第3話 不吉な影
その日も忙しかった。
雑誌の取材、動画配信の収録、新曲の打ち合わせ、挨拶回り……スケジュールに詰め込まれた様々の仕事をこなすうちに、チクサはエントランスで見かけた莉莉亞のことをすっかり忘れてしまっていた。
最後の仕事、ラジオ番組の収録を終えた時はもう深夜に近かった。マネージャーのはからいで一人一人にタクシーが宛がわれ、「おつかれさま」の声と共に乗せられる。
「運転手さん、着いたとき私がもし寝ちゃってたら起して下さい。すみません」
「ははは、いいですよ。どうぞくつろいで下さい」
人の好さそうな老齢の運転手に笑いかけられ、チクサはようやく人心地がついたように大きな欠伸をした。
疲れ切った体を座席の背もたれに預ける。お腹も空いたけど、マンションについたらとにかく眠りたい……
それでもスマホを取り出したチクサは、「これが本当に最後の仕事」とばかりにライムやメールのチェックを始めた。差し込みで急な仕事が入ったり、予定が変わるのは芸能界の慣習で珍しくないのだ。一件づつ丹念に確認してゆく。
幸い、入っていたのはほとんどが「おつかれさま!」というラ・クロワのメンバーからのねぎらいや愚痴、明日の予定の確認だった。
それでもマネージャーからイベントのリハーサルが明日の予定にちゃっかり差し込まれている。メンバーからは『ちょ、明日レコーディングもあるのに! 寝る暇ないじゃん!』『殺す気!』『もうさー、オフくれなきゃ皆でストやろーぜ!』等々、本気とも冗談ともつかない悲鳴や愚痴が投げられている。チクサはクスッと笑った。
しかし、最後のメールを見たとき、その笑顔はこわばった。
(莉莉亞……)
エントランスで見掛けて気がついたのに話し掛けることが出来ず、無視した格好になってしまった。そればかりか罪悪感を感じてラ・クロワの皆に話そうとしたものの遮られ、そのまま流されてしまっていた。
良心の呵責を感じながら、チクサはメールを読んだ。
『チクサ、元気ですか? 新曲聴いたよ! ラ・クロワのセンターになって初ミリオンおめでとう! 今、プロモーションとかでとても忙しいんだろうなぁって思います。ちゃんと休めてる? チクサはいつも黙って無理していたから……今の私は心配することしか出来ないけど、どうか無理しないで頑張ってね』
無視されたことに触れず気遣う文面から、必死に「私たち、まだ友達だよね」と訴えていた。
『来週の日曜日、西公園でファンがイベントを開いてくれます。私のラ・クロワ復帰を後押ししてくれるファンがまだ沢山いるんだよ。よかったらチクサも来て下さい。……ラ・クロワのみんなは元気ですか? 何度謝っても足りないけど、あのとき人気にうぬぼれて迷惑を掛けて、本当にゴメンなさい。今さら言い訳にしかならないけど美槌烈音に言い寄られて一夜を共にしたのは本当です。でもそのときだけ、本当にそれだけなの。それだって許されることじゃないけど……本当にゴメンなさい。許されなくてもいい、出来るならみんなに逢って謝りたい。みんなに伝えてくれませんか? お願い出来ませんか? 逢えませんか。チクサ、逢いたい……』
今までも何度かメールは来ていた。
他のメンバーは皆、とうの昔に莉莉亞からのメールと電話を着信拒否している。LIMEもメックスも。チクサだけがメールを拒否出来なかった。かつての親友と全てを断ち切るほど非情になれなかったのだ。
ただ、返信したことは一度もない。
プロダクションからはラ・クロワの名前を汚した歌姫と関わってはいけないと厳しく言い渡されている。こうしてメールを見ることしか出来なかった。
(莉莉亞……ごめんね)
(私、何もしてあげられない……)
