第11話 検索、入間エイスケ
青々とした草が生い茂り、不規則な間隔で咲く小さな花が、そこに差し色を加えている。空には雲一つない。まさに晴天である。
ケイがゆっくり目を開くと、そんな風景が広がっていた。暖かい風に撫でられて、前髪が横に流れる。
ピンクのドアが一つ、草原の上にぽつねんと立っているのが見えた。他にどうすればいいかもわからないため、ケイはそちらへと足を進めた。
ドアのもとに辿り着くと、さらに向こうにもドアが見える。今度は緑色だ。異様な空間に疑問を抱き、ケイは辺りを見渡した。
そして後方を見た瞬間、その顔は驚きの色に染まった。つい数分前まで自身が立っていた場所に、新たなドアが現れていたのだ。今度は黄色だ。
次に横を見ると、その表情はさらに曇った。青いドアが、地面からおもむろに出てきつつあるのだ。実にゆっくりではあったが、そのドアは着実に地面から覗かせる範囲を広げていた。
その後も至る所からドアは現れた。その出現方法は、地面から生えてくる他に、空から降ってきたり、何もなかった空間から突如現れたりと、さまざまであった。
数分後、気づけば目に写る風景全てが、色とりどりのドアに変化していた。
色はもちろん、形も大きさも質感も、点で一貫性のないドアがケイを囲んだ。
その中で、あるドアがケイの関心を強く引いた。それは、茶色いごくありふれたドアであった。しかし、ケイはそこに何かが隠されているような感覚を、漠然と抱いたのである。
「研究の方はどうですか?」
ドアの向こうで、誰かが言った。その声をよく聞くためにケイはドアに近づく。
「ええ、まあ、ぼちぼちですかね」
向こうにいるもう一人の男が、そう答えた。
「そういえば、お子さんが産まれたそうで」
「はい、おかげさまで」
「ぜひ今のうちから会って、コネを作りたいものです」
男はそう言って笑った。
「今度、紹介しますよ」
もう一人の男も、笑いながらそう返した。
その奥誰がいるのかが気になり、ケイはゆっくりとドアを開けた。何度かドアが軋んだが、向こうの二人は反応を示さない。ある程度の隙間が開き、ケイはそこを覗き込んだ。
「きっと、優れた魔術師になるんでしょうね」
そう言った男の顔を見て、ケイは呼吸をすることすら忘れてしまった。鼓動が速くなり、手が震える。そこには、叔父さんの姿があったのだ。
ーーなんで? なんで叔父さんがここに?
そんな疑問を抱きながらも、ケイは叔父さんと喋りたくて仕方がなかった。鼻をすすって目尻を拭うと、ケイはドアを開いた。
「叔父さーー」
***
天井に頭を打って、ケイは目覚めた。鈍い痛みが前頭部を襲う。そして全て夢であったことを察すると、ケイは落胆しながら頭をさすった。
養成所内暗殺未遂事件から早3ヶ月が経過し、季節は秋に移り変わろうとしていた。
ケイはベッドから降りると着替えて、食堂へ向かった。そして、サラダの萎びたレタスから朝食に手をつける。朝食を食べ終えると制服に着替えて、授業に臨む。すっかり慣れた日課である。
しかし、やけにリアリティのある夢によって、ケイの脳内は穏やかではなくなっていた。
1年と数ヶ月前に叔父さんを亡くして以来、そのことを一瞬でも忘れたつもりはなかった。それでも、突飛な魔術世界に足を踏み入れたり、高飛車な同居人と和解したり、暗殺事件に巻き込まれたりといったことに忙殺され、自身の出生に関する疑問は意識の奥底に沈んでしまっていたのだ。
そんな最中、ケイの脳内は叔父さんが残した謎に、また占領されてしまったのである。
決して夢が事実を描いているわけではないことを、ケイは重々承知していた。それでも夢には妙に現実味があり、何か現実の謎の解明に近づける気がした。
あれは、叔父さんが自分と暮らす前の光景なのだろうか? 叔父さんの向かいに座っていた人は、一体誰なのだろうか?
