謁見②

「ふん、まぁいい」


 苦々しげに吐き捨てる声。服に付いた埃を払うみたいだと思ったアネモネの感想は、きっと当たらずと言えども遠からずといった所だろう。


「ガルシア。アムラスも」


 肌が切れそうになるくらいに冷えきった空気に耐えきれなくなったみたいに、王様が口を開いたのはその時だった。


「この国の者でないにしろ、素性にハッキリしない部分があろうと、この国の危機を救ってくれたのは、他ならぬ其処の者だろう。なのに其方そなたらは、何だ。未だこの者の名前すらも聞いては居らぬではないか」


 王様として臣下を叱る……と言うよりは、息子や孫が肉親に対して小さな憤りをぶつけるかのような、そんな感じだ。


 要するに、ちょっと頼りない感じだったのだ。王としての威厳を伴わないその言葉は、やっぱりと言うか、鋭いガルシアの一瞥と共に一蹴された。


「ですが、陛下。国を救う勇者を見出だす時は、その者を慎重に見極めなければならない」


 ホムラは今、一体何を思っているのだろう。


 こっそりと視線だけ上げて、アネモネはホムラの方を盗み見る。が、跪いて頭を下げたままの彼の丸まった背中は微動だにせず、感情を読み取る事は出来なかった。


で生まれ、で育ち、文化や道徳を持ち合わせた者が英雄として持て囃されるのは良い。ですが、この国の考え方を持たぬ者に名誉と名声ちからを与えるのは、破滅の基だ。異邦人は、結局は我々ではないからだ」


「……しかし――」


「ましてや、陛下。


 何事かを言いかけた王の言葉を、今度はアムラスが遮った。エルフの血が半分混じった彼は、ガルシアと大体同じくらいの年齢の筈だが、ホムラと同じくらいの若さにしか見えない。柔和な微笑でも顔に貼り付けていれば凄く接しやすそうなのに、ホムラを見下ろす金色の目は冷たく、昏かった。


「同じ文化圏で暮らす種族同士ですら分かり合えない時があるのに、肌の色が異なる程にである醜い言葉を話す者バルバロイと分かり合えるなんて事が、一体どうしてありましょうや?」


 それはどうしようもない拒絶だ。ホムラという人間を最初から理解する気も無いし、そもそも歩み寄るつもりが無い。


 それなら、どうして彼らはホムラをこの場に呼んだのか。


 答えは簡単だ。


「答えろ、黄色い猿ジパング。素直に答えねば、儂自ら素っ首叩き斬ってくれる」


 王様やその他は違うかもしれないが、少なくともこの二人は、ホムラが本当に敵でないかを尋問するつもりなのだ。


「貴様は何処から、何の目的で此処に来た」


 腰の剣、その柄に掌を掛けて、上から圧し潰すような声で問い掛けるガルシア。殺意すら滲んだその声に、けれどもそれを向けられた本人は、頭を下げたまま微動だにせず、飄々と答えて見せた。


「覚えてません」


 この場一帯に満ち満ちる重たい沈黙も、下げた頭を押さえ付けるような殺気も、彼は全く気にしていないようだった。


「……何だと?」


「嘗ての目的も、故郷も、俺は覚えていません。それどころか、俺はどういった経緯で記憶を失くしたのか、どうしてこの城の地下に居たのかも、まるで分かってないです。気が付けば、この城の地下をアテもなく彷徨ってました。本来ならば、飢えて力尽きるしか無かったんでしょうが――」

           

 ホムラの語る口調は、一定だ。叫ぶでもなく、威圧するわけでもない穏やかな口調は、けれどもこの場の空気を支配していたガルシアやアムラスに言葉を挟ませない何かがあった。


 そんな彼が、ずっと下げていた頭を静かに上げる。頭を上げて、アネモネ達を肩越しに振り返ってくる。周囲の視線がそれに吊られるように集まって来て、アネモネは慌てて、周囲を探っていた視線を下げた。


