9月30日
日曜日。曇り。
現れたのはゾンビだった。痩せこけた貧相な中年の男が精一杯身だしなみを整えて登場したはいいが、せっかくの高級品を着こなせていない。どこかちぐはぐでピントがズレている。冥途から戻って急ごしらえで常人を装ったものの、スタイリストをつけなかったのが失敗だった、といった趣き。歩き方もぎこちない。足を引きずりがちなのだが、それを厭うあまりピョコンピョコンと跳ねる感じになる。久方ぶりの娑婆に浮かれているかのようでもある。
面会室はガラスパーテーション造りで、廊下を通る人が時折チラッと視線を投げるのがわかる。招かれざる客への嫌悪の眼差しだ。
ゾンビは耳の後ろを指でこすりながら、
「茶も出ないのか、ここは」
「ないわよ、そんなサービス」
と、応じながら、あたしはゾンビの胸に光るネクタイピンを注視した。見覚えがある。ムカムカしてきた。
「ママは?」
「一応誘ったが無視された。母親ってもんは普通、年頃の娘が心配なはずだけど、アレは規格外だな」
「まったくね。こんなになっても別れていないなんて」
ゾンビは神経質にテーブルをタップした。振動で残り僅かな肉片が剝げ落ちるんじゃないかと思った。
「……言ってくれるねぇ。減らず口の叩き方なんて授業でもあるのか、この学校は」
「制限時間は30分。ご用件は手短に」
ゾンビはハイブランドのダッフルバッグからガサゴソと包みを取り出した。リボンで絞ったラメ入りの透明なギフト袋。中にはブルーの小箱。パルファン? トワレ? それじゃあ、ボトルもきっと青いのだろう。まさか、中身は白群を溶かし込んでカモフラージュした毒薬なのでは……。
心臓が不吉な早鐘を打った。柱時計のゴングが何倍速にもなってガンガン頭を圧する感覚。ゾンビはあたしの動揺を察したのか、また指先で耳の後ろに触れながら、口の端をめくり上げるような嫌らしい笑い方をして、
「前から欲しいって言ってただろ。晦日になっちまったが、誕生日祝いだよ」
犬歯がほんのり青く染まっていた。黄泉戸喫のせいか、いや、だったら地上に帰ってこられないはず。あたしはバースデイプレゼントなるものを払いのけた。床に叩きつけられた包みがガツッと意外に重い音を発した。
「おいおい、せっかく買ってきたのに」
知るもんか。テーブルを引っ繰り返してぶつければゾンビの骨格がバラバラになるかもしれないと思って、やってみようとしたが、縁に手を掛けて力を込めても動かなかった。クソッ!
刺々しいノックが割って入り、応答もしないうちにズカズカ女事務員が踏み込んできた。陰鬱な低いパンプスの靴音。たまにしか遭遇しないが、どうしてだか、この人は決まってイライラしている。
「お父さま、申し訳ありませんが、面会者のサインに不備が」
「おや」
ゾンビはやれやれ面倒な……という表情でペンを取った。左手で。昔からの癖でグリップを強く握りすぎるし、筆圧が高く、窮屈そうな書き方をする。
一方、事務員は床の残骸を目にして眉をひそめた。そういえば何の匂いもしない。やっぱり香水じゃなかったのだ。え、お父さま――?
胸の内で呟いたつもりだったのに、外に漏れていたらしい。ゾンビは怪訝な面持ちで、
「"I'm your father."――何か問題でも?」
途端に、あたしの眼裏で、パカッと二つに割れた仮面がピタッとくっついて元の姿を取り戻す映像が流れた。博打に手を出して有り金をスッてしまったのも父、ママは彼を捨てたんじゃなかった、親類の手前、いっとき別れたフリをしただけだった、けれど、戻ってきた胡散臭い人物を元通りパパとは呼びたくなかったあたしは無意識に、ママの愛人という新しい地位を彼に付与したのだ。だから、あろうことか実の娘であるあたしを手籠めにしようとして階段から転げ落ちる羽目になったゲス男も父、酒に溺れてボロボロになっただらしないクズ野郎も父に他ならず、おばあちゃまの法事に出向いた日、蟄居中の狭いアパートへ赴き、酔いつぶれていびきをかく口に青い粉のカプセルを押し込んでやった相手も、この父だったのだ。おぞましい!
事務員は眼鏡越しに冷淡な一瞥をくれて出ていった。入れ替わりに沈黙を破ったのは加納さんだった。
「失礼します。お茶をお持ちしました」
「これは恐れ入ります」
加納さんはコルクのコースターを置いてホットグラスを載せ、ステンレスポットを傾けてサーヴしてくれた。愛想笑いも何もないクールな佇まいは変に芝居じみていて、この場が急に寸劇の舞台になったようだった。
「ありがとう、ごめんね、気をつかわせちゃって」
加納さんにお礼を言うや否や、こんな接遇は例外中の例外だぞという顔を作って睨んでやったが、ゾンビはあたしを見ていなかった。
ステンレスホルダーの柄を握るとハーブの香りがした。レモングラスとジンジャーと……オレンジピール? でも、蜂蜜の甘さが一切の風味をねじ伏せてしまっていた。湯気で目が曇り、頭が重くなった。前を向いていられず、ガクッとテーブルに突っ伏した。「おい、どうした?」というゾンビの声が聞こえたかもしれない。加納さんは、ひと仕事終えた暗殺者よろしく、手ごたえを感じつつも満足してはいない醒めた吐息を漏らして出ていった……ようだ。
【メモ】
黄泉戸喫(よもつへぐい):黄泉竈食ひ。
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