そんな疑問を抱きながら、ケイはその日を過ごした。
「いつにも増して間抜けな顔してるな」
消灯時間前、ベッドの上で夢のことを考えるケイに対し、トウマがそう言った。
「は?」ケイは言った。「俺は悩みごとしたら悪いかよ」
「悩み? お前が?」
トウマの笑みに反し、ケイはムキになった。
「俺だって色々抱えてんだよ、馬鹿」
ケイの態度を見て、トウマはそれ以上何も言わなかった。
***
1週間後、ケイはまだ夢のことが忘れられなかった。
木曜日の5時間目、「魔術犯罪史」の授業中である。この授業では主に魔術による犯罪の歴史を学ぶ。つまり、ケイの苦手な座学である。
「前回までは、感染呪術による暗殺について取り上げてきました」堅苦しい雰囲気漂う、小岩井先生が言った。「今回からは新しい単元、錬金術の禁忌について話そうと思います」
小岩井先生は眼鏡をかけ直した。四角い銀縁の眼鏡が、より一層その顔に無機的な印象を与えている。ケイは先生の青白く肉の少ない顔を見つめながらも、夢のことを考えていた。
「ではまず、錬金術の犯罪史において欠かせない人物を紹介しようと思います」
小岩井先生はそう言うと、拡大コピーした目の粗い写真を黒板に貼った。写真には一人の人物が写っている。
「この人物が誰か、分かる人も少なくはないでしょう」
ケイはその写真を見た瞬間、目を見開いた。視覚を通して伝わった衝撃は、全身を駆け巡る電流のように身体を硬直させる。そこには、夢の中で叔父さんと話していた男が写っていたのである。
伸びて目にかかった前髪、不精に伸びた髭、それと垂れ下がった目。間違いない。夢に出てきた男は、実在したのである。ケイはその事実をにわかに信じられなかった。
「この人物は入間エイスケです。皆さんもご存知だと思いますが、この人は錬金術における禁忌の研究を行った犯罪者として有名です」
ーー犯罪者?
ケイの脳内は混乱に陥った。夢の中で見た男は実在していたことに加え、犯罪者として有名だというのだから無理もない。
「この人物が行った禁忌の研究というのが、人造人間の作製です」小岩井先生は言った。「テストに出るので、覚えておくように」
その授業以来、入間エイスケという男の顔がケイの頭から離れなくなった。
人造人間についての研究は正直どうでもよく、それよりも男と叔父さんがどのような関係であったのかが、ケイの中では大きな問題として膨れ上がっていた。夢の中では、叔父さんとあの犯罪者は懇意にしていた。
考えたくはないが、その犯罪に値する研究に叔父さんが関与していたのではないか、という疑念がどうしても胸の底から湧き上がってくるようだ。
そもそも叔父さんが何者であったのか、バルタザールは元公認魔術師であることしかケイには教えてくれなかった。謎が謎を呼び、際限なく疑問が浮かんでくる。
その日の夜まで、ケイは不安と好奇心の入り混じった感情に苛まれながら過ごした。部屋に戻り、ベッドに寝そべってもそれは何一つ変わらない。
「また間抜けな顔してるぞ」
トウマが言った。
「うるせえ」
ケイは明るい天井を見つめながら、そう返した。
「悩みごとか? 聞いて欲しそうだな」
「別にそんなんじゃねえよ」
そう言いながらも、一人で考えていても埒があかないのは確かだ。
そのため、ケイは夢と犯罪者、そして叔父さんについてトウマに話すことにした。「結局話すのかよ」と途中でトウマは笑いながら言ったが、ケイは無視して話を続けた。
話が一通り済むと、トウマは椅子に深く座りながら何かを思案した。
「つまり、正夢みたいな何かを見たんだな?」
「まあ、そんな感じ」
「夢が本当なんて言い切れない。だけど、魔術なんて超自然的なことの総称みたいなもんだから、ないとも言い切れない」トウマは言った。「仮にそれが本当のことを覗き見ているんだとしたら、まあ叔父さんはその犯罪に関わってたかもしれないな」