「彼女達が、俺に握り飯を恵んでくれた」


 とても、優しい声だった。


 落ち着いた、大人の男の人の声。如何にも大人といった感じの声音なのに、とっておきの宝物を披露する時の小さな男の子の気配も感じられる、何処か温かみを帯びた声。


「だから俺は、彼女達に忠義を尽くす」


 微かに聞こえた衣擦れの音は、再びホムラが頭を下げた音か。


 誰も声を挟む者は無く、その場は水を打ったように静まり返っている。


 そんな中で、ホムラの簡潔の締めの言葉は厳かに、重々しく響き渡った。


「それだけです」


 ガルシアは何も喋らない。アムラスも、王様も、誰もかも。アネモネだって何を喋って良いのか分からないし、リオルですら何か言う気配は無かった。


 この場にいる全員が言葉を紡ぐ言葉を忘れてしまったまま、時間だけが五秒、十秒と過ぎていく。


 たっぷり三十秒程間を空けて、


「――……この城の、地下と言ったな?」


停滞した広間の空気を揺らしたのは、ガルシアではなく、アムラスの方だった。


「地下と言えば、オーガ襲撃の直前、冒険者試験中に事故が起こったと聞き及んでおる。"巨像の間"の神将像が動き出し、死者も出たと」


「それは、真か!?」


 弾かれたように、王様が玉座から立ち上がった。直ぐ隣に控えているような位置取りのアムラスに、掴み掛かるような事はしなかったものの、殆どそうしかねない勢いだ。


「そのような重大な報告が、何故なぜ余の耳に届いておらぬのだ!?」


「真偽を確かめる間も無く、オーガ共が攻めてきたからです。それも、総力を以て当たらねばならぬ規模で」


 対するアムラスはにべもない。紡ぎ出す言葉は淡々と、ホムラから目を離さない視線は冷静に。


「万が一にも神将像が地上に上がって来ないよう、防衛陣を敷いて調査隊を編成しようとしていた矢先の事でした」


 先ず、情報の真偽が不明だった。取り敢えず最低限の防御は敷いて調査を行おうとしていたが、城壁や兵士に多大な被害が出た事を受けて、優先度を下げざるを得なくなった。


 それに加えて、


「そもそも、神将像はこの城の一部であり、初代国王が神々から賜った神聖なる遺産である。それが、陛下に害を為すなど、果たして有り得るかどうか。これを考え、一先ず対処は保留にした次第」


「……だが実際、その像は我が臣民たからに害を成した。そうなのだろう?」


「臣民一人と、国の長一人。陛下の人柄を承知で言いますが、この二つでは重みがまるで違う」


「――――――ッ」


 瞬間、王様の顔から血の気が引いた。拳を強く握り締めたのが見えたから、きっと物凄く怒ったのだろう。


 けれどもそんな王の様子は気にも留めないで、アムラスは更に言葉を続ける。


「だが、この疑問は確かに妥当だ。神将像が王に害を為すこと等有り得ないが、本来なら庇護下にある臣民にも同じ事が言える筈。そのルールが破られたのは何故か。今の今まで謎だったのだが――」


 合点がいったようにガルシアが頷く。


「王の庇護の対象ではないにも関わらず、城の中に紛れ込んでいた痴れ者が居た、と?」


「有り得る話だ」


 非道い、と思った。


 有り得る話、。少なくとも二人の中では、それはだ。この国の実質的なトップ二人の考えに当てられたのか、それまで黙って事の成り行きを見守っていた周りからも、ヒソヒソとホムラへの否定的な意見が飛び交い始めるのが聞こえてきた。


「神将像が敵意を示したという事は。この者が王家に、引いてはこの国に徒成す存在である事の証明に他ならぬのではないか?」


「今はそうでなくとも、将来的にそうなる可能性も十二分に有り得る」


「今の内に後顧の憂いを断っておいた方がいいのではないか?」


「だが、曲がりなりにも国の窮地を救ってくれた者だ。民衆の中には彼を英雄視している者もいると聞く。最低限の礼儀は守るべきでは?」


「それこそが滅びの第一歩だろう」


「オーガ達を滅ぼすべく、上手く力だけ利用する事が出来れば……――」


 嗚呼、そうか。


 熱に浮かされたような囁き声を聞きながら、アネモネは不意に思い当たった。


 偉いとか、偉くないとか。


 頭が良いとか、悪くないとか。


 物事に見る時にはそういった事を話す前に、もっと大事な事がある。


 彼等は、どんな色眼鏡を掛けているのか。それはアネモネのような子供が冒険者を目指す事が馬鹿な事だ、という色眼鏡だったり。ホムラのような別の国からやって来た人が、それだけで疑わしいと思うような色眼鏡だったり。


「……おかしくない?」


 思わず呟いたその声は、自分で思っていたよりも硬かった。決して大きくはなかったが、周りでヒソヒソと囁き合っていた人々の声の内の幾つかが、吃驚したように打ち切られるのが分かった。


 そればかりか、


「娘」


 ”灰色のガルシア”、よりによって二人の内の怖い方にまで、聞こえてしまったらしい。彼がギロリと睨んで来るのが分かって、アネモネは下げていた頭を上げた。


「何か申したか」


「……おかしい、と思います」


 再び、目が合う。


 先程はリオルに庇われた。そうでなくとも、何処かのタイミングで自分から目を逸らしていたと思う。国を支えるという事がどれだけ凄くて重たい事なのかアネモネには想像も出来ないけれど、この人には”これまでそれをやり遂げて来たんだろうな”という思わせる迫力がある。


