第11話 ヴァーチャルの侵食
(一)
ヴァーチャルの侵食という情報は、翌日部活に行ってから先輩方に話した。すぐ引き返して話した方が良かったかもしれないが、誰にも言うなという情報もあったので、我ながら混乱して一度帰って落ち着きたいと思ったのだ。
「ナイアルラトホテップと会っただと!なぜ昨日のうちに言わない!」
案の定、賀茂先輩は怒った。9日目ともなると…だんだん慣れてきたけどね。
「まあまあ、その行動は話に聞いたナイアルラトホテップらしいものだ。そもそも彼が仕えるアザトースはクトゥルーと対立しているしね。クトゥルー信奉者の企みを直接妨害せず、その企みを阻もうとする者にほんのちょっと手を貸す。こういったところも混沌を司る邪神らしいね。」
本当に左近寺先輩はいつも冷静だ。
「しかし…ヴァーチャルのリアルへの侵食と言われても、なんか漠然としていないか?」
そんなことはないぞい。福西顧問が椅子から立ち上がった。
「世の中を見よ。ネトゲ廃人とかいう言葉が流行りだしたのはここ数年じゃ。リアルな現実からヴァーチャルへ逃げ出す若者…これも一種のヴァーチャルのリアルへの侵食ではないのか。」
賀茂先輩が顎に手を当てて椅子に座り込んだ。
「顧問、確かに個人単位でネットの強い影響を受けるものが増大してきたのは、社会的に大きな問題です。ただナイアルラトホテップの言う侵食とは、僕にはもっと直接的なものに思えるのです。」
左近寺先輩にどういうことじゃと福西顧問が聞いた。
「以前、入来院君が能力で事件パソコンの履歴復元をしたときに経験した膨大なデータの流入。パソコンの容量など無視して濁流のように押し寄せるそれに、僕はリアルとヴァーチャルの境界線が崩壊しようとしているのではと感じました。堀田君が聞いたナイアルラトホテップのヒントは、僕の感覚が正しいと示しているような気がします。」
福西顧問も顎に手を当てて考え出した。
「ヴァーチャルが世界じゅうを覆う…と言うてもな。ヴァーチャルがリアルに成り代わるとでも言うのか。」
福西顧問の問いに、左近寺先輩は机の周りを歩きながら答えた。
「十分考えられることです。ただでさえ今の社会のIT依存度は凄まじい。しかも、こうなったのはわずか数年のことです。言い換えるなら、今のリアル社会はヴァーチャルなしには成り立たなくなってきているのです。このまま進めばヴァーチャルとリアルの境界線は薄くなり、いつか区別がつかなくなってしまう。そんなことすら想像と言えなくなってきています。」
(二)
「思えば、邪神もその卷族も、我々が召還する霊体も次元の違う世界から来る。ヴァーチャルを人が作った異次元と考えるなら、リアルな世界の侵食ということも十分起こりうることだ。」
賀茂先輩が頷きながら言う。頷くたびにおっぱいがぷよんぷよん動く。
「それだけじゃない…もっとずっと容易で恐ろしいことが起きうる。」
もっと恐ろしいこと…
「考えてごらん。通常、異次元とつながる方法は霊体にせよ邪神にせよ、修行した能力や魔方陣、時間、場所など複雑な条件をクリアしてやっと可能なのだ。しかもナイアルラトホテップのような一部の例外を除いて、邪神ですら自由にこの世界に出現できるわけではない。」
ふむふむ…そうなんだ。
「しかし、ネットを使った侵食の場合は別だ。回線さえ繋がっていれば、いつでもどこでも侵食できることになる。そしてもしネット中に邪神を呼び出す環境が作れるなら……………。」
賀茂先輩がおっぱいバウンドさせながら立ち上がった。
「ばかな…。いつでもどこでも邪神がこの世に現れるようにできると言うのか!」
左近寺先輩がチラリと賀茂先輩を見た。
「Worlds of Lovecraftというゲームのネーミング、ナイアルラトホテップのヒントも合わせると、そういうことを狙っていると考えられないかい…。」