「おい、適当に言うなよ」
「別に適当ってわけじゃない。公魔って、だいたい10代後半で養成所に1年通ってなるもんだろ? つまり世間的には高卒とかーー俺らの場合は中卒扱いになるんだよ。そんな中で、表の社会に戻ろうなんて思うやつはなかなかいない。公魔を辞めたとしても、普通は魔術世界で生きるもんだ」
「じゃあ叔父さんは何か理由があって……」
「そう、何か魔術世界からは身を隠さなければならない、のっぴきならない理由があったのかもしれない」
叔父さんが犯罪に加担しているかもしれない事実が受け入れ難く、ケイは眉間にシワを寄せて、黙り込んでしまった。
「それよか、俺はお前自身の方がもっと変なもの抱え込んでるように思えるんだけど」
「変ってなんだよ」
「だってそんな錬金術犯罪に関わったかもしれない、叔父さんに育てられたんだろ? 夢を見るのだって普通じゃない。そもそも、魔術を使えないやつがここに入れるのもおかしいし、バルタザールの推薦なんて前代未聞なんだよ」
「まあ、たしかに」
一瞬沈黙があった。互いに相手が喋るのを待っている。
「なあ」沈黙を先立って破ったのは、トウマであった。「調べてみるか」
「何を?」
ケイはそう質問し、トウマを見た。
「何ってあの錬金術師のことと、できればお前のこと」
「どうやって?」
「情報源なんて腐るほどあるさ」
トウマはそう言って、不敵な笑みを浮かべた。
***
次の日の放課後、ケイはトウマに連れられて図書館に向かった。
図書館は養成所で最も大きな1号館に併設されている。毎度のようにケイは1号館のその荘厳な雰囲気に圧倒された。
特に今日は風が強いことから、屋上に設置された旗が暴れるように揺れており、建物の印象をより荒々しいものに変えていた。
図書館に入ると、ケイは驚いて立ち止まった。吹き抜けになった大きな図書館の内部を、無数の何かが飛び回っていたのである。
「あれ、何?」
「あれって?」
ケイの問いを、珍しくトウマは無視しなかった。
「ほら、あの飛んでるやつ」
「あれは本だ」
「え?」
たしかに目を凝らしてみると、大きな館内を縦横無尽に飛び回っていたのは、大小さまざまな本であった。中には新聞なんかも飛んでいる。
「検索」トウマが突然、呟いた。「入間エイスケについて」
トウマの声を聞き次第、飛んでいた書籍の一部と本棚にあった数冊の本が、二人の前に飛んできた。そして、ありもしない本棚に収納されたように、綺麗に整列する。
『魔術犯罪史』『錬金術の歴史』『錬金術の三大禁忌』『世界の奇妙な魔術犯罪』といったような名前が箔押しされた背表紙が、数冊目の前に並んでいる。
どれも入間エイスケに関連性の深い「錬金術」や「魔術犯罪」という言葉が含まれている。それと、いくつかの新聞が浮かんでいた。
トウマは新聞を手に取り、近くの椅子に座った。
「とりあえず新聞だ。いちいち読書するわけにもいかないだろ?」
ケイはトウマが広げる新聞を、横から覗き見た。目的の入間エイスケに関する記事を見つけると、二人は違和感を覚えた。
「ーーの研究者入間エイスケ 逃亡」
大々的に載ったその見出しの一部は、黒く塗り潰されていたのである。
「これ、なんだよ?」
ケイはそう呟いた。
「検閲だろ。学習に不適切とか」
「でも、入間エイスケは人間を作ろうとして捕まったんだろ? 授業でやるくらいなんだから、何の研究かなんてみんな知ってるだろ」
「じゃあ、別の……もっと危険な研究をしてたってことか?」
「そう」
「歴史すら変えて隠すほど危険な?」
「おう」
しばらく真剣なケイの顔を見て、トウマは鼻で笑った。
「隠蔽か。だとしたら、相当危ないことに首突っ込むことになるな」
トウマは話半分で聞いているようであった。
