ!」
カーミラは涙ながらにアランの手を取り、何度も何度も感謝の言葉を繰り返した。
しかし案の定、彼女の感謝はそれとき限りのことだった。
週が明けても、カーミラが金を返しに来ることはなかった。
さらに次の週になっても、返済にこないカーミラに業を煮やし、アランは彼女が働いている宿を訪ねた。
「カーミラさん! 約束が違うじゃないか! 貸した金を返してくれ!」
その瞬間、カーミラがそれまでアランに見せていた優しい女性の表所が一変し、冷たく、計算高く、そして嘲りに満ちた目が、アランを射抜いた。
「……は? 何のことかしら? 私、あなたからお金なんて借りてないけど? というかあなたどなた?」
「なっ……!? 貴様……! 母親の治療費だって、全部嘘だったのか! 同郷のよしみと思って気を許したばかりに……」
「いきなり押し掛けてきて何を言い出すのよ!? 私の生まれも育ちもこのリューンよ! あなたみたいな、どこの馬の骨とも知らない人と同郷なわけないじゃない」
悪びれもせず、息を吐くように嘘を重ねるカーミラ。その厚顔無恥さに、アランの怒りは頂点に達した。
「ふざけるな! 金を返せ!」
アランはカーミラの腕を掴んだ。
その瞬間を、カーミラは待っていた。
「キャァァァァッ! 助けて! この男が! いきなり押し掛けてきてお金を要求して、私に乱暴しようとしてるのよ!」
甲高い悲鳴が、宿中に響き渡る。カーミラは服を乱し、涙を流し、怯えた子鹿のように震えていた。
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