第13話 表面的難易度を上げる方法

当たり前かもしれないが、今日は、意外にも効果を簡単に上げられた方法を紹介する。それは、すべての解答時間に制限時間を設ける方法だ。しかし、そこには、さらにちょっとした工夫を加える。あきらかに、間に合わない量を提供して、やる順番は構わず、トータル正解数での換算にする。

今回、実験したのは、新中二の学年。

このクラスも四人とまたまた少なく、活気に嘆くが、それでも、四人の平均偏差値は60中盤前後である。正確に言えば、二人が60後半で、一人が50台半ば。

ただ、まだ、上の二人には伸びしろを感じる。継続的な高等鍛錬が少ないだけで、それをはじめれば、まだ上がる。乾橘としては、夏くらいまでには過去問を解かせはじめ、二年のうちにこの二人には、国語の受験勉強は終わらせようと考えている。無理ではないのだ。解答法だけを身につけるだけなのだから、国語は。

三年の、全員打っても響かない完全なる、外れポンコツクラスとは、比べものにならないくらい、反応がよい。細部表現に対するギャグなどもすべて解釈したうえでの、無反応を試みたりしているから。学年なんて、関係ないの。各々の潜在能力、それと指導者の能力次第なのだ。ただ、当り学年と外れ学年は交互にやってくるような気もする。


試したのは、三月の月例テストの漢字範囲144題を15分で解かせ、丸つけを三分。解けたところまでの点数を結果として、発表という形にした。

間に合わないと、できないやつほど、文句を垂れるが、それによって、できるやつの士気は下がる。どっちをとるか。それにやる順番は自由にしているところもある意味、実践的。練習から、一種の危機感をとりこんでいくと緊張感も増す。それにどこからやってもいい自由さは、エンタメ感も増す。


ふと、生徒のだれもが一番から書いている姿に疑問を持ち、この方法も加えた。

このやりかたは、小学生だとクレームや謎の保護者からそういったものもあるが、真意を理解してもらいたい。できなければ、できるように自分で時間を鍛えていけばいい。それに、字の汚い子は結局、一年直らず、試験も当たり前のように失敗していく。不思議にも、作文を書くのに、「ああじゃない、こうじゃない」と手間のかかる子ほど、合格した試しはない。この10数年。それに比例して、合格率は下がっていく。だから、ある一定の区切りを設けるという結論に至った。言ってもかわらない人間は、そのままだ。その時間を受かる、可能性のある、必死で工夫してくる人間に割きたい。


この10数年で担当するクラスが上位になるほど、変わってきた乾橘の心理であった。できない子への、やる気を刺激するのか?デキル子への、難易度の高い解きかたを、微細な違いを説明ができるのか?親御さんの説得が上手なのか?それぞれに、タイプの違う人間がいる。得意な分野をやればいい。


結局、上位二名は九割以上の正解率。だが、乾橘が再度、採点したところ、それぞれ、5~10点くらいの採点ミスがあった。漢字とはそういうもの。そこを発見して上げるのが乾橘にとっての役割なのだ。その指摘がなければ、テストでもそのまま、間違っていたはず。ちなみに、もうひとりは、汚い字で半分もとれておらず、自分の書いた字もわからないという始末。これもひとクラスには、必ず一人いるタイプで、「ボクは今までこれでやってきましたので!」などと豪語したりする。そういうやつは、しっかりと記載できるようになるまでは、延々と名簿には0点を記入しつづける。向こうが完全に心、折れて改心するまで。しないで、試験に突入しようがかまわない。それを本人が選択していくのだから。私は、特に、困らない。

追記

しかし、時間制限は、表面的に難易度を上げる方法であって、真の難易度は、時間ではなく、発想の勝負にこそ宿る。だいたいの場合、掛け合わせやら、類似だが。

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都立受検の結果はでたが。 @RAIZO111

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