どんなに心を痛めても、手を差し伸べることは許されない。
断ち切ることも救うことも出来ない自分を虚しく感じながら、チクサは窓の外を流れてゆく街のイルミネーションをぼんやりと眺めた。
それは睡魔と共に視界の中で次第にぼやけ、フェイドアウトしていった……
** ** ** ** ** **
天気もよく、風が気持ちいい日曜日の午後。
公園の一角で、垢抜けない服をした少年たちがたむろしている。
おしゃべりに興じながら彼等は誰かを待っていた。
「先月デビューした幼女系の『ハーシー・マスケッターズ』、いいよな!」
「おお、お前もか! あの動画見て速攻ファンクラ入ったぜ。眼帯がチャームポイントのシヅカがオレ的に最推しだな」
「オレはプリーシュカ推し。ツインテールを回転させたダンスパフォと見せパンが最高!」
最近人気のアイドルグループを賞賛するファン達の会話を
不快だった。
かつては「りり推し四天王」と呼ばれ「オレ達は莉莉亞だけを一生推す!」と誓い合ったはずの推し友が、莉莉亞がラ・クロワを離れたこの一年ですっかり緩んでしまっている。
とはいえ、ここで目くじらを立てたら少なくなった仲間の結束に亀裂を生んでしまうだろう。第一、推そうにも莉莉亞にラ・クロワに復帰出来そうな気配は一向になく、新曲の一つも出せていないのだ。
(でも……)
(こんな時だからこそ、ファンをまとめる僕たち四天王がしっかり莉莉亞を推していかなきゃいけないのに)
そこまで思った時、アツシは顔馴染みの一人がいないことに気がついた。
「あれ? 『どんぶり師匠』は?」
ファンの集まりやイベント後の食事の際、いつもカツ丼や牛丼を豪快にかっ喰らうので「どんぶり師匠」と呼ばれているりり推し四天王の一人がいない。
しかし、聞かれた四天王の残り二人は当惑した顔を「さぁ……」と見合わせるばかり。アツシはスマホを取り出すとLIMEで『ししょー、もうすぐ莉莉亞のイベント始まるぜ。どーしたの?』と送った。
すばらくしてピコンと着信音が鳴る。アツシは怪訝な顔でスマホを覗き込んだが、画面を見るなり顔色を変え、電話を掛けた。
「おい、『推しを変えた』ってどういうことだよ!」
電話の向こうから何やら面倒くさそうな声が応える。
「は? つまんねーから? フザけんなよ!」
その場にたむろしていたファン達は突然の怒号にぎょっとなり、スマホに向かって怒鳴りつけるアツシを見た。
しばらくの間スマホを介して罵り合っていたが相手から一方的に通話を切られ、アツシは「クソ!」と毒づいた。
「アッチ。どんぶり師匠は……」
「どうもこうもねえよ! 推したい娘がいるから莉莉亞推しはもう辞めるってよ!」
「……」
怒りを抑えきれず、道路に置かれた三角コーンを蹴るとアツシは「裏切者が!」と吐き捨てた。
「もういい、あんな奴! オレ達はこれからも変わらず莉莉亞だけを支えていこうな!」
呼び掛けに、四天王の残り二人は「ああ」「おう……」と後ろめたそうにうなずいた。
さらに、アツシは自分を見つめるファン達に向かって「みんなもな。オレたちの手で奇跡を起こそう! 絶対莉莉亞姫をラ・クロワへ復帰させようぜ!」と、激を飛ばした。
だが、「おう!」と応じる者はいない。せいぜい弱気な笑顔が向けられるくらいだった。
気まずい沈黙がその場に流れる。
苛立ったアツシがさらに何か叫ぼうとしたとき、「みんな、お待たせ!」と声が掛けられた。
ファン達は声の方向を見るなり歓声をあげた。約束の時間に遅れたものの、莉莉亞が現れたのだ。
しかし、集まった人数を見て莉莉亞は一瞬「え?」と顔を強張らせた。
(たった……これだけ?)