果たしてその検閲の真意がどうであれ、その新聞に答えがないことは確かだった。
他の新聞にも目を通してみたものの、どの新聞も一紙目同様に見出しや本文の一部が塗りつぶされていた。時間がかかってしまうものの、仕方がないため二人は分厚い本に着手することを決意した。
ケイはまず、目の前に並んだ中で比較的薄い、『生命倫理と人工生命』という本を選んだ。
5分後、ケイは頭を抱えていた。薄く小さな本だからと侮ってかかったのだが、いざページをめくってみると、そこには小さな字で小難しい言葉が羅列されていたのである。
「錬金術」「禁忌」「罪」といった言葉は度々登場したが、それらの言葉が何を意味し、どう繋がっているのかを理解するのは容易ではなかった。
「おい、さっきからページ進んでないけど」
見かねたトウマはそう言った。
「こんなの読めるかよ」
トウマはため息を吐いて、積んであった本の山を見た。
「じゃあこれでも読んでおけ」
トウマはケイに、分厚い本を渡した。表紙が皮で装丁されており、『錬金術王』と金の箔押しがされている。
「なんでさらに分厚いの読まなきゃなんないんだよ!」
「なんで分厚いから難しいって思うんだよ!」
トウマに怒られて、ケイは仕方なく重い表紙を開いた。
いざ本文に目を通すと、ケイは面食らった気分になった。字が大きいのである。それに加えて言葉遣いも易しく、漢字には過保護なほどにふりがなが振ってあった。
内容もその文体同様に、子ども向けであった。他の本は堅苦しい説明などが並んでいる一方で、『錬金術王』はただの児童文学なのである。ストーリーは軽く目を通したところ、エルマー・ケイスという主人公が錬金術を学び、敵と戦うというものであった。
そこまで単純明快さを各方面から突き詰めた一作であれば、さすがにケイでさえ絶え間なく読み進めることができた。しかし、数十ページを読んだ時点で、ケイは気がついた。この児童文学は入間と全く関係ないのである。
「なあ、これ多分関係ない」
「でも入間エイスケで出てきたんだ。少ない手がかりなんだから、全部読めよ」
簡単な児童文学と言えど、その量は生半可なものではなかった。もちろんその日の間に本を読み終えることはできず、読み始めてから1週間が経過しようとしていた。
トウマはその間に一冊読み終えたが、手がかりらしい手がかりを得ることはできなかった。
「なんでこんなに情報少ないんだよ」
図書館にて、伸びをしながらケイは言った。
トウマは真剣な眼差しで、ケイが断念した小難しい本を読んでいる。
「さすがに不自然な気もするな」
目線を変えず、トウマはそう返した。
「有名な犯罪者なんじゃねえのかよ」
「やっぱり、本当の隠蔽だったりしてな」
終わりの見えない読書と、煮詰まることのない会話を二人はひたすらに続けた。
授業が終わり次第図書館へ行き、消灯時間直前までそこに座り続ける日々であった。その動機がもはやケイの過去に対する興味から、ただの意地に変わりかけている頃、ケイにとって小さな事件が起きた。
それはある日の夕食時に起きた。ケイはトウマと互いに、その日に読んだ本の内容を報告し合っていた。
そんな最中に、ケイはトウマの後ろに少女がいるのが見えた。そして、彼女が横を向き、顔がこちら側を向いた瞬間、ケイの食指は止まった。その少女は、養成所内暗殺未遂事件でケイが文通をしている相手だと、てっきり思い込んでいた人物であったのだ。
事件では見間違いとして片付けられてしまった彼女の姿が、そこにしっかりと存在していたのである。微かな喜びとともに、ただでさえ片付かない謎に、新たな謎が追加された。
ケイの脳内は、さらに混沌を極めようとしていた。
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