第29話 仲間――雫――

 どこか甘い香りの女性。

 なんで私の事を……? 

 分からないまま猿轡を外してもらい、手錠を外そうとガシャガシャしている。


「私ね、若草課長代理……あ、今は若草君か。彼の手助けがしたくてね、出来る事は何かないかなって考えたの。それでね、私にできる事って言ったら、こういう事だけでさ。……ダメか、外れないや」


 私の手錠を外すのを諦めた彼女は、部屋を見渡して「悪趣味ね」とつぶやく。

 

「どうして助けてくれるの。それに、若が、課長代理じゃないって、どういう」


「彼、ゼクトを退職したわ」


 ドクンって、胸が強く鼓動する。

 痛いくらいに、ズキズキして思わず涙が出るぐらいに。

 結局、私は若の助けにはならなかったんだ。

 何も、出来なかったんだ、あんなに若は色々としてくれたのに。


「でもね、若草先輩は全然諦めてない。何が何でも貴女を救い出すって、そう言ってたから。だから、貴女も諦めないで」


 若が私を救い出すって言葉を聞いて、また強く胸が躍動する。

 私は、どこまで彼に迷惑を掛ければ気が済むんだ。

 こんな私の為に、なんで若は頑張ってくれるの。

 私にできる事は何もないのに。 


「でも、私は、もう」


「いいの、こんなのが許される訳ないでしょ。四神には然るべき場所で然るべき罰を受けて貰うわ。それに、ゼクトを辞めた若草君に四神はもう手出しできない。だから……ここから逃げましょう、雫さん。貴方が若草君を信じているのと同じぐらい、私を信じて」


 差し出された手が温かくて。

 でも、私はその手を掴み返すことが出来なくて。


「ダメ、ダメなの、私が若と一緒に居た所は全部抑えられてる。だから、今逃げたら彼に更なる迷惑を掛けてしまうの、だから」


「そんな、それじゃ今以上に酷い目に合うかもしれないんだよ⁉」


 私が動く事で、事態が悪化していく。

 そう思うと、もう逃げることも動くことも出来なくて。

 今以上に酷い目にあったとしても、それは私が苦しむだけ。

 若は苦しまない、なら、それで良い。 

 

「……分かった。じゃあ私がここで貴女に色々と教えてあげる。護身術とか、自分の身を守る方法とか。それに、どこか叩かれた場所はある? 痛かった場所とか」


 叩かれた場所も痛い場所も沢山ある。

 だけど、声にしていいのか悩んでいると、目の前の女性は私のまだ小さな痣をそっと指で撫でた。

 なんでだろう、痛くない様に触ってくれるのに、涙が出て来る。


「あ、ごめん、痛かった?」


 首を横に振る、痛くない、だけど涙が止まらない。

 若の周りには、本当に優しい人でいっぱいだった。

 今もこうして来てくれている、その事を思うと喉が震えて、涙があふれる。


「ここに痣のメイクをしておくからね。私一時美容師を目指してたから、かなりリアルに出来るの。四神に罪の意識はないだろうけど、痣があればアイツも手出しし辛くなるでしょ? またDVで訴えられるってね。それに、アイツの相手は極力アタシがして上げるよ、その方が雫さんの負担も減るでしょ?」


 相手をする……? それは、目の前の女性が四神に抱かれるということ?

 若草君の知り合いの人が、また四神に穢されるのなんて黙って見てはいられない。

 辛い思いをするのは、私だけで十分だ。


「ダメだよそれは、若が悲しむから、絶対にダメ」


「ふふ、誰も抱かれるなんて言ってないわよ? 焦れさせるのもテクニックの一つなの。だから貴女は安心して、若草君を信用しなさい。貴女だって若草君の事を愛しているのでしょう?」

  

 若を愛している。

 その言葉を耳にするだけで胸が痛くなる。

 優しい彼の微笑みと、心から安心する胸の中に私は帰りたい。


「愛してる、誰よりも愛してる。若と一緒になりたくて、だけど、私は」


「私も、若草君の事が好き」


 予想だにしなかった告白に、きょとんとしてしまう。

 この人も、若の事が好き?

 

「彼って温かくて優しくて、なのにどこか抜けてるでしょ? 馬鹿みたいに素直で、正直者で。同じ会社の先輩として見てたんだけどね、毎日見てたら、こう……何となくね。でも、貴女と若草君がベッド買ってたでしょ? あれを見てからかな、本格的に火が付いちゃったのは」


「あれは、若が買おうって……あ、貴女もしかして会社の後輩って若が言ってた」


 立候補してきた後輩がいるって言っていた。

 若が珍しく女の人の香りをさせて帰ってきた、あの日の。


「そういえば自己紹介がまだだったわね、私は泉緋色。貴女と同じ男を好きになった女よ。フフッ、とはいえ、私は勝てっこないなって思って見てるけどね。だから、私は貴女達二人を応援する事にしたの。私の分まで絶対に幸せになりなさいよね? 分かった?」


「泉さん……私」


「こんな姿で女性を放置とか、本当に理解できない。とりあえず私のシャツを……ああ、手錠が本当に邪魔ね。今度鍵とか全部預かってくるから、ちょっとこれで辛抱してね」


 泉さんは部屋にあったシーツを私の身体に巻きつけてくれた。

 私は、きっと馬鹿なんだと思う、愚かなんだと思う。

 道を示してくれた人がいるのに、自分で閉ざしてしまう様な人間だ。

 だけど――。


「私、幸せになれるのかな」


 思わず想いを吐露してしまう。

 この世界は地獄だ。

 鬼がいて、蛇がいる。

 一本の蜘蛛の糸を頼りにしたいけど、鬼があっさりと引きちぎってしまう。

 私がこの世界で幸せになる権利なんて無いって、鬼達は笑った。

 そして私は暗黒の世界に落ちる、どこを探しても光なんて無かったのに。

 

「なれるよ、貴女には若草先輩がいるんでしょ?」


 この世界を変えるための存在は、ずっと私の側にいたんだ。 

 私が掴もうとしなかっただけ。

 二回も彼の下を離れてしまったのに、彼はまだ私の側に居てくれようとしている。


 もし、次があるのだとしたら。

 どんな結果になろうとも、私は彼の側を離れない。

 後悔はもううんざりだ、若が迎えに来てくれる……その日まで。







「……あれ、着信。若草先輩? なんだろう……」

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