ラ・クロワにいた頃、数万人の収容人数を誇る会場に集まったファンの半数は「莉莉亞推し」と言われていた。お台場でソロイベントを開いた時も無数のファンが埋め尽くしていた。
それが、今は三十人足らず……
それでも気を取り直した彼女はすぐに笑顔で「お久しぶり! みんな、元気だった?」と、気さくに彼等の輪の中へと入っていった。
** ** ** ** ** **
(よかった。誰にもバレてない)
自分を不審そうに見る者は誰もいないと分かり、ホッと胸を撫でおろす。
麦わら帽子と厚縁メガネ。髪も結いあげたチクサは、公園の中を散策する人々の中に、自然に溶け込んでいた。
公園の歩道をゆっくり歩く。如何にもそこを偶然通りがかった振りをして、歌や手拍子でにぎやかに盛り上がっている一角を見た。
公園の野外ステージを利用して一人の少女が笑顔を振りまき、華麗にステップを踏みながら歌っている。
「Ah! You run like the wind, like a blue-tinted wind」
(ああ、君は走り出す。青く染まった風のように)
「When you were tired, remember a promise with me, no don’t ever stop.」
(辛いときは思い出して、己の信じる道をひたすらに進むと誓ったあの日を)
「I want to believe deeper than sadness.You have the power to make your dreams come true」
(悲しみよりも深く信じたい、君の手に夢をかなえる力がきっとあるんだってことを)
「I want to convey these words to you who are far away.」
(届けたいの、この言葉を。今は遠い場所にいる君へ)
歌っているのはラ・クロワのデビューソングだった。
最前列に陣取ったファン達が「うぉぉー、ハイ、ハイ、ハイ!」と掛け声で盛り上げている。屋外用オーディオスピーカーから流れる曲に合わせてオタ芸を披露している少年達は、いかにも異性とは縁がなさそうな容姿をしていた。
公園を行き交う人々は様々だったが、その光景に足を止める者はほとんどいなかった。
冷ややかに一瞥しただけで足早に通り過ぎる者、落ちぶれたアイドルとばかりにをニヤニヤ笑って指さす者、興味もなさげに無視する者……
チクサは思わずその場で立ち止まりそうになった。
何も気づいていない莉莉亞だけが頬を紅潮させ、僅かなファンに向かって一心に歌っている。
その姿は落ちぶれた今も変わっていなかった。ラ・クロワにいた頃のひたむきな歌い方そのままだった。みすぼらしい舞台さえ除けば……
「……」
いたたまれなくなったチクサは踵を返した。気づかれないうちにと、逃げるようにその場を離れてゆく。
背後から、バラバラとしたまばらな拍手と共に「ありがとう! 私、きっとまたステージに立って見せるね!」と感激した莉莉亞の声が聞こえてきた。
** ** ** ** ** **
ボイストレーニングを始める前にとスマホを取り出した。
SNSアプリのメックスを起動し、興奮が冷めないうちにと感謝の気持ちを書き込む。
『みんな今日はありがとう。感激です! 莉莉亞はみんなからいっぱいパワーをもらって元気になれました。待っててね。もうすぐラ・クロワに復帰してみせるから!』
しかし、それを見直した莉莉亞は少しためらったが、「もうすぐ」を「かならず」に修正してからポストした。
もうすぐ。
もうすぐっていつなのだろう。明日なのだろうか、来週、それとも来月なのだろうか。
もうすぐと自分へ言い続けて、一年が経ってしまった。
ため息をついた莉莉亞は思い返す。
一年前。
女性人気トップのイケメンアーティスト、美槌烈音に何度も言い寄られ、押し切られるように一夜を共にしてしまった。そしてそれをたちどころにマスコミに暴露され、すべてを失ってしまった。
プロダクションから「異性と交際関係を持たない」契約違反を咎められ、ラ・クロワから除名され、聖なる歌姫と持て囃していた世間からは一転、汚物のように見られ、罵詈雑言を浴びて……
このメックスのアカウントもラ・クロワにいた頃は数千と閲覧され共感マークがついていたが、さんざん荒らされて非公開の鍵垢にした今はフォロワーは二桁で閲覧数もわびしいばかりだった。ラ・クロワの公式アカウントやメンバーアカウントからはフォローを外され、ブロックされたまま。
(今は耐えよう。負けるもんか)
(だって、私には……)
小さなレンタルスタジオで個人レッスンに勤しもうとしている莉莉亞の瞳は、それでも希望に輝いていた。
数こそ減ったが、自分にはあんなに熱心なファンが今も見捨てずについているのだ。
あれから一年が経った。
追放されたあの日から数えきれないくらい泣いた。自分を責め続けた。この一年どんなに苦しんだか。
スキャンダルで怒りを買ったプロダクションだって、もう自分を許してくれるのではないだろうか。
信じよう。
冷たく背を向けた仲間も、蔑んで唾を吐いたファン達も、自分を許し、迎え入れてくれる日が来る。きっと来ると……
(みんな、待っててね!)
繋いだスピーカーからラ・クロワのスタンダードナンバーが流れ始める。莉莉亞は歌い始めた。
しかし……
「あ、あれ?」
慌てて曲を止める。
最近、振り付けを忘れたり、歌詞が口から出てこないことが増えてきた。数え切れないほど繰り返し、自分の身体の一部になってしまったはずのラ・クロワの歌が。
「いけない……これじゃラ・クロワに戻った時、馬鹿にされる。もっとしっかりしなきゃ」
莉莉亞は、首を振った。
自分を鞭打つように「よしっ!」と声で気合いを入れなおし、もう一度歌い始める。
莉莉亞はまだ何も知らない。
不吉な影がひっそりと、自分に忍び寄っていることを……
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