その場を沈黙が支配した。
「このゲームを開発したのはルルイエ教団だ。この世に自由に現出させ、この世を支配しようとさせている邪神はクトゥルーに他ならない。他の邪神、特に対立しているアザトースなんかにしてみれば、ほっとけない事態だろうね。」
全てがクリアに繋がった気がした。やっぱり左近寺先輩はすごい。
(三)
「ルルイエ教団の目論見を邪魔しようとするなら、ナイアルラトホテップは、なぜ我々を何回も襲ってきたんだ?」
賀茂先輩が首をひねった。
「彼は混沌の支配者だからね。それに元々気まぐれで謎の行動も多いようだから、いちいち彼の理由を斟酌していたらキリがないよ。」
僕らの実力を試したのかもしれない…僕はそう感じた。
「今まで邪魔していたのがナイアルラトホテップだとしたら、クトゥルー側はなぜ我々を放っておくのじゃろう。ネットを介してプログラムにアクセスしようとしたことは気づいているじゃろうに…。」
なぜか、ナイアルラトホテップの言葉が気になった。
彼女に気をつけなさい。
あれは一体…。
「そうですね…よっぽどセキュリティに自信があるのか、あるいは我々の実力を測るために、一時的に泳がされているのかもしれませんね。」
賀茂先輩が議論に参加せずキーボードを打ち続けている入来院先輩に怒鳴った。
「まだわからないのか!」
入来院先輩は後ろを向いたまま肩をすくめて見せた。
「左近寺…米国左近寺の調査員からは何も言ってきてないか!」
左近寺先輩は首を横に振った。
「新人二人っ、命じたとおりネットサーフィンやってるんだろうな!」
あっ、そうだった。最近いろいろあって忘れてたけど…僕らは引き続きネットを当たりまくってゲームの案内が来た人がいれば接触するという仕事があるのだった。
「すみません…すぐやりまーす!」
僕はノートパソコンを開いた。
「そう言えば…新人の女の子、紗耶香ちゃんはどうしたんじゃ?」
福西顧問が聞いてきて思い出した。
紗耶香ちゃん今日は学校もお休みだ。昨日冷たくしたような気がして謝ろうと思っていたのに。
「左近寺、何か知っているか?」
賀茂先輩もノートパソコンを開いた。
「いいや…何も聞いていないよ。」
冷静な左近寺先輩の顔が一瞬曇ったような気がした。
(四)
水無月紗耶香は、そのとき水無月コンツェルンの総帥である父・源三郎に付き添い、数十名の父の部下と一緒に成田空港にいた。アメリカから重要な取引相手が来日するので出迎えるためだ。
「紗耶香…今日来られるお客様は、重要な取引先というだけでなく米国政財界の大物だ。決して失礼のないようにな。」
紋付き袴で正装した恰幅いい父の源三郎が、白髪を固めた椿油の匂いをプンプンさせて言った。
「わかっておりますわお父様…。」
艶やかな振り袖に身を包んだ紗耶香が言った。誰が来るとか聞かされていないが、こういうときは質問は厳禁。幼い頃より骨身に染み込んでいる。
「おお、来られたようだぞ…。」
エスカレーターから降りてくるガリガリに痩せた長身・中年の男を見て、父がニコニコしながら近寄っていった。
まるで…キリスト様みたい…。
遠目で紗耶香はそう思った。黒髪の長髪、口髭あごひげあるその容姿はイエス・キリストを思わせる。
いや…違う…。
近寄ったら決定的違いが分かった。
目の光…狂気を秘めた独特な目…怖い。
中年男とニコニコして握手を交わす父が紗耶香を手招く。
紗耶香は作り笑いで近寄って行った。
「紹介します。これは娘の紗耶香です。紗耶香、こちらはお客様の…。」
中年男は恭しく頭を下げ、紗耶香の手のひらにキスすると流暢な日本語を使った。
「オーベット・マーシュと申します。どうぞよろしく…。」
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