3-6.煽られ追って
「……、49、50、51、52、……」
部屋には透明男の数える声と、宙で弾むポアのうめき声が小さく響く。彼の血で床は真っ赤に染められていた。
「……いてっ」
男の頭に、放物線を描いて何かが飛んできた。床に落ちて転がったそれは芳生の"願い"によって生じたあのグラス。
男の数える声がピタッと止まる。宙で弾んでいたポアの身体がそのまま床へと叩きつけられる。口から吐瀉物のように血が溢れ出る。
「……なんだ、まだやる気かよ。おとなしくしてるから、もう逃げたのかと思ってたw」
透明男の乾いた声。淀んだ殺意が辺りに満ちる。芳生と河岸は唾を飲む込み、息を殺す。
今、賽ならぬ、グラスは彼ら自身によって投げられた。零れたミルクも、割れたガラスももう戻らない。
「……よしっ、行きますよ」
芳生は気合いを入れるように小さく深呼吸をすると、両手にペイントボールを握り締めて駆け出した。
「……無理するなよ」
その後ろ姿に小さく言葉を投げかける河岸。すぐ、逆方向へと動き出す。少しよろめく彼の頬は青白く、脂汗が浮かんでいた。
「ぐふふwwwww何ですか?二手に分かれて。今さら何か作戦でもあるわけですかぁwwwww……っぐべぇっ!」
芳生の投げたペイントボールが宙で弾けて、透明男の姿を炙り出す。
「やったか?!」
190センチはある身長と芳生二人分よりも横幅のある大男。
が、姿が見えたのも一瞬のこと。すぐに蛍光色のヒトガタは薄れて消えていく。
「…ちっ!やっぱりそうは上手くいかないか」
「まだです!何度もぶつけ続ければ、見えてる時間は長くなります!」
そう言って走りながらペイントボールを投げ続ける芳生。しかし、ピンクや黄色に染まりつつも、透明男は呆れるような口調で返す。
「……上手く行かなくて、当然でしょうよw
そんな簡単に見えるようになるのなら、もうとっくにその子の血でオレの姿は見えるようになってるってwwwww」
そして、振り返ると、ポアに駆け寄る河岸を蹴り飛ばした。
「それに見えたところで、お兄さんたちじゃあ、オレに勝てねぇーよ?wwwww」
ケタケタ嗤う口元を残して、再び透けていく透明男。
「……でも、ボクが起きる隙には充分だよ」
床から掠れ声とともに、投げられた丸い玉。それは透明男の目の前で、白煙を噴き出して、一気に部屋を煙で満たした。
「…くっ!鬱陶しい!
小賢しい真似ばっかりしやがって!」
男は苛立たしげな声をあげるが、煙はなかなか晴れない。
「「姿を見せろ!」」
男の鈍い声とポアの掠れた声が重なった。
一瞬の沈黙。
「……は?何それ。オレの言葉を予測したりしてんの?煽ってんの?馬鹿にしてんのか?」
さらに苛立った透明男の声。反面、ポアは鼻で嗤って静かに言った。
「馬鹿にしてたのは、そっちでしょ。自分が見えなくて、安全だからって楽しんでたじゃん。まだ、ボクたちはちょっと煙に隠れただけだよ」
「…っ!!…糞がっ!……っ!ガキの癖にっ!……っ!糞がっ!」
男は言葉にならない呪いの言葉を口の中で、ぶつぶつと呟くと、唸るように大声をあげた。それに呼応するように、さぁーっと煙が晴れる。
「あーぁ、煙が晴れるように"願い"使っちゃったの?代償は大丈夫?」
「ふん、すぐにお前らをぶっ殺せば問題ねぇーよ」
が、そこにいるのは河岸と芳生だけ。男を煽っていたポアの姿は見当たらない。余計に腹を立てた男は力任せに二人の身体を殴りつけた。見えない拳になす術もなく壁へと叩きつけられる二人。
少し落ち着いた男は、改めて部屋を見渡した。血と染料に汚れた床の上にあるのは、彼らのソファと荷物の残骸。まさかとは思いつつ、その残骸を足で蹴飛ばしてポアを探す。……そこにはポアの着ていた服も落ちていた。血にまみれ、ボロボロになった服ひと揃え。軽く舌打ちした男だったが、服が下着まですべて脱ぎ捨てられていることに気づくや否や、見えない顔を欲望の色に醜く歪めた。
残骸の山には誰も隠れていない。男は舌なめずりをするような心持ちで、ゆっくりとソファへと近づく。……背もたれの位置に穴が空いていた。
「ぐふふwwwwwかわい子ちゃん、みぃーつけた!」
男は穴に手を入れ、そのままソファを勢いよく引き裂く。まるで、プレゼントを開ける子どものように愉しげに。
びりっ!
やけに大きなとともに、一糸纏わぬ姿のポアが飛び出した。ソファから竹から生まれたかぐや姫の如く、桃から生まれた桃太郎の如く。そこまでは男の望み通り。
……もしかすると、"裸の美少女を見たい"というのも彼の"願い"だったのかもしれない。だが。
「あら、残念。可愛いボクは女じゃなくて、男でした!」
邪悪で無邪気な笑顔を彼が見せた瞬間、男の身体が煙と化していく。
「……は?!どうして?!何が?!」
事態の分からぬ男の両手には千切れたネックレス。壁際で、芳生と河岸がゆっくり身体だけを起こして、景気よくハイタッチを交わす。
「待て!オレはまだ負けてな――」
ただ部屋には男の悲痛な余韻が響くことなく消えた。
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