2-13.part.Y:夜風に誘われて
「…令ちゃんは怖くないの?」
会議のあと。ベランダで煙をふかしていた彼女を見て、僕は思わず言葉が洩れた。
雨上がりの空は澄み渡っていて。見つめていると、吸い込まれそうで。真っ暗な空へと、落ちてしまいそうで……。
「
煙草の先から立ち昇る白い線は、すぅーっと真っ直ぐに空の闇へと消えていく。グラスに入ったコーラの氷が溶けて、カランと軽い音を立てた。
会議中に熟睡していたポアくんは、僕がお風呂からあがった頃に、やっと目を覚ました。
「ん〜…。ごめん、寝ちゃってた…。結局、どうなったの?」
小さな欠伸を手で抑えると、長いまつ毛の寝ぼけ眼でパチクリさせて、首を傾げる。寝起きでも相変わらずの美人だ。
「次は塔の中の探索。今日は塔の
「……ふぅーん、そう」
二度目の欠伸を噛み殺すと、ニィっと白い歯を見せる。
「じゃあ、バトルがこれから本格化するってわけだね」
「え?バトルって、戦うの?」
「塔を見たでしょ?“部屋”が重なったあの構造」
彼の言葉に高くそびえる塔の
積むというより、のめり込むように重なりあった多くの“部屋”。それらが集まり、壁を成し、それが大きな渦を描くように、だんだん集まり連なっていく。塔というより、まるで大樹を切り抜いて作ったモニュメントみたいだった。
「塔が“部屋”の集合体なら、塔を登らなきゃいけない。登るには、“部屋”に入らなきゃいけない。
それなら、その“部屋”の持ち主とバトルになる可能性は充分あるでしょ?」
「でも、話し合いで何とかなるかも」
「『塔の中を探索したいから通してください』って?」
彼は首をすくめると、顔をしかめて、ため息をついた。
「…そんな話の通じる連中ばかりなら、どうして“羽虫”なんて呼ばれ方すると思う?」
“羽虫”。昼間の襲撃者は僕たちのような“部屋”に喚ばれる人を“羽虫”と呼んでいたらしい。「『飛んで火に入る夏の虫』ってことかしらね」とエビちゃんさんはこぼしていた。
「きっと“羽虫”は自分勝手で自分本意な連中なんだよ。もちろん、ボクたちも含めて……ね」
僕は言い返す言葉が見つからなくて、口をつむぐ。嫌な沈黙が部屋を満たした。
「なになに?喧嘩ー?珍しい」
ベランダから令ちゃんが首を突っ込んできた。
「いやー、喧嘩じゃ、ない、です」
そうだ、昼間の襲撃者を撃退したのは令ちゃんだった。令ちゃんは。
「令ちゃんは怖くないの?」
他人に暴力をふるうこと、平気なの?
「怖いし、嫌だよ」
僕たちに気遣ってか、まだ吸いかけであろうそれを灰皿に押しつける。
「ぶちのめした後は、すっっっごい胸がモヤモヤするし、その日は一日めちゃクソ気分悪い。試合で相手に勝つのは、気持ちいいのに何でだろね」
肺に貯まった煙を全部吐き出すように、大きく息を吹き出すと、ぐっとコーラを煽った。雫がつぅーっとグラスを伝って、半袖シャツに零れていく。
「でも、私はそれで良いんじゃないかなって思ってる。
きっと、私たちは争い合うようには出来てないんだよ」
氷だけになったグラスを机にトンッと置くと、中の氷は軽い音を立てクルンと回った。
「高校の授業で聴いたんだけどさ。
……ん~?誰だったか、……んーっと。…昔の哲学者?の人が『人間は社会的動物』だって言ったんだって」
「……アリストテレス」
ポアくんの小さな呟きに、令ちゃんは「そうそう!アリスとテレス!あれ?二人?」とわかったようなわかってないような声をあげた。
「まぁ、とにかく。人間は集団になることで、発達してきた生き物なんだよ。手を取り合い、理解し合わなきゃいけないってこと」
「じゃあ、ボクたちは間違ってるってことですか?」
風に揺れる銀髪の下で、紫の瞳がじっと令ちゃんを見つめている。
「身を守るためだとしても。敵から仕掛けてきたとしても、暴力という手段をとるのは、間違ってるってことですか?」
夜風に目を細める令ちゃんは少し哀しそうに笑った。
「んー。これは私の考えなんだけどね。暴力もコミュニケーションのひとつだとも思うんだ」
「暴力をふるっても良いってこと?!」
思わず声をあげると、彼女は少し微笑んで、横に首をふる。
「他の動物は、言葉を使わずにコミュニケーションをとるでしょ?
しっぽを振ったり、舐め合ったり、あとウンチやオシッコを使ったりね」
ニヒヒっと笑うと、天を仰ぎ深く息を吐く。
「暴力もね、きっとそのひとつなんだよ。
でも、そうね。山野先輩の言葉を借りるなら、それは、えーっと、『
そりゃ、そうよね。暴力ふるう人と一緒に仕事なんて、出来ないもの」
そう言って少しうつむく令ちゃんに、僕は何か言葉をかけたかった。けれど、何といえばいいのか分からなくて。ただ横で見ていることしか出来なかった。
「だからね!暴力よりも良い手段は、ちゃんとあるよってこと!!」
ばっと立ち上がると、彼女は空を見上げて、元気よくそう言った。
「そのことを忘れないためにも、私は暴力をふるう嫌な気持ちから目をそらしたくないなって思うんだ」
星空に誓いを立てるような彼女の横で、僕はそっと目を閉じた。この夜のことを胸の中にしまっておけるように。戦うことがあっても、忘れずにいられるように。
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