 でも、もうアネモネはウンザリだった。心の底からウンザリだった。


 だってホムラは、悪い人じゃないのに。国を亡ぼすような存在なんかじゃ、絶対ないのに。この人達はそんな事を知ろうともしないで、ホムラの肌の色が自分達と違うからという理由で、ホムラを悪者に仕立て上げようとしている。


「ホムラは、そんな人なんかじゃ、ない……です。悪い事なんか絶対しない。本当です」


「娘、これは国の大事である。控えよ」


「敵から、逃げる時はいつも一番後ろで。突撃する時は一番前で」


「娘」


 ウンザリしたように制止する掌は、無視した。明らかにイライラが溜まっていっている無表情は、噛み付く気持ちで睨み付けた。


「危ない事は、いっつも一人で引き受けるような人なんだ。今回だってそう。私は連れていって貰えなくて、一人で西門に行っちゃった」


 ドクドク、バクバクと心臓が猛る。背筋が刃物の鋒を突き付けられた時みたいに冷たくて、耳の奥で鐘が鳴っているみたいに頭の芯が揺れている。


 片方の手、その袖口をリオルが掴んでいるのを感じたが、アネモネは自分を止められない。止まる気も無い。


「ホムラは一人で、崩れ掛けていた西門を守り切りました」


 これがきっと、"怒る"という事なんだろう。


 冷たく煮え滾った心を抱え、顔を険しくているガルシアを真正面から睨み付けながら、アネモネは頭の隅で冷静に、そんな事を思った。


?」


 その瞬間、色んなものが動いた。


 能面のように無表情になり、迷う様子も無く腰の剣を抜き放つガルシア。


 アネモネの暴言と、瞬間的に膨れ上がったガルシアの怒気にザワつく周囲の人々。


 それから、ガルシアがアネモネに近付くのを阻むように、ゆらりと蜃気楼みたいに立ち上がったホムラ。丁度彼はガルシアの目の前に立ち塞がるような形となり、彼は結果として、アネモネに一歩も近付く事が出来なかった。


「……退け」


「子供の言った事です、大臣。貴方の負う重責も、も、想像はしても出来ないような、年端も行かぬ子供の台詞です。どうか、見逃してやって下さい」


「知ったような口を利くな、黄色い猿ジパング。陰口ならば良かった。だがその者はこの神聖な玉座の間で、我々を、引いては王を侮辱した。見過ごす訳にはいかぬ」


「……」


 顔を上げたアーロンが勘弁してくれとばかりに溜め息を吐いている。彼と一緒にホムラやアネモネを連れて来た二人の兵士は、助けを求めるように周囲を見回している。アムラスは事の成り行きを見守るように目を細め、王様は取り敢えずこの場を納めようと口を開き掛けるのが見えたが、


「さっきも言いましたが」


 その全てを一切無視して、ホムラは言葉を続けた。


「俺が恩義があるのは、其処の二人だ」


 魔術師であれば"魔力が通った"と表現しただろう。肩幅程度に足を開いて、上半身はゆるりと脱力していて、その様はさっきと何ら変わった所の無い、特に気負い無いリラックスした体勢のように見える。


 が、ホムラは今、明らかに変わった。具体的には、最低限の礼儀を守ろうとしていたの状態から、その気になれば何時でも"弾け"られる通常状態に。


この国アンタらじゃない」


 瞬間、火花が散った。実際にそうなった訳じゃないけれど、ガルシアの殺気とホムラの殺気がぶつかり合って、空気が弾けたように感じられた。


 その場の多くの人が息を呑む。兵士達は流石で、ハッとしたように周囲を見回し、連携を取りながらホムラを囲むように展開し始める。


 最早、王様に対する礼儀とか守ってる状態じゃない。立ち上がってホムラを援護しなければ。


 そう思い、立ち上がろうとしたアネモネは、けれど誰かに袖を引っ張られた所為でそうする事が出来なかった。


 言うまでもなく、リオルである。


「リオル!?」


「大丈夫です、姉さま」


 その声は淡々としていて、いつも通りだ。大丈夫と言ったって、どう考えても大丈夫な状況じゃないでしょうとアネモネは言ってやりたかったが、リオルはちっとも慌てた様子は無い。


「大丈夫」


その目はアネモネではなく、ホムラでもなく、もっと奥の玉座の方を見ていた。

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果て無きリンボの境界線2 罵論≪バロン≫ @nightman

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